第16話 グレーについての話

 吐き出すのがいい事だと思っているのは確かなのだが、

 …………いざこうして吐き出してみると、書き方が難しい。



 「私個人はAだと思う。反面、○○のような場合もあり、Bも必要だ」……というように、主観と客観をバランスよく表現しようとすると、ゴッチャゴッチャしてしまうのだ。

 むつかしい。


 現にひとつ前の走り書き、とってもゴッチャゴッチャしている。

 分かっている、私はポンコツ…………高望みをするつもりはない。

 『四の五の言わずにとりあえず出せ』が目的なので、「嫌ッッッ!!!ゴッチャゴッチャ、嫌ッ!!!!!」という気持ちを抑えつけて書いている。

 Don't say 4No5No. Just Do it !!!!!




 主観だけが『意見』ではない。

 主観と客観を噛み砕いて持つ思考が、個人の考えだ。

 客観への見解を排した本心は、セットで頼んだマックにポテトが付いてこないようなものだ。

 完全に個人的な、押しつけがましい期待だが、できれば言論は主観と客観を理解してなされて欲しいと思う。

 こう言いながら、私自身もこのような能力を万全に持っている訳でもない、高度でむつかしい願いだと理解しつつも。

 遠い未来の社会を望んで、私の心は願う。

 「すみません、セットでお願いします」






 一見、振る舞いや言動に特別変な所は無くても、


『なぜか一緒にいると気落ちしたり、嫌な違和感を抱いてしまう』人、というのはいる。



 深く捉えようとせず、そのような人を評価しようとすると、実は理性的であったり良心的な人ほど、それが酷く難しかったりする。

 何故なら、このような小さな違和感を発する人というのは、厄介な意味で『グレー』な場合が多いのだ。

 『グレー』とはつまり、『おおよそ一般的なコミュニケーションは取れるし、大きな問題を起こすでもないが、ハッキリと指摘しきれない程度に感情と理性にひかっかる振る舞いをする』という、黒とも白とも分別のつけづらい人間性のことだ。


「そんなもの、大抵の人間はそうじゃないか?」


 こう返事があるは、私も予測がつく。

 そして、その通りである。

 だが、その上で私が言いたいのは、今回の話では『グレー』の前に『厄介な』という形容詞が付くことだ。



 『厄介なグレー』とは、『本質的に陰湿・卑屈・嫉妬・恨み・怒りといったマイナスな気質分が内面に多いのだが、そこから発する振る舞い(ex.陰口・いじめ・喧嘩等)自体は一般的にいい顔をされない行動だと理解しており、行動自体は経験から理性で良心的に振る舞ってみせることはできるが、本質のマイナスは基本的に抑圧で溜め込んでいるため、ふとした場面で陰湿な部分が滲み、近くで見ていた人が「あれ?」と小さな違和感を抱いてしまう』…………というような、黒寄りのグレー気質のことだ。


 つまり、「あの人はホント、ズボラでいい加減だけど、底抜けに優しいのよね~」と評価される『欠点もあるが、なんだかんだ一緒に居たい』タイプと、「あの人はよく気が付くし、親身に話を聞いてくれようとしたり、いい人ではあるんだけど………ちょっと……」という風に言葉を濁される『美点もあるが一緒に居たくない気分にさせる』タイプでいえば、後者である。


 そしてまさしくこの『言葉を濁』させられてしまう、というのが、対人上厄介な部分なのだ。



 なぜ、どことない不快さを嗅ぎ取っているのに、『言葉を濁』さざるを得ないのか?


 簡単だ。

 このような『厄介なグレー』タイプは、『一見はいい人』だからだ。



 だが、どうしても違和感は拭えない。

 一見いい人なのに。

 付き合うごとに、違和感を無視できなくなっていく。

 一見いい人なのに。



 …………『一見いい人』?


 そんな『その人を不快だと断定してしまうことで《一見いい人であるその人へ厳しい評価をする自分》という立場に立つことを恐れ、自分の感覚に蓋をして本心を見て見ぬふりをした』に過ぎない、逃げの言葉。

 自分以外の誰かに『断定してほしい』と、会話のボールを、触らぬ神とばかり回すようなものだ。





 『一見いい人、なんだけれどね』


 実はこう口にした時点で、答えは出ている。

 この表現は、「一見いい人だが、私はあの人に対する不快感を無視できないんだ」と白状しているに等しいからだ。


 『無視できない不快さがある』

 そう、確かにあるのだ。


 だがそれは、『一見いい人』を凌駕してまでマイナスではなく、指摘するにはしのびない。

 表面上は。

 だから大抵は指摘されない。 

 何となく不快なまま、人間関係は続いていく。

 『一見いい人だから』







 いい人ではないんだ。

 いい人に、こんな何重にも布をかけて『ひっかかり』を誤魔化そうとするような必要はないんだ。

 いい人ではない。


 何故なら、その人はあなたを心から穏やかにしてくれるか?

 沢山の親しく優しい友人の中にあっても、自ら進んでその人の傍へ最初に行きたいと思うか?

 心から話したいと思うか?

 その人を「しょうがないな」と笑って許せて、別れ、また明日も会いたいと思うのか?




 この質問に即決でYESが出ないなら、夢から覚めるべきだ。


 別に、しっかりと縁を切って遠ざかりなさい、などと乱暴なことは言わない。

 …………それをおすすめしたいというのも本心ではあるけれども。

 でも、それでも縁を続ける気がある。

 そう判断するなら、『不快感を押し込めて口を噤み続ける』は決して行ってはいけない。

 『大人な判断だ』と思っているならなおさらだ。

 一緒に居ることを選んだ以上、問題の先延ばしを選択するのは『大人の判断』ではない。


 伝えなくてはいけない、なぜ『あなたが不快なのか』を。


 その言葉を言う覚悟を持った方がいい。

 それは、不快を感じてしまうあなたを『あなたが大切にする』ための、それこそ『大人としての態度』であるからだ。




 …………『一見いい人』の毛布に身をくるみ、自分を守るのは、安心するでしょう。

 どうしても世界に怯えてしまい、結局のところ誰のことも本気で信じ切れず、自分すら嫌いで、だからこそ大仰に自分を守らなければ安心できず。

 けれど、そうして何もかも信頼できないから安心できないという悪循環に、本質的には気づけない。

 それはひどく、つらく、哀しいでしょう。

 自分で全ての不安の種をまきながら、その恐ろしい成長に雁字搦めで生きる。

 毛布の中は、首元まできつく蔦が肌に食い込んでいる。



 誰も信じない限り、一見いい人の毛布は肌に張り付いて引き剥がせない。




 苦しんで、「どうして」と思ってしまう。

 「なんで、どうして」と、心の底では不満が渦巻く。

 それを毛布で隠して、柔らかなぬいぐるみのように振る舞って。

 誰からも愛されたくて、そのすべてを疑って。



 そして、自分で勝手に全てを見当付ける。

 誰も入り込む余地はない。





 『一見いい人』に見えるからこそ、逆に周囲へ踏み込むのをためらわせてしまう。

 その毛布は臆病を守り、信頼を遠ざける。

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