第16話 嫉妬心があります


 食べて遊んで、食べて遊んで。

 今のところ、この日が大学に入って一番楽しい一日だったと思う。

 水鉄砲でずぶ濡れて、演劇部の漫才で大笑いして、ビンゴ大会だの巨大神経衰弱だの。日が暮れて花火までして、ようやくテントに二人を残して三上のベンツに乗り込んだ。



「それで? あの二人になにがあったの?」

 三上があれからずーっと気になっていたんだろうと思うと笑ってしまった。

「三上の家に住んでるって言ったんだ」

「えっ?」

 三上の顔が完全に俺を見た。

「前見て」

「二人に言ったんだ」

「ダメだった?」

「いや、そうじゃないけど」

「ないけど?」

「それが理由で態度が軟化した意味が分からないかな」

 まあそれはそうだろう。

「俺にどうしても三上が必要で、そうしてもらったって言ったからかな」

 すっかり居心地のよくなった高級シートに沈み込んで、軽い疲労感を吐き出す。

「事実と違うね」

「いいや、実はそうだったんだよ」

「そうだったんだ」

「うん」

 静まった車内にニュースを読む男性の声が響く。

「ありがとな、俺のそばにいてくれて」

「うん……」

 三上が少し戸惑っている。今日が楽しくて、俺のテンションが少しおかしいせいかな。

 もう俺も好きだって言っちゃおうかな。後でも先でもおんなじだよな。どうせ三上が好きだ。

「どうして二人に話したの?」

 三上の言葉にえっとなる。まだそこが気になるのか。

「俺のせいで二人と三上の仲が微妙なのは嫌だから」

「二人が大切なんだ」

「そう、三人とも大切なんだよ」

 言うと三上はまた黙ってしまった。



 帰りに俺の家に寄った。

 蒸し暑い部屋の空気を入れ替えて、郵便物をチェックして、着替えを少し追加した。

 三上が本棚に手を置いてジッとしている。

 真ん中の棚に広之がくれたお土産たちが並んでいて、どうしたのと三上を見上げているようで、俺はなぜだか謝りたいような気持ちになった。

 窓を閉めて、「いいよ」と声を掛けた。

 帰りの車の中も、三上は引き続き無口だった。

 なにを考えているんだろう。気になったけど、さっきの部屋での姿を思い出して、なんて言っていいかは分からなかった。



 三上の家に帰ってシャワーを浴びて、俺が上がると三上はお酒を開けていた。

 首にタオルを掛けたまま、俺にも一本開けてくれる。

「ありがとう」

 スッキリした体にグレープフルーツサワーが染み渡る。

 テレビを付けて、なんでもないトークバラエティを見て、三上は珍しく酒を飲み進め、俺にもよく勧めた。

 ぽつぽつと会話はあるものの、明らかにいつもの三上ではない。何を考えてるんだろう。

 本当だ、相手が無口だとこんなにそわそわする。三上もそうだったんだろうな。その上話してる途中で飛んでっちゃって。失礼過ぎる。

 俺の気持ちが後悔に染まり始めた途端、三上が口を開いた。

「俺、まだ友也が足りない」

「え?」

 ハーフパンツから伸びる長い脚が、俺の脚に触れた。

「毎日一緒にいて、友也はなんでも話してくれるようになったし、キスして、抱きしめて眠ってるのに、まだ物足りないって感じる」

「南と綾部がなにか問題?」

 三上は首を横に振った。

「二人が友也の大切な友人なのは分かった。俺のことも認めてくれたみたいだしね」

「そう、だね」

 二人に認めてもらう必要はないと言えばないんだけど。

「俺、あの部屋が気になってるんだ」

 ハッとする俺の横で、三上の目が遠くを見ている。

「友也の親友のあの部屋が……いや違うな。友也の親友が、か」

 500mlのビールが軽い音を立ててテーブルに置かれた。

「早くあの部屋から荷物を引き揚げたい。友也の全部を俺の見えるところに置いておきたい」

 三上の少し寂しそうな目が俺を見て、心臓がひとつ痛く鳴った。

「俺、友也にあんな部屋を作らせた広之くんが憎らしいんだ」


 一瞬思考が止まってしまった。

「ごめん。こんなの自分じゃないみたいですごく怖いよ。こんな風に思ってることも本当は知られたくない。亡くなった人にこんなこと。でも、友也が心をどこかへやるたびに彼の存在に嫉妬する」

