第14話 期待と失望の話
酷い事を言ってしまいそうだから、縁を切ろうと思うタイミングはある。
私自身も、そういう経験をした。
もう終わった話なので今こうして述懐できているが、当時はひどく気落ちした。
今も、思い出して気分がいい話題ではない。
かといって都合よく忘れてしまうこともないので、今日は禊の気持ちでその事を書こうと思う。
昔、友人だと思っていた人がいた。
その人とは色んな話をして、信頼もしていた。
だが、ある折からその人との折り合いが上手くいかなくなり、その人がしばらく交流を断とうと思うと話してくれた。
寂しい事だったが、私も交流すること自体がその人の時間や精神を削ることを理解していたため、快く送り出そうと思った。
その人にはやりたい事があったし、私もそれを応援していたし、時間が過ぎたとしても友人関係は変わらないと信じていた。
ただ、一方的な信頼は自分本位だろうと思い「再会した折にはまた以前のように交流してもらえるだろうか?」と訊ね、その人も肯定してくれたと私は認識したために、何年でもいいから待とうという気持ちで私たちは一時のお別れをした。
それから何年か後に、再会は叶った。
ただ、再びの交流は上手くいかなかった。
単純に私が悪い、相手が悪い、とも言うつもりはない。
人間関係に、全ての責任を負うような傲慢さはあっても仕方がないと個人的に思っている。
色々はあった。
しかしその内容は個人のプライバシーに関わるし、ここに詳細を書くつもりはない。
結局、私もその人も、一人の友人を失った、というだけの話だ。
いや、実際は、友人だと思っていたのは、私の思い違いで押し付けであった可能性もあるので、その点に関しては反省もしている。
人に期待することは、押し付けと同義のように語られる場合がある。
その場合の『期待』という言葉の重苦しさや、無神経な押しつけ感について、私も分からない訳ではない。
勝手な感情を持たれ、気落ちする事だってあることだろう。
だとするなら、私が人に感じる友情も、『迷惑な期待』と大して変わらないのかもしれない。
『どうでもいい相手に何も持たない』ことの対立として、『どうでもよくない相手だから、何らかの感情を持つ』、というだけの話なのだが。
でも、相手が拒否するならこの感情は根を絶やすほかない。
拒否されても向ける好意は、ストーカー的感情と紙一重な所もある。
誰かに迷惑をかける感情は、表沙汰にしないのが最後にできる親切だろう。
旧友人と再会し、上手く噛み合わない交流について、私の対応が間違っていた場合を鑑みて、第三者の意見を求めた事がある。
もっと踏み込んだ事を言うべきか、私の本心を開示する量が足りていないだろうか、といったことを確認したかったのだ。
その折に、「お前はその人が大事なんじゃないのか?」と助言をもらい、私は文脈から「大切な相手なら相手が不快になるようなことは言わない方がいい」という事だと理解した。
その時に、『大切だと思うなら、私はもう何も言わない方がいい(=相手を不快にする可能性のある踏み込んだ内容を言いそうだと感じた』という考えと、『それでも言う必要を感じるほど、相手を巻き込んだ関係性の継続を望むか?』という考えに二分された。
結局私は、これ以上誰かを不快にしてまで継続する友情に責任を持てないと思ったし、もう一つ、
その人を大切か?と問われたときに、人間的に尊重するが、失望もしてしまったと思ってもいた。(失望した理由は諸々あったのだが、それもプライバシーのために割愛したい。
失望も、期待があったためだ。
私が余計な期待を持って時を過ごしたことも、今は悪かったと思っている。
限りある人生の時間を、私は他者に余分に消費させてしまったのかもしれない。
でも、せめて『これ以上何もしない』という事で補填できればと、情けない事も思ったりもする。
悪い事をしたと、ここでだけ、詫びておこうと思う。(直接言う事も、きっと重荷になるだろうからだ。
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