第3話 卒業式



 俺が笑うと、広之もふんわりと眉を上げて穏やかに笑った。

 広之のあの顔は、多分俺くらいしか見たことがないと思う。俺と二人でいる時以外にあんなに柔らかい雰囲気になることはなかった。

 きっと普段は周りを気にしているんだろうな。




 卒業式は花曇りだった。

 光が拡散されて雲が発光して見える。ちょっとだけ夢の中のような心地になるから、青空は見えなくてもこの天気は好きだ。

「俺、お前になんて声掛けたんだっけ?」

 初対面のとき、とは言わなかったけど、広之の目はすぐに記憶を辿る色になった。

 三年前、きっと俺から声をかけた。もうなんと言ったかは思い出せないけど。お前でかいな、とかそんな感じだろう。

 広之は一年の時からそのデカさと寡黙な雰囲気が相まって変に目立っていた。きっと当人は緊張していたんだろうけど、近寄りがたいってこういう奴のことを言うんだろうなと思ったのは覚えている。

「――楽しくないのかって」

「え?」

 驚いた俺に、広之がふんわりと笑った。

「楽しくないのか? って聞かれたから、うん、そんなにって答えた」

 高校一年生の俺は、俺が思っていた以上に不躾だった。

「まじか、全然覚えてないわ」

 初対面でつまんなそうな顔してんなと言い放つ俺、初々しい制服で、ウキウキに満ちた教室で、そんなに楽しくないと告げる広之。なんて二人だ。

 残念な気持ちのする俺とは違って、広之は嬉しそうに、やっぱりふんわりと笑った。

「そしたら友也、言ったんだ」

「なんてよ」

「じゃあ俺が友達になってやるよって」

 なんてことだ。

「傲慢だな俺」

「俺は嬉しかったよ」

「そうなのか?」

 それでいいのか? でもまあ今こうして一緒にいて、卒業後は一緒に暮らすくらいの仲になったんだからいいのか。


 広之がスマホを出して、皆で賑わう前庭の桜の木の前で、卒業証書の筒を持って何枚か写真を撮った。

「撮ってあげるよー」

 声を掛けてきたのは綾香だった。

 受験が終わり、なんの問題も無く綺麗に別れた俺たちは、こうして気軽に言葉を交わすことができる関係に落ち着いた。受験の合否はまだだが、自己採点では笑って元カレに話しかけられる出来だったらしい。

「はい、かっこつけてー」

「なんだよそれ」

 笑いながらじっとしていると、なかなかシャッターが押されない。こいつさては――。

「綾香またビデオモードにしてるだろ」

「え?」

 広之が間抜けな声を上げた。

「バレたか! いいじゃん、動いてる方が後から見た時に懐かしいよ!」

 わかるけど、初めからそう言って始めてくれよ。

「あー確かにそうかもね」

 綾香に同意したらしい広之が、にこにこして俺の肩に腕を乗せた。

「動画ってなんかしなきゃって思っちゃうんだよなー」

「じゃあ熱い抱擁でもしてよ」

「なんでだよ」

 俺は突っ込んだが、広之は「いいよ」と、俺の腰に腕を回してうわっと持ち上げた。

「どこが抱擁だ!」

 文句を言う俺を広之と綾香が笑う。

 広之の肩に掴まって、嬉しそうにする親友につられて自分も笑った。

 地面に落ちる二人の影が一つになって、俺の髪が風になびいてロウソクみたいに揺れている。

「あーいい画が撮れてる! 桜が入って丁度いい! こっちむいてー」

 写真部の綾香がしゃがんでローアングルから俺たちを写した。

「パンツ見えるぞ!」

 そうは言ったが、ちゃんと見せパンを履いているのは途中まで脱がせたから知っている。

「あーいいですねー卒業おめでとー!」

「綾香もおめでとう!」

「ありがとー!」

 ざあっと風が抜けて、まだ開き始めたばかりの桃色の花びらがふつふつと千切れて舞った。

 開花宣言はまだ先の予定だが、白い校舎に囲まれたこの前庭の桜は、いつも早々と咲いて卒業生を祝ってくれるのだと、さっき校長がスピーチで言っていた。

 画的に映えたのか、綾香が嬉しそうな声を上げた。

「おっと」

 バランスが崩れて、広之がそっと俺を下した。

「なかなかいいのが撮れたわ。動画も始めようかなあ」

 綾香が真面目に考える顔をしている。隣では広之がさっきの動画を再生して、なんだか嬉しそうだ。

「――うん、才能あると思う! 凄くいい動画!」

 ありがとう! と勢いよく広之に言われて、綾香がびっくりした顔をした。

 ――そうだよ、こういう顔もするんだよこいつ。

 そういう目で驚く綾香を見た。綾香は眉を上げて、――いいね、と言うように頷いた。



 親の車を断って三人で歩いた。

「二人の家ってどこらへんなんだっけ?」

「松原駅で降りて徒歩8分」

「あー! あそこらへんいいよね、駅前も栄えてるし。引っ越しの準備は済んだの?」

「もう大きいのは入れた」

「後は日用品とか色々」

 広之が付け足して、綾香がうんうんと頷いた。

「同棲生活仲良くねー」

「はいはい」

 俺は流したが、広之は「同棲って」と笑った。

 チラと、綾香の目が広之の胸に注がれて、それから俺を見て妙な顔をした。俺はそれに片方の眉を上げて目で頷いた。

 広之の胸にはネームプレートが無かった。祝卒業のリボンと花も。


 昨日、広之が愛美ちゃんに別れを告げると、愛美ちゃんはあっさりとそれを了承した。拍子抜けした広之に、「柴田君と付き合うことにしたから」と愛美ちゃんは言った。

 柴田は広之のクラスメイトで、いつもお弁当やお菓子を持ってくる愛美ちゃんのことを羨ましがっていたやつだ。二人は進学先も同じだった。

 二人がいつから、どちらから、どのように盛り上がって付き合い始めることになったのか、経緯が気にならないわけではなかったけど、広之はむしろホッとして、「よかったね」と言ってあげたらしい。まあある意味これも円満な別れと言えるのかな。

 ただ、愛美ちゃんは別れ際、思い出にするからと、明日の式典が終わったらネームプレートをくれないかと言ってきた。

 新しい彼氏もいるのになんでだろうと思ったが了承すると、卒業式の今日、クラスメイトの大場さんという女子が「好きでした」と広之に告白してきた。

 彼女は遠い県に進学するらしく、気持ちだけ伝えたかったといい、できたらネームプレートを貰えないかと涙ながらに言った。けれどそれがもうすでに愛美ちゃんの予約済みだと分かると、一変。

「もう別れたんじゃないの?! 浮気してたじゃんあの子!!」

 大場さんは廊下の突き当りで、キリキリと目を吊り上げて声を荒げた。

「なんなの?! 私が好きだって知ってて目の前で告白して!! 毎日うちのクラスに来て見せつけてきてたくせに浮気して!! なんでよ!! なんでなのよ強欲女!!」

 広之は彼女の剣幕に心底恐れおののいた。そして愛美ちゃんのあれが愛情表現じゃなくて彼女への嫌がらせだったのかと思うと、悩んでいた毎日が一瞬で空々しいものに変わってしまった気がしたそうだ。そりゃそうだろう。


 広之はネームプレートを大場さんにあげたらしい。祝卒業のリボンと花も付けて。

 愛美ちゃんは何もない広之の胸を見たのか、声すらかけて来なかった。


 広之の次の恋愛がかなり遠のいただろうことは、しょうがないことだと思う。

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