「三上」

 伸ばした俺の手に三上は口付けをしなかった。そのまま手が引かれて抱き寄せられる。目を合わせたまま、ずるずるとソファーに押し倒された。

「友也はあそこに何を閉じ込めたの?」

 悲しい顔の三上に、心臓がドキドキと鳴る。

 黙る俺の首にキスが落ちてきて、手のひらがシャツの下に入ってくる。

「待って」

 止める言葉には効果がない。シャツを捲られて、熱い手のひらが腹から胸を撫であげてくる。

「三上、待って」

「嫌だ」

 酔って鈍くなった体は三上を押しのけられない。押しのける気が無いのかもしれないけど。

「友也」

 呼びかけに反応する前にキスが来て、口の中に舌が入ってくる。三上の舌は薄くてぺらぺらとしている気がする。

「ん」

 動揺のせいかすぐにキスに限界が来る。恥ずかしいような、胸が苦しいような感じになって、逃れようと顎を引こうとする。けれどもわかっているように三上の手が俺の顎先を掴んで逃げられない。

 三上の重みが肺をつぶしてきて、上手くキスも受けられない。口内も、唇も、重なる体も熱くてしょうがない。何も思うとおりにならなくて情けない気持ちになっていると、急に唇が離れて慌てて息をした。

 濡れた唇は触れ合ったままで、体温が上がりすぎて冷房が寒いほどだった。

「あの部屋で広之くんと何した?」

 何もしてない。何もできなかった。一人だった。

 首を振る俺を悲しそうな目が見下ろす。

「教えて友也」

 強く首に吸いつかれて、舌先が鎖骨を辿っていく。きつく抱きしめられて息が苦しい。

 感情が右往左往していた。怒ってやりたいような、恥ずかしいような、少し悲しくて、怖いような気もしているし、でもその恐怖は、どちらかというと気持ちよくなってしまいそうな自分への恐怖だ。

「怒ってる?」

 聞かれても耳を甘く噛まれて、声をかみ殺すのに精一杯で言葉が出せない。

 酔っても三上は乱暴じゃない。でも迷うことなく今はもうズボンに手を掛けている。

「三上」

 首筋を嗅がれるだけでゾクゾクする。ボタンが外されて、首を吸われて、俺はもうどれを止めたらいいか分からなくなってしまった。

「したい」

「なにを」

「気持ちよくするから」

 懇願するように言われて、答える前に唇が吸われる。

 キスは俺の口を塞ぐためで、チャックを下ろされて躊躇いもなく股間に触れられる。自分の喉が言葉にならない音を出して、反射的な性欲をどうにかうやむやにしようと試みるものの、童貞とプレイボーイでは勝負にはならない。

「んーっ!」

 下着ごしにさすられて、恥ずかしさのあまり胸まで上がったシャツの裾で顔を覆った。

 三上の名前を呼んで、恥ずかしいのと気持ちがいいのを曖昧に訴える。

「友也は酔ってるんだよ」

 熱い手が服を剥いでいく。

 ああどうしよう、お別れを言ってからって思ってたのに。

 どう考えても遅すぎる気の迷いを頭から追い出す。

 下着に手が掛かって、堪らず三上の手を掴んだ。

「三上」

「嫌だよ、やめない。友也も俺が必要だろ?」

 温められた汗の匂いにクラクラする。

「それずるいよ」

「分かってるよ、ごめん」

 三上が服を脱ぎ捨てて、素肌が重なり合う。

「お酒を言い訳にしていいから、俺のものになって」

 それからあと幾つかの誘惑の呪文に負けて、俺は三上に身を任せた。


 首を甘く噛まれながら手でされるのは、ばかみたいに気持ちが良かった。

 簡単にいかされた童貞の俺は、いつの間にか三上のを触っていて、同じだけ良くしてやらなければいけないような気持ちになっている。

 他人の男性器に触れたい欲求は生まれてこのかた一度も無かったはずなのに、硬くなったそれを擦るたびに三上の口から聞き慣れない声が漏れてきて、自分がされている時よりもずっと興奮した。

「待って」

 いきそうになったのか、三上は俺の手を止めて腰を引くと、深く口を塞いできた。前に車でされたかったキスの妄想に限りなく近い。舌があいまいに絡まって、頭がぼうっとして、唇を吸われると眩暈がする。

 すっかり裸になって、押し付けあった三上の腰がセックスの時のように動き始めて、俺はもう声を止められなくなった。体の重みさえ気持ちがいい。決して激しくないのに、快感と興奮が身体を痺れさせていく。

