第15話 友達って意味じゃないやつの好き


 八月に入った。

 あれから家には帰っていない。

 おじいさんを亡くした三上が感じたような、あの部屋で広之が待っている――というような感覚は、俺には湧いてこなかった。あの部屋は、俺が一人で待っていた場所だからだろう。

 ただ、閉ざされた広之の部屋は今も特別で、広之のためにある空き領域は、俺の中にまだ確かに存在している。そして、こうして三上と一緒に夏休みを過ごしていると、心のどこかで考えてしまう。広之とも、こんな風にできると思っていたって。


 一緒に暮らす準備をしているときは、毎日色んなことができるだろうって想像していた。

 高三になって広之とはクラスも変わったし、部活もそれぞれ部長になって、長く話せるのは夜の電話くらいだった。でも一緒に住むようになれば、学校にいるとき以外は一緒にいられる。朝晩顔を合わせて、お互いの私生活を晒しあって、親友よりももっと近い、家族みたいな存在になるんだと思っていた。

 一緒に買い物に行って、絶対使わない便利グッズを次から次へとカゴに入れていく広之に大笑いしながら、俺がひとつひとつ戻して、色違いの食器やカトラリー、バスタオルを入れていく。

「これじゃホントに同棲だよ」って俺が言って、「趣味が合うからしょうがない」って広之が言って。

 お互いの下手くそな手料理を食べて、くだらない遊びで夜更かしして、時々喧嘩したりもして。そうやって四年間を共有できるんだって、そう考えていた。

 でもそうはならなかった。

 そばにいないと疎遠になってしまうって広之は言ったけど、一緒にいられると思っていたのにそうじゃなかった現実は、もっとずっと寂しかった。

 でもあのときの俺は、将来の不安や、前を行く友人たちの眩しさに俯いていて、色んな心細さに紛れて、どれも正しく判別できていなかった。

 もし少しでも自分の気持ちに気がついていたら、何か変わっていたかな。もっと一緒に居たいんだけど! って言えていたら。

「友也」

 視線を上げると、眠っていたはずの三上の目が開いていて、俺を悲しそうに見ていた。

「俺が寝てるときに飛んでいくなよ」

 三上の顔が寄ってきて、額と額が触れ合う。

「飛んで行ってない。ここにいたよ」

「俺がそばにいるのに泣いてたの?」

「そばにいてくれるから、ここで泣いてる」

 俺が笑うと、三上も力なく笑った。

「そっか」

 鼻が触れて、唇が触れる。

 三上が俺を引き留めてくれていると分かってから、キスをされると甘えたくて堪らなくなる。キスの後にはハグがきて、三上の腕の中で体温を感じながら、じっと涙を眼球に馴染ませる。

