第13話 青い果実

「で、どうすんの?」



 ぐびっと缶ビールを飲み干して向かいの若松が言った。問いかけられた俺は頭を左右に振ってこたつに額を着ける。もう何も考えたくない。お手上げだ。



「久しぶりに再会した幼馴染にキスされて、告白されたんだろ。ラノベみたいでいいじゃん。何をそんなに悩むんだか」



 もう一ヶ月近くうだうだしている俺が面倒になってきたのか、若松の言葉は少しぞんざいだ。近くにあったカワウソのぬいぐるみをこちらに向け「いつまでも待たせて、相手の子、カワウソー」と下手な腹話術でからかってくる。相手の子っていうか、あおいなんですけどね、と心の中で呟く。さすがにそこまでは話せなかった。ついでに、女の子の幼馴染という体になっている。



 今日の若松のTシャツはお馴染みのゴーヤよりも一層気の抜けた顔のマングース柄だ。持ち主ののんきな態度と合わさって無性に腹が立つ。



「なあ、うじうじ考えてるより外に出た方が楽しいぜ。明日一緒にシンハツに行こう」



 『シンハツ』とは若松が変な柄のTシャツを買いまくっている『万屋新発見よろずやしんはっけん』のことである。ヨボヨボのおばあちゃんが経営している個人商店で、駄菓子、文房具、衣料品、小型家電、子ども向けおもちゃから大人向けオモチャまで、ありとあらゆる種類の商品が小さな店内にひしめき合っているのだ。仕入れ元も謎、おばあちゃんの年齢も謎、買いに来る客も若松を筆頭に一癖も二癖もあるような人間ばかりで、俺は密かに『魔窟まくつ』と呼んでいる。



「泊まってくんだろ。あおいくんいないんじゃ寂しいもんな」

「そういうお前は奥さんの実家行かなくていいのか?」

「いいのいいの。子どもがいるわけじゃないし」



 八月半ば、ちょうどお盆の時期である。あおいも若松の奥さんも実家に帰ってしまったため、残された俺と若松は二人で飲むことにした。普段は俺の家ばかりなので今日は若松邸にお邪魔している。奥さんが綺麗好きなのか、玄関も居間もキッチンもピカピカだった。しかし若松の私室は、おそらく『シンハツ』で買ったであろう骨董品や置物、ファッション小物類、更には若松の仕事道具であるパソコンや辞書、図鑑などが無造作に散らばり、時に積み上がって層を成していた。若松曰く私室に関しては虫さえ湧かなければどんなに散らかっていても許される決まりになっているらしい。



「圭人も吸う?」



 若松がベランダの扉を開けながら煙草を一本差し出してきた。



「いらない。でも一人で残ってても暇だから着いてくよ」

「オッケー。受動喫煙コースね」



 嫌な言い方だ。絶対風上に行こう。



 俺はベランダに出ると、瞬時に風を読み風上に立った。俺の意図を知ってか知らずか、若松は小さく笑った。



「いやーでも、何が恋かどうかなんて考えたこともなかった。物心ついた時から恋は恋だったしなあ」

「幸せなやつ」

「まあね。俺は幸せだよ。んで、あんたも幸せだ。こんなに幸せな俺と友だちなんだから」



 若松の世界はどこまでも自分を中心に回っているようだ。



 二人でベランダの手すりに体を預け、ぼんやりと街の灯りを眺める。こうして若松と並んでいると高校生の頃を思い出す。



 若松と初めて話したのは高校一年生の冬だった。



「右、右、左」



 体育館裏から声が聞こえてきて振り返ると、そこに一人の男子生徒が立っていた。最初に目に入ったのは履き潰されたスニーカーだ。普通の男子高校生なら履くことを躊躇うような、モフモフの白猫が描かれた可愛らしいスニーカーだった。



