ぼくの悪の幹部おじさん
市川楓恵
第1話 ぼくのおじさんがやってきた
いまは、ゴールデンウイークだ。
近所のちびっこ公園は、桜の花が満開で、このまえ幼稚園のひまわり組の皆でお花見をした。
僕は、今朝の『スーパーヒーロー☆サイキョウマン』の話を友達のケンタ君とできないのが寂しかった。今日、ケンタ君はケンタ君のママや妹と映画を見に行くらしい。
『ゴールデンウイークだ☆わんぱくちびっこアニメまつり』を、観に行くそうだ。
二本立てで、『グレートロボット☆メカビクトリーカイザーキング』、『らぶキュンハート♡夢と魔法の大冒険』をやるのだそうだ。
うちのパパが、
「ううむ。あなどれないラインナップだな。男の子のハートも、女の子のハートも掴むとは。ちびっこたちの親のハートも、鷲掴みだぜ。子供にこれ見せて、飯を食いに連れてけば、一日退屈させずにつぶせるぜ」
と、唸っていた。パパがそう言うからには、そうなのだろう。『わんぱくちびっこアニメまつり』、ヤバいぜ。
今朝の『スーパーヒーロー☆サイキョウマン』は、激アツだった。
サイキョウマンが、ついに悪の幹部・ブラックシュバリエと戦って勝ったのだ。今まで、たくさんの配下をサイキョウマンに倒され、今朝の回で自分もフルボッコにされたブラックシュバリエは、もう駄目だろうな。悪の組織で一番偉い、大魔王シュバルツブラックに見放されてしまっただろう。
一緒に見ていたパパも、
「ああ、こりゃ駄目だ…」
と小さな声で言っていた。
ケンタ君のいない公園は、寂しかった。つまらないから、つまらなそうにしていた。
「…もう、帰るか。ケンタ君もいないし」
パパが、言った。
さっきのママからの電話は、
『カレーライスのルーを切らしていたから、買ってきて』
だった。
帰りに二人で、スーパーに行った。
パパは、僕がいつものようにお菓子コーナーに手を引いていくのは、
「おいおい」
と、笑ってついてきてくれた。
なのに、カゴの中に僕が『サイキョウマン』チョコを入れようとすると、悲しそうな眼をして、
「今日は、こっちにしよう」
と、大きな袋のポテトチップスにかえてしまった。
コンクリートの塀とアスファルトの道は、ちらほら、いたるところに雑草が生えている。黄色いタンポポが生えていた。
「俺がお前ぐらいの頃には、あの花で女の子が指輪とかを作ってたもんだ。お友達同士で楽しそうに見せあっているところを見て、その花に以前、犬がしょんべんしてたことは、口が裂けても言えなかった。作る前だったら、きちんとそれを教えてた」
そう言ったパパは、
「男の子たるもの、女は泣かせちゃいけない。いやなことはしない。お前も、そういうことがあっても、黙っておくんだぞ」
と、僕に男の子の心構えを教えた。この心構えがあっているかどうかは、永遠の謎だ。
ゲーム機を置いている駄菓子屋の前では、店主のおじいさんがうとうととしていた。じつは、起きているのかもしれない。目が細いおじいさんだから、わからない。
ここでもお菓子をねだろうかと一瞬思ったけれど、やめた。さっきポテトチップスを買ってもらったからだ。
「あのおじいさんは、昔はゲームでならしていたんだよ」
パパが、小声でこそっと教えてくれた。
「『ゲームでならす』ってなに?」
「ぶいぶい言わせてたんだよ」
パパはそう言ったが、よけい、わからない。
そんな話をしながら帰り道を歩いてきて、
「…あっ、」
家の前で、パパは息を呑んで立ち止った。
僕は、なんでだろうと思って、そちらを見た。
家の前に、誰かがいる。
それが誰なのかがわかると、僕は立ちすくんだ。
フルボッコにされた、あのブラックシュバリエが、傷だらけのままで、家の扉の前に座り込んでいた。
こうした時、どうすればいいのか? 僕は、こんなに『スーパーヒーロー☆サイキョウマン』を見続けているのに、あのハンサムでキラキラした主人公の連絡先を知らない。サイキョウマンが、スーパーヒーローであることを皆に隠すために働いている、『日本一のスーパーマーケット☆最強』が、どこにあるのかも僕は知らない。品ぞろえは日本一なはずなのに。日本一だったら、有名で、よけい目立つはずなのに。
