第3話



 こうして僕は、数瀬と共に暮らしはじめた。

 それは幸福で、かけがえのない毎日のはじまりだった。僕はこの恋を終わらせたくなくなった。ずっと数瀬のそばにいたい。けれど僕は不死だ。彼女は、年老い、いつか死ぬ。それを苦しく思いながら、僕はこの日、アイランドキッチンの向こうに立つ数瀬に背を向け、リビングの窓グラスに手を添えて、小雨が降る庭を見ていた。僕にとっては咲き誇る花々は、綺麗なものではなく、忌々しい記憶を想起させるものだ。


「ねぇ、悠斗」

「なに?」

「私達……恋人だよね?」

「うん」

「だ、だからさ? 私は、悠斗のことが全部知りたい。私も私の事を伝えたい。隠し事とかは、しないことにしない?」

「――どうしたの? 急に」

「なんだか貴方さ、時々考え込んでるみたいだから。私でよかったら聞くし」


 なにやら、僕の憂いを彼女は悟っていたようだ。だが。


「話したら絶対に嫌われてしまうようなことは、僕は話したくはないね」

「私の愛情の深さを疑ってるの? 私、何を聞いても貴方を嫌いになったりしない。なんでも許せる自信しかない!」


 強く断言されて、僕は数瀬に振り返った。本当に、彼女はそう思っているのだろうか?

 見ればそこには、口元には笑みがあったが、真摯な、本当に真剣な瞳の数瀬の姿があった。


 僕は正直、少し迷った。確かに、心情を吐露してしまいたいという考えも、僕の内側にあったからだ。


「……本当に、嫌いにならない?」

「ならない!」

「僕が……この家に放火した犯人で、君の父親を殺したとしても?」


 僕が告げると、目を見開いた数瀬が息を呑んだ。


「そ、そういう冗談は……ちょっと不謹慎すぎる」

「冗談? 本当のことだよ」


 口に出すと、僕の言葉は止まらなくなった。告げてはならないと思うのに、心の奥深い場所にあった数瀬に受け入れてもらいたいという衝動が、それが僕の口を動かした。


「黄金の林檎を君の父親は探していたんだろう? 僕は、それを食べた。不死者だ。だから、僕にその在処を聞きにきみの父親はやってきたんだ。そして僕を痛めつけた。それはもう酷い目に遭わせられた」

「父さんがそんな事をするわけがッ――」

「数瀬にとっては良い父親だったようだね。だが違う顔を持っていたのは事実だ。あるいは病気だったという君の母親を助けようとしていたのかもしれないな。理由は定かでは無いけれど、僕は襲ってきた君の父親を殺すべく、この家に火をつけたんだ」


 呆然とした様子で、暫しの間数瀬は僕を見ていた。

 トマトを切っていた包丁の動きが止まっている。


「本当に……貴方が私の父さんを殺したの……?」

「僕は嘘が嫌いだ」


 そう返答すると、数瀬が包丁を持ったまま、唖然としたような顔で、僕へと歩みよってきた。そして僕の正面に立つと――僕の心臓に包丁を突き立てた。僕の白いシャツが鮮血で染まりはじめる。数瀬がそれを引き抜くと、血が飛び散り、返り血が彼女の顔を濡らした。


「なんで、どうして!?」


 それから、何度も何度も数瀬は僕の胴体を包丁でめった刺しにした。

 床に頽れた僕に馬乗りになり、何度も何度も包丁を振り下ろす。

 そうしながら、放火の後、どんなに人生が悲惨な物になったかという呪詛を語り続けた。優しかった父の死がもたらした喪失感だけではない。母の入院費を払えなくなったこと、生活が困窮したこと、両親の不在で苦しんだ記憶。人生自体が狂ってしまった恨み辛み。僕はそれを聞きながら――何でも許してくれるなんて、あるはずがなかったのだと理解した。復讐心と憤怒は、恋心などかき消してしまったらしい。


