第7話 言の葉

 げほっ、げほっ。



 酷い咳が聞こえる。目を開けるが、天井がぐにゃりと曲がったので慌ててまぶたを閉じた。喉が痛い。どうやら咳は自分から出ているようだ。頭も痛い。状況を把握しようとなんとかもう一度目を開ける。寝室の天井が見えた。ベッドに寝ているらしい。



 頭を整理する。若松が帰った後の記憶がない。あおいはどこにいるのだろうか。



 ゆっくり立ち上がって壁伝いに居間を目指す。ドアを開けると、キッチンの方から微かに物音が聞こえてきた。



「あおい?」



 呼びかけるが返事はない。キッチンまでゆっくり進み、開けっぱなしの扉からそっと覗き込む。



「あおい」

「うわ!」



 きのこを手で分けていたあおいが目を丸くしてこちらを見た。



「起きちゃだめだよ。寝てなきゃ」

「何作ってるんだ?」

「おかゆと味噌汁」

「いいな。俺きのこ好きだし」

「知ってる。いいから寝ててよ」



 あおいにぐいぐいと背中を押されて、再び寝室に戻される。



「けいちゃん、多分エアコンで風邪ひいたんだよ。できたら呼ぶから大人しく寝てて」



 ふらふらとベッドに倒れ込んだ俺は、タオルケットでぐるぐる巻きにされた。また頭がぼーっとしてくる。部屋を出ていくあおいに声をかける。



「そこ、開けてって」

「えー。でもあっち、エアコンついてるから寒いよ」

「じゃあ少しでいいから」



 あおいは渋々といった感じで十センチほどドアを開けて部屋を出ていった。しばらくすると、とんとんとん、と包丁で何かを切る音が聞こえてくる。夏休みに並んで料理をする母と祖母の背中を思い出した――ばあちゃん、死んだな。ふと思った瞬間、涙が滲んだ。



「けいちゃーん、できたよ」



 あおいの声がする。声が震えそうで返事ができない。これはもう顔を隠して寝たふりをするしかない。



「けいちゃん、できたよ。けいちゃん?」



 部屋に入ったあおいが肩を揺すってくる。



「……泣いてる?」



 尋ねられて、動揺した。部屋の電気は消えているから涙は見えないはずだ。顔を見られたくなくて、反射的に細い肩を抱き寄せていた。



「うわ、どうしたの?」



 顔を覗き込もうとしてくるあおいの体を無理矢理抱き込む。顔は見られたくない。でも、そばにいてほしかった。



「ご飯冷めちゃうよ」



 消え入りそうな声で抗議するあおいの体が熱い。熱が出ているから自分の体も熱いだろう。急に抱き締めるなんて、後でどうやって言い訳すればいいだろうか。思考がぐるぐる回る。成り行きに任せるしかない。



 俺はあおいから体を離した。目を白黒させるあおいに「ごめん」と謝る。あおいは何か言いたげに口を開いたが、結局何も言わずに、困ったように微笑んだ。



「ご飯食べよう」



 うなずいて食卓に向かう。お粥からも味噌汁からも白い湯気が立っていておいしそうだ。手を合わせてから味噌汁を一口飲むと、少し変わった味がする。



「味噌切れてたから新しいやつ買ってきたんだ。どう?」

「いつもと違う味がする」

「しょっぱい? 甘い?」

「甘いかしょっぱいかで言ったらしょっぱい」

「だよね。結構香ばしくていい感じじゃない?」



 真剣に見つめられるが、首を捻ってしまう。味噌の香ばしさなんて考えたこともなかった。



「けいちゃんは感じたことをもっと言葉にしてもいいと思うなあ」

「言葉にするほど大したことを感じていないからさ」

「違うよ。言葉にするから感じられるんだよ。言葉と思考はつながってるから、言葉が先でもいいんだよ」



 ああ、そういうの、なんていうんだっけ。



「俺には難しいな」

「真剣に言ってるのに」



 あおいはむくれてお粥をガツガツ食べ始めた。俺もお粥に手を伸ばす。ちょうどいい塩加減だ。



「おいしい。ありがとう」



 俺の言葉を聞くとあおいはついと視線を逸らした。正面からお礼を言われて照れたのか、耳を赤くしてやりづらそうにしている。自分から言葉にしろと言ったくせに、難儀なんぎなやつだ。



 にやにやしていると「早く食べてよ。冷めちゃうよ」と怒られてしまった。

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