けれど、ふつうにブラックシュバリエは、いる。
「…そろそろ来るかもしれないと、思ったんだ」
パパは、絞り出すような声で言った。
すると、
「おう、帰ったか…」
よわよわしく、ブラックシュバリエは言った。
僕は、びびってパパの足にしがみついた。
ブラックシュバリエは、そんな僕を見て、どこか優しそうな声で、
「お前の、息子か…」
そうパパに訊いた。
「うるせえ! 『おう、帰ったか』、じゃねえよ。そんなところにいやがって、俺の嫁さんがドアを開けてびびったらどうするんだ」
「…」
「そんなところで燃え尽きてんじゃねえよ。別なところで燃え尽きろっ」
「…」
あれ? ブラックシュバリエが、泣いてないか? 泣いてるよ…仮面の下から、つうって涙が光った。
そんな悪の幹部に向かって、
「なんだよ。なんなんだよ。『ビッグでリッチになって帰ってくる!』って家を飛び出して、どれだけ親父とおふくろが心配したと思ってるんだよ! なんだよ、ブラックシュバリエって。英語とフランス語がごっちゃになった、変な名前しやがって」
パパが怒った。
僕が思わず、
「パパ、やめようよぅ、怒らせたらこわいよ。わるいやつなんだよ」
うちに悪の怪人を呼ばれても、困る。
するとパパは、
「怒っているのは、俺の方だからいいんだよっ!」
なぞの論理で、こう言い放った。
「本当は、全部英語にしたかったんだけど、大人の事情がいろいろあったんだよ。世の中には、いろんな企業があるんだ。敵にまわせるか…表を歩けなくなるぞ」
ブラックシュバリエは、またよわよわしく、ぼそぼそとそう言った。
だんだん声が大きくなっていくパパに怒鳴られて、ブラックシュバリエは、どんどん、声が小さくなっていく。部下の怪人や戦闘員たちに威勢よくハッパをかける、あのでかい声はどこに行ったんだろう。
「全部フランス語にしたら、良かったじゃねえか、ばかやろう」
「ル・シュバリエ・ノワールじゃ、日本語じゃ語感的にしまらねえんだよ。だいたい、ちびっこたちがびっくりするだろう」
「なんだよ。しまらねえって。大人に気ぃつかって、ちびっこたちにも気ぃつかって、ほんとうにしまらねえ野郎だなァ。なにが『表を歩けなくなるぞ』だぁ。それでも悪の幹部か、このガバガバ設定野郎っ」
「…」
ル・シュバリエ・ノワールになるかもしれなかったブラックシュバリエは、今や背中を丸めて地面を見つめてばかりいる。
「だいいち、俺たちなら、びっくりさせていいのかあ」
「…」
ブラックシュバリエは、もうこっちと目も合わせようとしない。仮面に隠れて、表情は見えない。
『ほんとうに、泣いてないといいなあ』
と、僕は思った。
近所の奥さんが、『まあまあ、どうしたんでしょう』という顔をして、家の前を通り過ぎて行った。
「ここじゃあなんだ。家入れよ、家に」
「入っていいのか。奥さんが中にいるんだろう。お昼時だし、手土産もこんなだから持ってないし、申し訳ないよ…なんだったら、近所の飲み屋で…」
こう、のろのろと言ったブラックシュバリエに、
「おめえ、そんな恰好で飲み屋にいけるかよ、くそ兄貴! 『ただいまヒーローにぶちのめされてきました』って恰好して、外にいられるかよ。ぶちのめされなくても、たいがいな恰好だぞ。なんだよ、黒いシルクハットみてえなメットで、黒くてへんな甲冑つけて、おまけに黒いマントか。てめえ、よくそんな恰好で戦ってきたなァ。戦いにくくねえのか、ばかやろうっ。そんな恰好だから、負けるんだっ」
パパは、そう怒鳴った。
「…」
「そんな恰好のてめえの駄目っぷりを、日々お茶の間で見せられる俺の気持ちにもなってみろよ、恥ずかしいっ」
ブラックシュバリエは、しゅんと俯いた。
僕は、びっくりした。
僕のおじさんは、悪の幹部・ブラックシュバリエだった。
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