不死者狩りは殺さなければならない。
水鳴諒
第1話
心が空っぽになる事は、よくある。空虚、というそうだ。けれど言語化する事に、僕は意味を見いだせない。
けれどいつしか、僕の心はもう記憶にないくらい昔から動かなくなっていて、ずっと空っぽだと、最近自覚するに至った。
今僕は、日本という国に来て、ある程度栄えた地方都市の高級ホテルの最上階にいる。年単位で宿泊しているこの部屋が、現在の僕の家だ。僕は一所にとどまる事を由とはしない。僕が老化しないと露見すれば、奇異の目で見られ、時には追い立てられ、悪くすれば他害されると知っているからだ。
僕のように黄金の林檎を食べた者は、不死者となる。不死者は基本的に不老だ。
僕が黄金の林檎を食べたのは、1880年代のこと。ヴィクトリア朝の末期だ。
英国にいた僕は、連日シャーロック・ホームズが華々しい活躍をしているという報道が載る新聞を目にしていた。アイロンをかけてくれていたのは、当時の僕の執事である。彼はとうに鬼籍に入った。一度だけ、僕はホームズとワトソンに会ったことがある。偶然僕は、モリアーティ教授と話をしたことがあり、二人がその会話の内容を聞きにきたのである。だがもう今となっては、僕はなんと答えたのだったか覚えていない。
その後僕は様々な国を渡り歩き、多くの言語を取得した。この国に来るのも四度目であるから、僕は流暢に日本語を操れる自信がある。元々ダークブラウンの髪も染めたといえば不審には思われないし、髪よりも濃い茶の瞳に関しても、特に指摘はされない。
日本人は、都会になればなるほど、他者に無関心になり、よそよそしくなる。
そして地方に行けば行くほど、内の概念が強まり、他人を注視するようになる。
だから僕はその中間の、地方都市にて、普通の人間に紛れている。
日本に来た目的? そんなものは特にない。
次に何処に行くのか? まだ考えていない。いつも気まぐれに、僕は移動している。
だが、ただ一つだけ気をつけなければならないことがある。
不死者狩りには、注意をしなければならない。
彼らは、容赦なく不死者を殺す。当然、不死者は死なない。不死者狩りに捕まれば最後、殺されては、往き帰り、また殺されては生き返るという、無限に繰り返される死と再生が待ち受けている。よって、それを回避するには、不死者狩りを見つけたら、先にこちらが殺めてしまうのが安全だ。なにせ彼らには死がある。
さて、ケータリングでも頼もうか。
不死者であっても、元は人間であるから、身体機能は変わらないし、空腹感は覚える。
僕が比較的この国が好きな理由は、食事が美味しいからだ。
フロントに電話をかけ、外の店からシェフを招くことにした。この部屋には、簡易なキッチンも備え付けられている。ソファに座って、三十分ほど待っていると、インターフォンの音がした。立ち上がり、僕はドアへと向かう。すると背の高い青年が立っていた。目元が優しげで、唇の両端では弧を描いている。僕はその顔を見ていたものだから、彼が右手に持っているスタンガンには気づいていなかった。直後、衝撃が走り、僕の意識は暗転した。
「……っ」
目を覚ますと、僕は湿っぽいくらい部屋にいた。
どこにいるのか分からないでいると、俯けば自分の体が白いベルトで拘束されているのが分かった。自由になる首で見渡せば、上方に鉄格子の嵌まる小さな四角窓があり、ここが地下室なのだと理解した。僕は椅子に座っている状態だが、足には鉄の輪が嵌められているし、手首もそれは同じだ。
「起きたか」
見れば先程訪れた青年が立っていた。既にその表情には、優しさの欠片もない。無表情と言うに相応しい。
「黄金の林檎は何処にある?」
「……」
ああ、と、理解した。不死者狩りの第一声の多くは、これだ。
「話すまで、死んでもらう」
こうして、僕は殺される事になった。
まずは鼻だった。彼が手にした鋭利なナイフは銀色だったが、僕の鼻を削ぎ落としたとき、赤く濡れた。血が飛び散る感覚がする。不死者にも痛覚はある。痛みに僕の目からは、透明な雫が零れ落ちていく。それが流れ出る血と混じり合い、顔を伝って僕の白い服を汚しはじめた。恐らく僕は悲鳴を上げたが、それがどのような声なのかを三半規管は受け止めきれず、自分でも分からない。次は、右手の指だった。小指から始まり、まずは肉をえぐり取られる。それから骨を折られた。次は薬指、中指、人差し指、そうして親指が切断され、無機質なコンクリートの床に落ちる。指の無くなった手の甲をもたれ、次は手首を切り裂かれた。縦に真っ直ぐ、ナイフが走る。最初は黄色い脂肪が見え、それをさらに深く切ると、肉が露出し、最終的に血管が傷つけられると、二本の骨の間をナイフが抉った。
飛び散る血液は、僕に死を齎した。
よく、手首を切っても死なないと言うが、ここまで深く切られれば、普通に致命傷になる。次に僕が目を覚ました時、まだ手はそのまま指が無い状態だった。僕が俯いていると、次は左手に同じ事をされた。
「黄金の林檎はどこだ?」
足の肉をバラバラに削ぎ落とされながら、僕は再度問われた。
僕は何も答えない。痛みに由来する悲鳴で喉を震わせることしか出来ない。
最初は足の親指を切断された。それから足首が床へと放り投げられる。
