第10話 焦燥の音頭、感謝の創意、の話
入院を経て退院。
家に戻り、通院し、回復傾向だと信じつつ生活している。
慢性的な抑鬱傾向から安定しだすと、焦燥感にかられる時期がある。
あくまで私個人の症状だ。
ただ、他の人の体験談としても、ままある話ではあるらしい。
ぐるぐると同じような思考が止まずにいた底の段階から、多少落ち着いて安定しだす。
すると思考が『余計な真っ当さ』を発揮し始め、何か有益な事をしなくては!!という、焦りを原動力にした行動に駆られるのだ。
ここで無理に何かをしようとするのは、正直あまりいい手ではないと思っている。
まぁ、賢明な方には察していただけると思うが、完全に向こう見ずな計画で始めて頓挫しやすい、というやつになりやすいのだ。
焦燥に駆られた行動は、高い山の頂だけに目を囚われて、足元を見ずにいきなり走り出すようなものだ。
あからさまに在るのに見ていない石(=問題)に躓く、距離感を想定せず体力不足でギブアップする。
悪手である。
しかし、精神が比較的健全であったとしても、人間を容易く行動に駆り立ててしまうのが焦りというもの。
夏休みの宿題提出前日、買うかどうか悩ましいセールの終了間近、刻々と近づく次の誕生日。
人間を内心でてんてこ舞舞させる音頭を取らせたら、右に出る者がいないのが焦燥というものだ。
そうだ、誘惑に負けてはいない。
焦りは確実に私の内面で櫓舞台を組み立て、太鼓の打ち慣らしに余念がない。
然るべき回復の時に至るまで、焦りを耳打ちする臆病風に誘われるまま、音頭に乗ってはいけないのである。
毎日、情報処理を拒否する頭で少しずつ、本を読み、絵を描き、写真を眺める。
こうして文字打ちもする。
自分の内面で、誰にも話さず腐らせていた思考を吐き出すためだ。
病み上がりの状態では、やはり多少困難がある。
それでも、このまま腐らせていては精神衛生上良くもない。
物事や内心を整理し、内容を丁寧に削り出し、自分以外の誰かに受け取りやすいよう形を整える。
この世にある数多の書籍たちが内包する、受け取りやすい言葉、考え抜かれ整頓された内容、精密な校正作業。
そこにある『誰かの膨大な見えない労力』へ、敬虔な気持ちを養うように。
仮に私の目が潰れ、腕を失い、体も動かせず、おおよその創作活動が自発的にできなくなった時のことを夢想する。
それでもきっと、体だけは生きている。
精神の方は、そうなってみるまでは分からない。
事実として、創ることは叶わなくなった状態になるというイメージ。
そういう、何も生み出さない生き物になった時。
それでも友人だと言ってくれる誰かのためだけに形にしたいモノを、作りたいと思う。
私から何もかもが表面上失われたとしても、それ以外を当然のように『まだ君は君である。それ以外は重要ではない』と認識してくれる友人のために。
書き上げたとして、友人に読まれることは、本当に意味がない。
そういう風に私を友人だと言ってくれるという事実がある、という事に深く感謝した結果として書き残すに過ぎない文章、ということだからだ。
いうなれば、「ありがとう」という感謝の言葉のようなもので、述べるだけで、書くだけで。
それだけで必要を満たしている、という事だ。
文字を書くことを、絵を描くことを、特別な、稀有な、誉れこの上ないような、
賛辞だけで置き去りにするような、
そんな寂寥を拭ってくれるような友人の声が聞こえる、明日も会えるという喜びに感謝するように、また何かを作りたいと思う。
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