第8話 余裕の話

 ファミリーの入院が伸びることになった。

 使っていた薬では状態を抑え込めなくて、別の薬になるらしい。

 改善が見込めない場合を想像してか、体調も相まってか、当人も覇気がない。

 食事を摂るよう勧めるのも、体のしんどさを思えば躊躇われた。

 本当に大変なときの当人以外など無力である。

 いや、これは卑下が過ぎる物言いだった。

 若輩である。




 「大丈夫!」

 この手の類の励ましの言葉が、私はほんのり苦手である。

 気にかけて言葉をくれる人のことを思えば、なんと愚かな感情だろうとも思いつつ。



 大概にして、人の厚意を受け取れないとき、人間は余裕が無い。

 だから跳ねのけるようなきつい態度を晒したり、泣き散らしたりなどする。

 余裕が無いとは、内側の感情が溢れ出るほど飽和したということだ。

 だからそんな時に、外側から差し向けられる感情を内側に迎え入れることはできない。

 他者に何かを求め、仮に望んでいると錯覚していたものを得ても苦痛が取り除けないならば、それが内側が飽和した証左と私は捉えている。

 このとき、一般の応対は困難だ。

 溢れ出したものを受け入れてもらわなければ、行き場がない苦しみは続く。



 だだ、受け入れる、とは容易なことではない。

 受容とは、口先のみの安易な態度では果たせない。

 内側の器の小ささは、そう易々とは繕えないから。

 普段、何気ない振る舞いを晒している身近な者になら、なおさら。



 励ましは、力を注ぐ行為だ。

 枯れた心には有効だろう。

 だが、行き場のない感情に飽和した心には、追い打ちをかける致命的な害だ。

 これらの分別ができる人が、世にどれほどいてくれるだろうかと切実に思う。

 今、感情が飽和して苦しむ人のそばに、この小さな機微を理解してくれる人が、できる限り居てくれればいいと願わずにおれない。


 地に足をついていても、人間は内側で溺死してしまえる生き物だと思うから。

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