「気持ちいい?」

 吐息ばかりのその声に、うんうんと頷く。

「ごめんね、もういきそうだ」

 三上の上ずった声で、俺も早くいってしまいたくなって、開いた脚で三上の腰を抱えた。

「それ、凄くかわいいな」

 三上が笑って俺の耳を噛んだ。

「いいからはやく」

 恥ずかしくて、でも気持ちが良くて、口を開いてキスをせがんだ。



「友也」

 一瞬、ずっと深く眠ってしまったのかと思うほど完全に意識を飛ばしていた。

 腰がもったりとして、弱い痺れに似た快感の残りが股関の辺りに纏わりついている。心臓は何事も無かったかのように落ち着いていて、ぼーっとした頬にキスが落ちてきた。

「気持ちよかった?」

 言われて今さら顔が熱くなった。

 恥じらう自分がさらに羞恥を誘って眉が歪んだ。

 三上はそんな俺を見て、「怒ってるの?」と心配した。

「怒ってないよ」

 お互いの体液を拭って、向かい合って横たわる。

「初めてだった?」

 それが男との行為のことなのか、行為自体のことなのかわからなかったけど、どちらにせよ答えは同じで「そうだよ」と返すと、三上の手が汗ばむ俺の前髪を掻き上げた。

「ごめん、どうしてもしたかったんだ。こんな風に思ったこと今まで一度だって無かったんだけど」

 三上は自分に驚いたように眉を上げたけど、もてると噂のある彼が言うと、ひどく罪深い言葉に思える。

「それ、あんまり信じてもらえないと思うよ」

「嘘じゃない。強引にしたことなんてなかった」

「なんで今日はそうした? お酒もたくさん飲ませたよな」

 三上はばつの悪そうな顔をして、顔面を手のひらでひと撫ですると、「子どもみたいな感情でいっぱいなんだ。恥ずかしいけど」と溜め息を吐いた。

「どんな?」

「俺だけを見てってやつ」

「それって」

「分かってるよ、だから恥ずかしい」

 愛おしいってこういう気持ちかな。両手で顔を覆った三上が可愛いと思った。

 膨らんで萎む肺に合わせて体がゆっくりと上下している。呼吸音が聞こえて、生きている三上隆三郎を眺める。

「あの部屋には何にもないんだよ」

「え?」

 驚く三上に笑って見せる。

「あれは、広之と共有できるはずだった未来のための空き領域なんだ」

「未来のための?」

 俺は頷いてシーツの上の三上の指に指先を絡める。

「でも、生きてる時からあんまり一緒にいられなかった。あの家で俺は大抵一人だった。学校でも時々孤独で。大学が始まる前は、もっと楽しいことがたくさんあるだろうって思ってたんだけど」

「寂しかったの?」

「うん。だから、あそこには何もない。あるはずだったのにっていう、そういう空間」

「そっか……」

 三上の目を見て、繋いだ手の甲に唇で触れた。三上の目がはっと開いて、大きな手が頬を撫でてくれる。腰を抱き寄せられて、「好きだよ」と言葉までくれる。

「どうして俺が好きなの?」

「わからないよ、ただ特別なんだ。今まで感じたことがない気持ちがする」

 なにそれくすぐったい。嬉しいけど。

「三上、初恋なんじゃない?」

「え?」

「嘘、だったらいいなって思っただけ」

 くすくす笑う俺を三上が不思議な顔で見る。

「友也って結構、甘いね」

「ん?」

 甘いってなんだろう。思いながら三上の顔を両手で掴んで、下唇に吸い付いた。

 途端に食べられてしまいそうなキスが俺を襲って、自分の口元がいやらしい音を立てて、恥ずかしさに縋り付いた。

 吐息が混ざって、重なる肌が湿り出す。

「色んな人と特別な経験してきたほうがいい?」

 俺がからかうと、三上はむうっと顔を歪めた。

「嫌だよ、俺だけ」

「それって独占欲っていうんじゃない?」

 再び俺の上に乗り上がってきた三上は、ちょっと優越感をくすぐられるほど普段の彼と違う顔をしている。

「認めるよ、俺にも独占欲があったみたい」

「そっか」

「なあ、気持ちよかった?」

 俺を二回もいかせておいて、三上が心配そうに表情を曇らせた。

 確かに不安な子どもみたいな顔をしてる。

 ごめんな、君には共有が必要なのに。

「頭の中も体も全部、三上のことしか感じられなくなって、凄く気持ちよかった」

 嬉しそうにする表情も子どもっぽくて可笑しい。

「またしてもいい?」

 まだ少し不安そうな眼差しに窺われて、また優越感がくすぐられる。

 自由な共有の代わりに、セックスがあってよかった。

「うん、して欲しい」

 途端、首に吸い付いてきた三上に「今とは言ってない!」と、背中をタップした。

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