次に彼は、僕の鎖骨の間から、へその辺りまで、正面から開腹した。そしてナイフを左手に持ち替え、ぐっと彼の右手を僕の中へ入れ、胃を掴んで無理矢理取り出した。僕は紅く染まっている胃が、血液が落下するにつれ、てらてらした桃色の状態で、ピクピク動いているのを見た。肺や腎臓、肝臓、大腸、小腸――最後に心臓を握られ、放り投げられる。
その後腕から切り落とされて、足は太股の付け根から切断され、右の眼球を引っ張り出され放り投げられる。そして首を切られた。
彼は僕の髪を掴んで、生首を持ち上げる。
両耳と、左目、そして脳は無事だ。
「答えるまで、容赦はしない」
そう言いながら歩き、彼は僕の首から上を連れて地下室から外に出た。
階段を上がっていくと、庭があった。
土があり、周囲には花が咲いている。小鳥の囀りが聞こえ、蝶が舞っている。現在は春だが、それを主張するかのような美しい庭だった。
「暫く、よく考えることだな。言うか、言わないか」
彼はそう言うと、土の上に、僕の首を置いた。
そのまま――僕の体は野ざらしにされた。まだ脳は無事であるが、右目が潰れているため、左目だけでは、自分の身体状況を正確には判断できなかった。だが、庭にいるのだけは、髪を掴まれ揺れていた時に、嫌というほど理解していた。幸いなのは、不死の効果で、次第に痛みが治まってきたことだろうか。
僕は自分意思で動かせる箇所が今では左の眼球だけだと理解した。もう今は鼻も唇も無いのだから。
内心で僕は考える。
まだ耳があるから、僕の聴覚は生きている。三半規管は無事だった。
ざわりざわりと、最初に音がしたのは、その耳においてだ。
――何だ……?
残った左目を動かそうと試みて、僕は気づいた。何かがその左目の上に止まったことに。それは、蟻だった。気づいた瞬間怖気が走った。僕の目に大映しになった蟻の腹と足を嫌でも凝視するしかない。続いて、耳部分の穴から進んでくる『ナニカ』の正体も、同一だと気が付いた。蟻が僕の耳の中へと入ってこようとしている。
僕の朽ちた体の中の残っている脳という生体部分を目指して、餌を求めた蟻が進んでいく。その後、露出した鼻の穴とそこから覗く肉へと、蟻は集まり始めた。絶望から震えそうになったが、無論震えるような体はない。ただ意識的に、本能的な恐怖を覚えているに過ぎない。
――嫌だ、止めろ……嫌だ!
叫び出したくなったが、既に唇も無い。口腔の歯こそ無事だが、声帯は既に無いのだから、声など出ない。
蟻から始まり、虫が代わる代わる群がり始める。
数日もした頃には、それらは鳥に変化した。
コツンコツンと嘴で、鴉が僕の頭部を破壊しようとしている。虫により既に蝕まれており一部の腐敗が始まっている脳の臭いに、引き寄せられて訪れたらしい。耳から侵入した蟻により、左目の視神経も破壊されたため、既に外部を見ることができなくなっていた僕は、逆に幸いだと思った。生きながらに脳を啄まれる恐怖など、視覚で感じ取ったら耐えられるはずもない。時折砂嵐が混じるようにして視力が復活すると、それに逆に恐怖してしまう。早く視力が完全に無くなってほしいという思いの方が圧倒的に大きかった。
痛みが無い分、音と振動による刺激からの知覚は露骨で、その後、鴉の嘴で破壊されて脳が外界に露出した時には、僕は発狂しそうになった。
淡い桃色の脳に、鴉が嘴を突き立てた。
生きながらに脳漿を啜られたのが、僕の最後に認識した出来事である。
その後、絶命した僕の脳には蛆がわき、蛾が巣立っていく。
これが、一つの地獄の終焉でもあった。
――だが、それから少しして、僕の体の再生が始まることとなる。
恐らく今回の不死者狩りの青年は、不死者狩りに慣れていない。不死者の体を解体すれば、そのそれぞれの肉片や血液までもが、再生のために、脳のある頭部の元へと移動をはじめる。僕は地下にそのまま放置されている右目と、頭部にある左目で、視覚的に世界を見る事が出来るようになり、知肉では、独特の感覚で世界を識ることができるようになった。地下室は、実に無防備なことに、鍵さえかけられて折らず、落下している手で、自分の胴体の拘束を外すのは、非常に易いことだった。僕の知肉や内臓は、胴体にきちんと戻っていく。こうして僕は、左目以外全て元の人体とし、頭部のある庭までそれが自動的に引き寄せられるように歩いてくるのを確認した。ただ左目だけは、相手の情報を探るべく、地下室の上の家屋へと忍ばせた。
――不死者狩りは、殺しておかないとまたやってくるのだから。
視神経を引きずりながら左の眼球は、青年の姿をひっそりと探した。
するとキッチンで、柔和に笑った青年が、少女の頭を撫でていた。
「お前は自慢の娘だよ」
どうやら子供がいるようだ。幸せな家庭生活を営んでいる場所で、猟奇的な殺害を行う神経を僕は疑いつつ、左目を庭へと呼び寄せ、完全に元通りの体とした。さて、どうやって殺害しようか。子供には罪もない。青年だけを殺害したい。僕は比較的善良だと自負している。
――まぁ、いいか。
だが、僕は面倒事はさらに嫌いだった。だからその家に火を放ち、その場を後にした。あるいは逃げ出されるかもしれないと思ったが、時間は稼げるだろうから、別の国へと逃げてしまおう。
その後僕は、パリへと向かった。
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