第10話 イレギュラーな俺
三上が女の子との交際をやめたのは正しい判断だと思った。
特別な出会いはそんなに頻繁に起こるわけではないけど、重なって起こることはなぜかよくある。
それらは本人にとっては素晴らしい出来事なのだけど、その相手にとっては自分の特別が天秤にかけられた状態になる。
三上はセックスよりも会話が好きだ。それくらいの熱量で語られれば、誰だって好きになってしまうだろう。出会ったら最後、運命だ。
運命なんて言葉を誰が考えたのかな。
素晴らしい出会いを運命だと感じても、相手にとってそうでなければそれは運命じゃないのかな。
出会ったこと自体が運命なら、なんで人はそれだけで満足出来ないんだろう。本当はただのきっかけだって知っているからなのかな。運命なんて言葉は、喜びや悲しみを飾る文句でしかないって、本当は分かっているからかな。
俺の親友が死んだことには、一体幾つの運命が掛かってるんだろう。
「運命だって」
「え?」
俺は唐突に現実に引き戻された。
そこは居酒屋の大部屋で、テーブルには既に多くの料理が並んでいた。目の前には黄金色のビールのジョッキがあって、三割ほど減って汗をかいている。
隣を見ると、三上が俺を見ていた。
「おかえり」
三上は少し困ったように笑った。
一体どれだけの時間が経ったんだろう。
「……ごめん」
俺の謝罪に、三上は肩をすくめて枝豆を齧った。そして、「ぽい」と言って、俺の前に置かれた取り皿に放った。そこにはすでに幾つかの枝豆の殻が乗っていて、おそらく三上が俺のアリバイのために置いたのだろうと思った。
「病気?」
三上は真っ直ぐに訊いた。
俺は数秒言葉に詰まったが、うまい嘘は思いつかなかった。
出会った瞬間から無条件に自分を明かし続けるようなこの人には、自分も嘘をつきたくないと感じているのかもしれない。きっと俺がいない間も話し続けていたんだろうし。
俺は自分の秘密を打ち明けることにした。
「時々、意識が自分の中から帰ってこられなくなる」
「考え込んでるってこと?」
俺は肯定した。
「周りが何も見えなくなって、気が付くと全然違うところにいたりする」
三上の手がぴたりと止まった。
「危なすぎるね」
「でも誰も気が付かなかった。直前まで一緒にいた人に確認しても、今までは誰も──」
俺は三上を見た。
「君が初めてかな」
運命という言葉がフラッシュバックして、何かを取り繕いたい気持ちになって顔を歪めて笑った。三上は笑わなかった。
「ちゃんと受け答えしてたよ。どこからかは分からなかった。気が付いたらほんの少しだけ焦点が合ってないって感じで」
俺はごめんとまた謝って、確かに意識があった三上との会話まで遡った。
「田中には彼女はいるのかってあたりかな」
俺の言葉に三上はふーと息を吐いて、持っていた枝豆を小皿に置いた。
「病院は?」
俺は首を振る。
「生まれつきの特性?」
また首を振った。
いつからかはもちろん分かっていた。去年の九月からだ。
否定したまま空気を濁した俺に、三上はそれ以上の追求を止めた。
「本当にごめん、怒っていいよ」
「怒るようなことじゃない。ただ心配だよ」
「本当だよな」
今まで何の問題も起きなかったから、解決しようと思ったことが無かった。けれど三上が気がついたのなら、悪化しているということかもしれない。
「俺さ、実は友也のこと、一年の頃から知ってるんだ」
「え?」
「あ、友也って呼んでいい? って結構前に確認したんだけど、もう一回するね? いい?」
「うん」
「みーんなが浮かれてる時期に、友也は凄く真面目な顔してた。ちょっと暗いなってくらい。友達いないのかなって思ったらちゃんといて、その時は笑ってた。でも一人の時は大抵暗い顔してた」
「それっていつ頃?」
「夏の初めの、六月くらいかな」
正直、大学に入って浮かれていた時期なんて一度も無かったけど、きっとそれは家に広之があんまり帰ってこなくなってきた頃だ。食事の担当が俺に戻って、二人分の料理を用意しては、翌朝それを自分の朝食にしていた。
一人でいる寂しさとか、約束の反故への苛立ちとかはあったけど、それでも広之の方がずっと寂しそうだった。
あの頃はまだ、週に二、三回は一緒に夕食を食べていた。俺といる時、相変わらず通知の騒がしいスマホの電源を広之は切った。
「いいんだ、今は友也といる時間」
そう言って笑った広之は、いつの間にか大人っぽい大学生の顔つきになっていた。
俺はそれにも少し寂しい気持ちになっていたっけ……。
ふっと、肩に温もりが現れた。
見ると三上が俺を覗き込んでいた。
「危ないよ」
「あ……うん」
