第16話 恋
ロータリーにぞんざいに車を停めた俺は、乱暴に扉を閉めて駆け出した。
駅の入り口からはゾロゾロと人が流れ出てきて、誰もが流れに逆らって走る俺に迷惑そうな視線を向ける。改札のある二階フロアへ向かう階段を二段飛ばしで駆け上りながら、俺は周囲をきょろきょろと見回した。頼りない肩に黒いリュックサックを背負っているはずの青年は一向に見つからない。
「行ってきます」とアパートを出ていくあおいの後ろ姿を思い出す。「行ってきます」と言ったからには帰ってくるのだと思っていた。いずれ離れ離れになる時が来たとしても、少なくともあと一度は、あの部屋で一緒にご飯を食べることができると思っていた。「ただいま」を聞けないかもしれないなんて、考えもしなかった。
改札前に着いた。
膝に手を着いて息を整えながら、改札の奥に目を凝らす。ホーム側からやってくる人混みの中に見覚えのある金髪が見えた。その瞬間、俺は思わずその場にしゃがみ込んだ。
「ママー、あのおにーちゃんどうしたの?」
「ママー、あのおにーちゃん汗すごいよー」
前を通る子どもたちが口々に俺を指さす。皆が少しずつ俺を避けるので、周囲には半径一メートルほどの円ができていた。数分後、その円の中に、彼は大慌てで駆け込んできた。
「どうしたのっ? 具合悪い?」
困り顔でまわり込んでくるあおいの手首をぐっと掴み、俺は来た道を全力で戻った。時々つんのめりながら困惑するあおいを無理矢理助手席に押し込めて発進する。来た時よりは速度を落として、安全だけれど出来るだけ早く家に着く速さで車を走らせる。
アパートに着いた俺は扉を閉めて、あおいの華奢な
「何? ベッドがいい?」
「そう、じゃない、って! ちょっと、ストップストップ!」
下着の上からまさぐっていた右手を掴まれる。あおいは真っ赤に染まったぐちゃぐちゃの顔で俺を見下ろした。
「急にどうしたの? けいちゃん、俺のこと別に好きじゃないでしょ」
「好きだよ」
「恋なんてわからないって言ってたじゃん」
「うん」
「じゃあやめてよ。俺が可哀想だからとか、そんな理由なら嫌だ」
「そんなんじゃない」
あおいが涙の滲んだ大きな瞳で俺を見た。
「お前がいなくなったら嫌だと思った。これが恋ならいいなって――初めて思えたんだよ」
相変わらず、キスもセックスもよくわからない。自分が気持ちよくなるためにしたいとはあまり思わない。でもあおいを気持ちよくするためならいくらでもしたいと思った。あおいがいなくなるのが怖い。そばにいてほしい。頭を撫でさせてほしい。抱きしめさせてほしい。
これが『恋』で、俺とあおいの間に名前がついたらどれだけ幸せだろうと思った。それで彼と一緒にいれるのなら、どれだけ世間と違っていても構わない。
「好きだよ。あおい」
ささやいてキスをする。柔らかい髪を撫でると、あおいはくすぐったそうに身をよじった。
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