「どこにもいかないで」

「うん」

 三上の大きなベッドの上で、毎日こうして眠っている。

 猫みたいに甘やかされて、優しくされて、包み込まれて。

 ちゃんと好きだって言ったほうがいいかな。

 でもそんな言葉が無くったって、三上は俺の人生に蓄積されている。そして彼の人生には俺が蓄積されている。まあつまり、三上の言うところのセックスの代替行為だ。

 湧き出した水が少しずつ満ちていくみたいに、三上がくれる安心感が俺の中で体積を増し、重心を安定させてくれる。

 今日の俺も明日の俺も、三上は知りたいって言ってくれる。ずっと先のことは分からない。でも、毎日明日もそうだと思えるだけで、こんなにも幸せだ。

「好きだよ」

 言葉が体の表面を撫でるように麻痺させて去っていく。

 俺は恥ずかしすぎて簡単にそんな言葉を使うことはできない。ただ頷くだけ。





 その日は大学のサークルが集まってのキャンプイベントだった。

 キャンプ場を一日貸し切って催される毎年の恒例イベントで、去年はバイトに重なっていたから参加することはできなかった。

 俺たちが到着した正午には、もういい匂いが駐車場にまで満ちていて、車から降りた途端ぐうぐうとお腹が鳴った。

 遠目にはまるでお祭りで、そこいら中で音楽が鳴り響き、ぐるりと円に並ぶテント、その真ん中にある噴水が、大きな子どもたちの格好の遊び場になっていた。

 雲が多いが晴れ間も見えて、とにかく暑い。

 歩いていると、みかくんみかくんと、色んな女の子が三上に声を掛けていく。

「元カノどの子?」

「いないよ」

 笑う三上に「本当かな」と返すと、さっと手を取られて甲にキスをされる。

「見られちゃうよ」

 俺が半歩離れると、三上は手を握ったままツンと拗ねた顔になる。

「ちょっと、見られちゃいたいかも」

「ええ?」

 驚いた俺の手をぱっと離して、三上がサンダルをポンと蹴り飛ばした。

「みんなに言いたい、友也が好きだって」

 三上はもう片方も蹴り飛ばして、芝生の上を裸足で歩いた。

「そうなの?」

「そう。みんなに友也が大好きなことを共有したい。あと、俺のだからどこにも連れて行かないでって言いたい」

「はえー」

 なるほどこれがキュンというやつか。

 確かに、三上は人との共有を人生の優先事項に置いていたんだった。俺のためにそれを我慢しているんだとしたら、それは俺の存在が三上を不幸にしているってことになるのかな。