そうだ、危ない。また行ってしまうところだった。
「食べよ」
三上はふうっと息を吐いて、取り皿に食べ物を次々乗せて俺の前に置いた。
焼き鳥、唐揚げ、生春巻き、しゃけおにぎり。
「頂きます」
「いっぱいたべな」
それから三上は頻繁に俺のところにやってくるようになった。
本当に顔が広いんだろう。彼は俺がどこにいても予告なしに登場した。そして俺と話す三上の姿を見ても、誰もさして驚かなかった。人が寄って来ることはあったけど。
うちのサークルにもふらっとやってきて、当然のようにフードロス活動の物品の仕分けを手伝ったり、子ども食堂の手伝いにも来てくれた。
俺が一年以上通い続けて顔なじみになった子どもたちの興味を、三上があっという間にさらっていったことには少し腹が立ったが、水鉄砲でずぶ濡れにされているのを見て、すぐに溜飲は下がった。
最近では昼が近くなるとメールをしてきて、昼食を一緒に食べるようになった。
「迷惑だったら言って」
三上はラーメンを食べ終えて、ぐいぐいと水を飲んだあと言った。
「何が?」
「俺が」
「別に迷惑じゃないよ」
俺はどんぶりの底からメンマを掬って口に入れる。
「ほんと? かなり急に俺の存在を君の生活にねじ込んだつもりなんだけど」
彼の言い回しに笑わされてしまった。
「そうだね、近頃すごく君と一緒にいる気がする」
「気のせいじゃないよ」
「俺の生活に君がいるってことは、君の生活に俺がいるってことだけど、それはいいの?」
「そんなこと気にする? だって俺が来てるのに」
「その理由を聞いてる。俺といて楽しいの?」
どんぶりに箸を載せてティッシュで口を拭うと三上を見た。三上はすでに俺のことをじっと見ている。
やっぱり少し目の色が見慣れない色をしている気がするな。
「友也は少し難しいんだよ」
「難しい? 性格が?」
「んーまだよくわからない。でももう少し仲良くなりたいっていつも思うんだ」
「そうなんだ」
「うん。別れた後に、少し物足りなくなる」
簡単にむず痒いことを言う人だ。
こっそり集めていた三上のモテポイントは、すでにカンストしてカウントを止めてしまった。
認める。三上は完全なるモテ男だ。噂よりも誠実だったけど。
「君はいつもこういう風に人と仲良くなるの?」
三上は一瞬よく分からない顔をした。
多分この人は、自分の行動が人をむず痒くさせることを理解していないんだろう。
「んー? 普通はもっと簡単だよ。友也は特別」
「そうなの?」
「メールとか電話とかあるじゃん?」
「俺も持ってるんだけど」
「なんか違うんだよな、メールとか電話じゃ。会わないとさ」
「意識飛んでるかもしれないからね」
「それ、笑えないよ」
細めた目を向けられて、俺は「ごめん」と首を竦めた。
三上が俺を難しいという理由は簡単だった。俺が何も話さないからだ。
聞かれたことには答えている。でも三上は、今起こっていることや、自分に起こったことについて俺に話を振っても、俺の過去のことは聞かなかった。地元がどこかとさえ問わない。
俺が自分から話すのを待っているんだと思う。
普通の人ならここまで三上のことを知ってしまえば、自分のことも話したくなるはずだ。いいやつだし、気が利くし、顔も広い。でも俺はそうしない。
「俺じゃなくて、三上にとって俺がイレギュラーなんだよ」
「え?」
ラーメン屋を出たところで、三上はとぼけた顔になった。俺もとぼけた顔で三上を見た。
「俺、今まで友達付き合いにそんなに苦労したことないし、俺に苦労する人も見たことがないよ」
「まじか」
「俺をなんだと思ってるんだよ」
「俺にとって特別って、どういうこと?」
特別とは言わなかったんだけど、と思いつつ、首を横に振った。
「それは俺には分からない。まあでも、誰とでも仲がいい君が苦労するなら、苦手なのかもね」
三上の眉間に皺が寄る。
「友也といるの、好きなんだけど?」
「じゃあ好きなのかも」
「予想ばっかりだね」
ラーメンを食べたからか、ちょっと汗っぽい三上を見ながら、また首を横に振った。
「解くのは君だよ。だって君が俺のところに来てるんだからさ」
「そうか」
歩き出した三上のビルケンシュトックの白いレザーが日の光を反射して、俺は目を細めた。
「友也といるのも好きだし、友也と話すのも好きだよ」
「じゃあ君は俺が好きなんだ」
「そうだね」
また簡単に認めたなと思って俺が笑うと、三上も笑った。
胸がじんわりと痺れた。
俺も三上のことが好きだと思う。ただ胸の奥に死んだ親友がいるだけだ。
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