「七月に一人、十月に一人、今が一月で、これで三人目だ。今回は左利きだったね。君なんでいつもここでフラれるの?」



 彼の名前はすぐにわかった。三組の若松だ。学年きっての変人で噂の絶えない奴だった。



「ほっぺ、大丈夫?」



 若松は俺に近づくと、体をかがめて俺の右の頬を覗き込んだ。



「あんたこそ、校則大丈夫?」



 若松の手に握られた煙草に視線をやりながら俺は尋ねた。校則どころか法律違反である。



「金曜日の五限は安全だから大丈夫」

「まだ昼休みだけど」

「でももうチャイム鳴るよ」



 その瞬間、チャイムが鳴った。若松が「ほらね」と得意そうな顔で笑った。



「サボるならこっちに来なよ。そんな顔じゃ戻れないでしょ」



 図星である。平手の跡がついた自分の右頬を想像して「こんな顔じゃ戻れないな」と考えていたところだった。



 体育館裏に若松と並んで座った。目の前には等間隔で桜の木が並び、太い幹から血管のように枝が伸びている。枯れ枝の隙間からは雲一つない薄青の空が見えた。



 びゅーっと横風が吹いて若松の煙草の煙がこちらに流れた。独特の苦味を感じる香りが鼻先を掠めて顔をしかめたが、若松は気にせず煙草を吸い続けた。



「で、君は『ソツギョウ』できたわけ?」

「俺まだ一年生なんだけど」

「そういう意味じゃないって。わかるでしょー」



 俺は心の中で舌打ちをした。本当に音が出たかもしれない。



「そういう話嫌いなんだ。ごめんだけど、他を当たってくれない?」

「そういう話だけじゃないでしょ」



 若松はじいっとこちらを見つめて――次の瞬間、言い放った。



「恋愛に浮かれる社会が、君は大嫌いなんだ」



 俺は顔を上げて若松を見つめ返した。自分の顔から血の気が引いていくのがわかった。「告白してくる女の子たちにもそうやって言えばいいのに」と言いながら、若松は煙を吐いた。



「人を好きになれないってわかってるのに付き合うなんて、酷い男だよね」

「決めつけんな」



 吐き捨てて立ち上がろうとする俺の右手を若松が掴んだ。



「ね、友達になろうよ」



 冗談だと思った。



「冗談だろ」



 口にも出ていた。そんな俺を見て、若松はけたけた笑った。



「だって君、面白そうなんだもん」





「……お前さ、高校の時、どうして俺に声かけたんだ?」



 俺が聞くと、若松は言った。



「面白そうだったから」

「だから、どうして面白そうだと思ったんだ? 一回も話したことなかっただろ」

「だって、ねえ。一年に三回もおんなじ場所で告白されておんなじ場所で振られる奴なんて、面白いに決まってるでしょ」



 若松はふーっと煙を吐くと、「しかも毎回平手打ちされてるし」と思い出し笑いをしながら付け加えた。冷静にそう言われると、確かに面白さしかないな、と妙に納得してしまった。



「俺あの時お笑いにハマってたんだよね。コイツとコンビ組んで東京行ってテッペン取るのいいかも、とか思ってたんだけど、いざ関わったらクソ真面目で全然面白くなくて逆に笑っちゃった」

「悪かったな」



 真面目だ、とよく言われる。見た目はそこそこ整えていてノリも悪くないはずなのになぜだろうか。お前と居てもつまらないと言われているようで、あまり好きではない。



「あー、また難しいこと考えてるでしょ」



 にやついた若松の顔が目の前に迫る。俺は瞳を細めて思い切りため息をついた。



「お前はもう少し考えろよ」

「何を?」

「色々だよ。色々」

「悩む必要のないことで悩んだって時間の無駄だよ。もっと言えば何を悩むべきかで悩むのなんて、この世で一番無駄なことじゃない?」

「……お前だってりんごが青く見えたら、びっくりして悩むだろ」



 「ハッ」と鼻で笑って、若松は得意げに言った。



「悩まねーよ。りんごは青い。それだけだ」

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