第2話
次に日本に来た時、僕は最後にこの国に来た時に、なにをしていたのか、特に記憶していなかった。
季節は冬。空には白と灰色を混ぜ込んだ雲しかなくて、綿雪がゆっくりと舞い落ちてくる。
雪はいい。
汚い街を全て覆い隠してくれるから、僕の嫌いな存在を全て覆い隠してくれる。
だがそうして刺激が無くなった心は、ある種の平穏でもあるが、やはり空っぽとするのが相応しい。僕は心の変化を望まないから、空っぽのままで困る事はない。
そんな事を考えながら、黒いコートを纏って、僕は街を歩いていた。今回きた街は、都心に近く洗練されている。あまり日本らしい街並みではなかった。記憶をたぐり寄せれば、前回過ごしたのも、この地方都市だったように思う。だが何があったかは曖昧だ。
少し歩いて行くと、フラワーショップがあり、何気なく顔を向けると、青い薔薇の花束を手にした女性が出てきたところだった。
僕は、その女性を知っていた。
今、僕はあるカフェを目指して歩いている。彼女はそこの店員で、数瀬という名前だ。黒い髪に形のよいアーモンド型の目をしていて、女性にしては長身だ。整った顔立ちは、ちょっと目を惹く。彼女は俯いた様子で店から出てきたのだが、顔を上げてすぐ、僕に気づいたようだった。
すると頬が持ち上がり、満面の笑みが彼女の顔に浮かぶ。
「悠斗さん!」
悠斗というのは、僕の偽名だ。僕は国を移動する度に、適当な名前を名乗っている。戸籍自体は、様々な国に偽装して登録してある。不死者の存在を受け入れている国は少なくなく、手続きも容易だ。
「じ、実はこれ、渡そうと思って買ったの」
数瀬はそう言うと、薔薇の花束を持ち上げて、声をうわずらせた。僕は、彼女が僕を好いていると、とっくに気がついていた。
「よ、よかったら……! そ、その! 私は貴方が好きです! 付き合って下さい!」
目を伏せお辞儀をしながら、両手で数瀬が僕に花束を差し出した。ピンと伸びた両腕を見ながら、僕は久しぶりに表情筋が動くのを感じた。誰かに好かれるのは、とても久しぶりだ。
「うん。構わないよ」
「!!」
「これから、よろしくね」
僕はそう述べ、青い薔薇の花束を受け取った。
――こうして、カフェの店員と客という関係性が変化し、僕は彼女と付き合い始めた。
すぐに彼女に求められて、僕は同棲する事に承諾した。
僕は短期間で別れるつもりだった。理由は、僕が不死者だと露見するのを避けるためだ。老化しないという事には、数年も一緒にいれば気づかれるだろう。
本日は、その引っ越しの日だった。
僕には荷物などないから、ホテルもそのまま借りた状態にし、体一つで数瀬の家へと向かうことにした。駅前で待ち合わせて、彼女とゆっくりと歩いた。
そしてたどり着いた一軒家を見て、僕は瞠目した。
その時初めて、前回この国にきたときのことを思いだした。庭を一瞥する。そこには柿のなった木がある。鴉が貴重な食料をつついている。いつか、僕の脳に集ったのも鴉だ。
そう――ここは、僕が火を放った家だ。
一階部分が修繕されているが、二階と三階の部分が昔と同じままだ。僕の背筋が寒くなった。チラリと数瀬を見る。
「ここが君の家なの? ご家族は?」
「母は病気で亡くなったの。父は、ずっと母に『黄金の林檎』を食べさせれば助かるなんて空想の話をしていたんだけど、その母より、早く亡くなってしまったわ……。今はもう焼けた部分は直してあるけど、この家で昔火事があったの。父は私を逃がして、自分は死んでしまったのよ。ちょっと曰く付きの家でごめんね」
苦笑した数瀬を見て、僕は以前この国で僕が殺そうとした不死者狩りの青年について思い出し、あの青年が死んでいてよかったと思うと同時に、数瀬が何も知らないことに安堵した。
安堵した時初めて、僕は僕の心が空っぽではなくなっている事に気がついた。
なにせ、安堵したのは、数瀬に嫌われたくないからだ。
僕は当初、僕を好きな相手の存在が好ましくて、たまには恋人を作るのもよいかと考えていただけなのだが、どうやらきちんと好きになっていたらしい。
「さ、入ってくれ」
「うん」
促されて中へと行く。いつか左目で見たリビングとは、火災で燃えたからなのか、雰囲気が異なっていた。きょろきょろと、今度は顔についている両目で周囲を見ていた時、僕は後ろから抱きつかれた。
「あのね……その……私は、ずっとシたかったの」
それが性行為の事だと僕はすぐに理解した。
付き合って三ヶ月になるが、まだ僕達は体を重ねていない。
僕は体の向きを反転させ、正面から数瀬を見た。情欲の滲んだ瞳は美しい。ぺろりと僕は唇を舐めた。好きだと自覚した今、僕もまた彼女が欲しかった。
「いいよ」
こうして僕達は、その足で寝室へと移動した。
困惑と羞恥が綯い交ぜのような顔をしている数瀬は、本当に艶っぽい。彼女の色気が僕は大好きみたいだ。二本の指先で、僕は数瀬の顎を持ち上げてみる。すると目に見えて体を硬くしたのが分かった。
「嫌なら無理にはしないけど」
「嫌じゃない」
僕の言葉に、小声で答えた数瀬の顔が朱くなった。僕は数瀬のシャツの首元に手をかける。そして服を乱すしつつ、抵抗しない数瀬を見る。彼女は真っ赤なままで僕を見つめていた。
「な、なんだか恥ずかしいね……」
どうやらこういった事柄には、あまり耐性が無いらしい。そんな彼女が愛らしく思えて、僕は思わずニヤリと口角を持ち上げる。そのまま服を開けて、僕は数瀬を寝台へと押し倒した。数瀬は抵抗せずに、真っ赤なままで僕を見上げている。その首の筋をぺろりと舐めてから、僕は鎖骨の少し上に口づけた。
――とても気持ちの良いSEXだった。
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