「誰も俺なんか連れていかないよ」

 追いついたサンダルに足を引っ掛けて、三上が俺を振り返る。

 真剣な眼差しが、俺のキュンで詰まった胸を捕まえた。

 見上げる頬に指先が触れて、雲間から現れた日差しが熱を持った頬をジリジリと焼いてくる。

「友也はどう? 俺を──」

「友也ーー!!」

 南の声だ。

 三上の顔が悔しそうに歪んで、俺は噴き出してしまった。

「ちょうど良かったねー! 色々焼けてきてるよ!」

 俺たちを見つけてくれた南と綾部は、いつも以上に親友コーデが目立っていた。

 色違いのアウトドアハットにシューズ、カーキのハーフパンツに、去年のフェスで気に入ったって言っていたバンドの今年のライブTシャツを着ていた。

「ライブどうだった?」

「めちゃくちゃ良かったよ! 次は友也も連れて行くから!」

 南ががっちりと俺の肩を掴む。

「うん、分かった」

「あーもう帽子も被らないで、日に焼けちゃうよ」

 綾部がポケットから日焼け止めを出して、お節介おばちゃんみたいに俺の腕に塗り始めた。

「やあ三上くんこんにちは」

 慇懃さと他人行儀さを絶妙に織り交ぜた声色で、南が三上に声を掛けた。

「良かった。俺のこと見えてたんだね」

 三上が俺の後ろに立つ気配がする。

「でかいから視界から外すのは難しいね」

 綾部が俺の顔に日焼け止めを塗りながらにこやかに言う。

「毎日友也を構ってくれてありがとう」

「いいんだ、毎日とっても楽しいからね」

「へえ、友也はたのしんでるのかな?」

「え?! うん!」

「ふーん」

 三人に囲まれてとても暑い。

 普段あんなに優しい友人三人が、俺を挟むとどうしてこんなにギスギスしてしまうのか、俺は真面目に分からない。こんな調子で四人で旅行なんてできるんだろうか。心配だ。

「二人は今日いつまでいるの?」

 明るい声で空気を変えようと試みる。

「もちろん泊まっていくよ、来年は忙しいかもしれないしね。友也も泊まって行こうよ」

 むしろそうじゃなかったの? という表情で、綾部は俺の首に日焼け止めを塗っていく。 

「え、でも何も持ってきてないし」

「自転車でちょっと行けばコンビニもあるし、一晩くらいなんとでもなるよ!」

 南が、さあそうしようというように両手を広げた。

「えっと──」

「ごめんね、今日は友也、俺の家に泊まりだから」

 三上の両手が俺の肩に乗って、ぐいぐい来ていた二人の表情から愛想笑いが消えた。

「そうなの?」

 綾部の顔が無表情過ぎて怖い。

「う、うん」

「いつも友也の先約取ってごめんね。じゃ、俺なにか食べ物取ってくるから、三人で仲良くしてて」

 ぽんぽんと肩を叩かれて三上が行ってしまうと、沈黙した二人は俺の手を引いて、近くの木陰に三人で座った。

「本当に今日は泊まりなの?」

「えっと、うん」

「ふうん、仲良しだね」

「そう、だね」

 なんで俺は体育座りで詰められているんだろう。向き合う二人は目を背けたくなるほどの仏頂面だ。

 いやいや無理! こんな感じが続くのは嫌すぎる! 俺がちゃんと仲を取りもたないといけないんだ。絶対俺だ。

 あーどうしよう。いや、本当のことを言うのが一番間違いがないはずだ。だって三人はそもそもいい人たちなんだから。

「本当はさ、俺、先月末からずっと三上の家に泊まってるんだ」

「なんだって?!」

「誘拐?!」

 冗談じゃない表情で言うのはやめて欲しい。

「そういうんじゃなくて、俺が一人で居られなかったんだ」

 首を傾げた二人に、三上を部屋に上げたあの日の話をした。

「あそこにいるのは良くないってハッキリ言われた。俺も一周忌が近いからか、最近は自分でもわかるくらいちょっと不安定で」

「友也の部屋がそんなことになってたなんて知らなかったよ」

「ずうっと辛かったんだね」

 二人の手が俺の手を優しく握ってくれる。

「良くないって心のどこかでは分かってたのに、見ないふりしてたんだ。部屋も自分の精神状態にも。でも三上といると弱い自分が出てきちゃうっていうか」

「そんなに悪い男なのか」

「いや優しい人だからだよ!」

 いい加減にしろ南くん。

「友也は三上が好きなんだね」

 好きという言葉がトンと胸を叩いた。綾部が優しい顔で笑っている。

「うん」

 綾部の好きの詳細は分からないけど、そう。そういうことだと分かって欲しい。優しい三人が大好きだから、みんなで仲良くしたいんだよ。

「俺たちよりも三上がいいのか」

「え」

 なんで悔しそうなんだよ綾部。

「あのね……」

 どうにも二人にはややこしい嫉妬心があるらしい。俺はどうやら好きの詳細についても話すしかなさそうだった。

「その……二人に対するのとは好きが違うっていうか」

「どういうことよ」

 詰め寄る二人に口が閉じてしまいそうになる。でもこの二人に嘘は言いたくないし、それに話すなら二人がいい。

 俺は頑張って背筋を伸ばす。

「俺、自分でも最近まで自覚無かったんだけどさ!」

「うん?」

 俺を窺う二人の目にちょっと怯む。頑張れ俺。でもちょっと俯いちゃう。

「三上のこと、友達って意味じゃないやつの好き、みたいなんだよね」

「…………」

 沈黙の上をノリのいい流行り曲が響き渡る。

 背中を汗がたらたら流れ落ちていく。

「それ、恋人になれるって意味の好き?」

「そう」

 綾部の確認に頷きながらますます俯いて、ぎゅうっと芝を握って耐える。

 どうしよう、やっぱりひいちゃったかな。勝手に二人なら受け入れてくれるような気がしてたけど。

 恐る恐る顔を上げると、二人は今にも泣き出しそうなほど強く眉を寄せていた。

「え、ちょっと――」

「広之くんって、友也の恋人だった?」

「えっ」

 真っ白になった脳内に、綾部の言葉がくっきりとエコーした。

 ああ、二人はやっぱり三上とは違う。他の誰とも。

 こうして予想もしない角度から、いきなり俺を支えてくる。三上には言えない、吹っ切ったつもりで隠しただけの俺の失恋を見つけてしまう。でも違うよ、違う。恋人じゃなかった。