 僕はそこで一度、また終焉を迎えた。


 気づいた時、僕は庭の土を掘っている数瀬に気がついた。どうやら僕を埋めるつもりのようだ。不死者だと告げたが、その部分は理解していないのかもしれない。


 ――不死者狩りは殺さなければならない。


 意図せずだとしても、数瀬の行いは、不死者狩りのそれだった。

 僕は数瀬が好きだ。

 だから――数瀬を殺すことを、意外といいではないかと思案して、横たわったまま瞬きをしてから、気配なく立ち上がった。そして穴を掘るのに夢中で僕に気づいた様子のない数瀬の後ろに立ち、首に手刀をたたき込んで、彼女を気絶させた。


 その後僕は、彼女を地下室へと運んだ。そこの上部の窓を封鎖してから、僕は練炭を置き、外へと出る。それから半日ほどは、記憶してあるプラスティネーション処理についての過程を想起しつつガラスケースを届けさせて受け取るなどしながら過ごしていた。その後地下室へと戻ると、数瀬はきちんと一酸化炭素中毒で絶命していた。苦しんだかどうかは定かではないが、表情は少なくとも穏やかだった。微笑を向けた僕は、その唇に触れてから、彼女にプラスティネーション処理を施した。


 不死者のみに伝わる樹脂でコーティングし、無事にエンバーミングを終える。


 全裸の数瀬をガラスケースに入れる。僕にとってそれは、硝子の柩と同じだ。

 特に数瀬の全身、特に性器には、特殊な処理を施してある。


「これで、永遠に一緒にいられるのか」


 僕は嬉しくなった。物言わない物体に代わったが、数瀬は数瀬であり、それは代わらない。この日から僕は、魂の抜けた数瀬の体を貪るように犯すようになった。数瀬に己の陰茎を挿入する度に、僕は満足感を得る。冷ややかな蜜壺を抉るようにしながら腰を動かす度に、永遠に彼女を抱けるのだと、僕は歓喜した。


 ――そのはずなのに。


 なのに、数瀬を見ていると、僕の眼窩からは、透明な温水が流れ落ちる。

 許してくれなかった彼女を思うと、空っぽだったはずの心が、締め付けられるように痛む。

 温もりの消えた彼女の胸に手で触れる時、僕は優しく僕に抱きついてきた腕を想起しては、息が苦しくなる。


 ああ、僕は。

 誤った選択をしたのかもしれない。あるいは僕は、生きている数瀬が好きだったのかもしれない。それが、恋だったのだろうか。恋など長くしていなかったから、肉体があればいいと誤解していたのだろう。数瀬はそこに確かに横たわっているのに、もうどこにもいない。数瀬を見て、瞬きをしながら、僕は漸くその事実に気がついた。


 そして両手で顔を覆い、号泣する。

 ひとしきり泣いてから、僕はフラフラと外へと出た。そして庭園に立ち、小鳥の囀りを聞く。ああ、もうダメだ。そう考えて、僕はいつかと同じように、この家に火を放つ。


 燃えさかり、崩れ落ちていく家を見ながら、黒煙を見上げていた。

 きっと、既に魂は天に召されているのだろうけれど、きちんと体もまた、送ってあげるべきだ。僕はそれが、恋人に出来る最後の事だと考える。


 その後僕は踵を返して、その場所を立ち去り、この国を旅だった。


 今度は、ロンドンへと向かった。

 僕が黄金の林檎を食べた場所でもある。喪失感と空虚が、似て異なるものだと思いながら歩いていると、僕の前に立つ者がいた。


「不死者だな? 黄金の林檎の場所は何処だ?」


 ――不死者狩りだ。

 ――不死者狩りは殺さなければならない。


 以後も、僕は不死者狩りに追われ、返り討ちにする刻を過ごしたが、一度も数瀬の事を忘れる事は無かった。






 (終)



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不死者狩りは殺さなければならない。 水鳴諒 @mizunariryou

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