 たくさん首を横に振ったら、涙が落ちてしまった。

「友也!」

 二人に抱きしめられてやっと声が出た。

「違う、恋人じゃなかった」

「本当に?」

「うん。好きだってのも最近になって気がついたんだ。死んじゃってから」

「じゃあ余計につらいだろ!」

 南の容赦のないハグに涙が絞り出される。

「そんなこと言わないでよ、考えないようにしてたのに」

「あーもう友也ぁ」

 涙声の綾部に、涙が出るのに笑ってしまう。

 なんで二人はこんなに聡くて優しいのかな。

「今は、大丈夫だよ」

「そんなん絶対大丈夫じゃないから!!」

 ううん、二人のお陰で俺は大丈夫だよ。

 涙と三人の体温で、あっつくなってハグは解かれた。

 こんなお祭り騒ぎの中、三人で泣いている。ちょっと可笑しくなって、涙は意外とすぐに止まった。

 三人でTシャツで涙を拭って、綾部がよしよしと何度も俺を撫で回す。

「あーもう三上のクソったれ!」

 南が憎々しげに言い放った。なんでよ。

「三上には、広之が好きだったっていうのは言ってないんだ」

「どうして?」

 驚く南に、「そりゃ三上が好きだからだろ?」と綾部が目じりを掻きながら答える。

「それで三上は友也のことどう思ってるのさ」

「なんでかわかんないけど、俺が好きみたい」

「クソったれ!」

 どうしたらいいんだよこの二人は。

「まあでも、俺はまだそういう意味できちんと好きだって言えてないんだけど」

「なんで」

 俺は膝を抱えて、二人の後ろの大きな木の幹を見上げて、分岐する枝を目で追った。

「俺、広之のお葬式も見られなかった。だから、ちゃんと広之にお別れを言って、それからかなって。これは親友としての心残りだけど」

 順番を大切にしたいってわけじゃないけど、そうしないと三上にも失礼な気がする。とか言って、キスとかたくさんしてもらってるけど。

「そうだね、それがいいかもね」

 綾部がうんうんと頷いて、南も同意した。

 広之への思いを二人に共有してもらえた。これで俺の思いは無かったことにならない。元々ならないけど、でも一人で抱えてるのとは大きく違う。二人は事実だけじゃなくて、それに付随する感情も共有してくれた。二度も一緒に泣いてくれたことを俺は一生忘れないだろう。

「友也は、三上といて幸せになれそうか?」

 結婚するんじゃないんだからってつっこみたいけど、二人は至って真面目なので口には出せない。

「未来は分かんないけど、それを決めるのは俺がちゃんと立ち直れるかどうかだって思う。三上がそばにいて安心させてくれるから、今ちゃんと乗り越えようって思ってるよ」

「そっか」

 頷く二人に俺も頷いた。

「なんだよやっぱ三上のお陰かー」

 南が後ろに手をついて、やれやれと首を逸らした。

「友人と恋人じゃ影響力が違うよ。しゃーないさ」

「まーそれもそうか」

「ちょっと待ってよ! そんなことない!」

 俺は慌てて二人の腕を掴んだ。

「俺の中にはちゃんと二人がいるよ! さっきの話だって二人だからできた。船の上で二人が打ち明けてくれたこと、俺は一生忘れないよ」

 大学生になってすぐに至らない自分に気付かせてくれた。きちんと俺を立ち直らせるタイミングを作ってくれたのも二人だ。広之がいた時の俺と、失った時の俺を一番近くで見ていてくれたのは二人だけ。

「二人がいてくれて良かった。三上が好きなことも、こんなに簡単に言えるのは二人だからだよ。これからも二人には俺のこと知ってて欲しいから」

 どっちかじゃない。どっちの方がでもない。

「二人も三上も、俺には特別で大切なんだよ」

 俺の告白に二人の表情がひしゃげた。

「やべ、また泣きそう」

「俺も」

「やめてよ泣かないでよ。あとまだ恋人じゃないから」

「両思いじゃん」

「そ、そうかもだけど」

「てれてるうー」

「やめてよ!」

 三人で騒いでいると、向こうからバーベキュー串を二本ずつ両手に持った三上が歩いてくるのが見えた。脇にはペットボトルも挟まっている。俺は慌てて立ち上がった。

「遅かったな三上くん」

 南が今まで見たことのない笑顔で三上を迎えた。

「俺たちの分までありがとう三上くん」

 綾部が串を受け取って優しい声でお礼を告げる。

「どういうこと?」

 三上が不審がって、ペットボトルを抱える俺に説明を求めた。

「どういうことでもないよ」

 俺はすましてお茶を配ると、串を受け取った。

「なんでもないさ三上くん」

「俺たちは最初から君のことが割と好きだったよ三上くん」

「こーわい。宇宙人に体を乗っ取られたの?」

「失礼だな三上くんは」

「友也、嫌になったら三上くらいはいつでも捨ててやるんだよ?」

 罠みたいなことを言ってくる綾部に笑って見せ、「三人とも大好きだよ!」と声を張った。

 俺の言葉に南と綾部は満足そうにしていたけど、三上だけは微妙な顔で、黙って自分の串を掲げたまま何かを考えていた。


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