第32話 慈悲深き王者の剣
用は済んだとばかりに、父は鍛練場から出ていった。
その後ろ姿は妙にしょぼくれて見えた。
実際、肩を落としており、そんな姿の父を見たのも初めてだ。
(まあ、文字通りに“肩の荷が下りた”ってことなんだろうな)
肩を張り、威風堂々たる王の姿を見せる。それが必要なくなったので、あるいは元の“根暗少年”に戻ってしまったのかもしれない。
そして、その王が去ったのは、空虚な雰囲気を漂わせる鍛練場だ。
がらんどうとなり、燭台からの明かりだけが存在する場所。
その揺らめきは僕の不安さを象徴しているかのようだ。
(まあ、いきなり王権の象徴たる宝剣を渡されてもな~。この場にネイローザがいなかったら、断固拒否していただろう)
なにしろ、落としてしまった宝剣を拾い上げ、それを差し出してきたのがネイローザなのだ。
ずっと側にいると、笑顔で渡されてきたら受け取らざるを得ない。
逃げたりしたら、王族としても、男としても失格だ。
(なにより、その言葉が嬉しいんだけどね)
ずっと側にいるという君の笑顔、それをずっと側で拝めるというのであれば、王様と言うのも案外悪くない。
苦難の道、
もちろん、本音を言えば、騎士ではなく、伴侶として共に歩んでいきたいとは今でも思っている。
しかし、そうも言ってられないのが王族としての責任だ。
父がそうしたように、自分の後釜に後事を託す時がやって来る。
老いて朽ちる前にその道筋を作らねばならないが、そのためには妃との間に子供を設けておかねばならない。
その制約がある以上、“成長”が欠損し、子供を産めないネイローザは国王、王子の妃にはできないのだ。
(麗しの女騎士、『黒薔薇の剣姫』ネイローザ、僕がずっと、今でも、愛して止まない人。君を抱き締める事が叶わないのが、本当に残念で仕方がない)
まだ正式な話ではないが、父は隠居を志している。
四十年間挑み続け、ついにネイローザとの戦いに幕を引いたのだという。
初勝利が叶わぬ事を認め、剣を僕に渡し、去っていった。
(それはいいんだけどさ。これ、本当にどうするんだよ!?)
僕の手に収まる宝剣『
長らく王家に伝わる至宝として、王権の象徴と目される剣だ。
これを手にした以上、僕がこの国を統べて行かねばならないのだが、いくらなんでも時期尚早だと思う。
父も、ネイローザも、問題なしと言わんばかりの態度だが、どうにも困った。
そして、何気なしにその剣を鞘から抜いてみた。
儀式の際に何度か見かけた事もあったが、その際はいつも鞘に収まったままであり、抜身の状態で見る事はなかった。
それだけに、その中身が気になる事で、なんとなしに抜いてしまったのだ。
その姿を見たとき、僕は絶句してしまった。
「な、なんだよこれ!? ボロボロで、
なにしろ、鞘から抜かれてあらわになったその姿は、本当にボロボロ。
何ヵ所も
そもそも、この剣は“刃”がない。
刃の部分が丸みを帯びており、つまり先程父が使っていた“訓練用の剣”と同じというわけだ。
ボロボロで、なまくらで、人を殺める事を目的としたの剣であるはずなのに、その役目を成さない。
見た目だけは“鞘”のおかげで立派だが、本来の用途を成さない欠陥品。
それがこの宝剣の姿なのだ。
「がっかりしました? 王権の象徴たるその剣が、実は見栄えだけのなまくらで」
話しかけてきたネイローザは、指でツンツンとその宝剣を突く。
その彼女は今まで見た事がない、頬を赤らめて恥じらうような顔をしている。
まるで恋する乙女であるかのように、はにかむ姿だ。
「ご存じだとは思いますが、この剣は元々トリストラム陛下がお使いになっていた剣です」
「確か……、僕のご先祖様で、ネイローザを王宮に招いたんだっけ?」
「はい。それも“力ずく”で」
不穏当な単語が飛び出したが、ネイローザの表情は変わらない。
むしろ、楽しそうに思い出語りでもしているかのように、口調も明るい。
「以前、お話しましたが、私は
「エルフ族では、
「はい。森に捨てられるのは、死んだも同じ事。ですが、幸か不幸か、私は野盗の一団に拾われ、物珍しさから“飼われて”いたのです」
「そして、その野盗団が王国軍の討伐を受けたんだっけ?」
「そうです。その討伐軍を指揮していたのが、当時まだ王子であったトリストラム陛下でした」
表情は明るく、声も弾んでいて、本当に楽しそうなネイローザだ。
何度も聞いた話ではあるが、この話をする時だけは“乙女”のような愛くるしさを感じさせる。
普段の凛々しさなどどこにもなく、見た目相応な“姫”になっているかのようだ。
「私も必死で戦いました。法を犯す盗賊の末路は知れておりましたので、死にたくないがためにただただ剣を振るい、兵士を二十人ばかり切り伏せました」
「何度聞いても強いな、ネイローザは」
「ですが、トリストラム陛下はもっと強かった。兵を引かせ、一騎討ちとなり、百を超える打ち合いの末、力尽きた私は捕らえられました」
「で、この剣が、その時にご先祖様が使っていた剣だと。ここまでボロボロになるんだし、凄まじい激闘だったんだろうな。と言うか、『黒薔薇の剣姫』に勝つなんて、とんでもない話だ」
その点は本当に驚嘆する。
ネイローザの実力は僕が良く知っている。
十年以上も何度も打ち据えられ、挑みかかり、そして、破れ続けているからだ。
先程の決闘でも、父は奮戦するも結局は勝てなかった。
しかし、ご先祖様は勝ち、しかも生け捕りにしたのだと言う。
まさに偉業の中の偉業ではないかと思う。
「あ、でも、その当時なら“百年の研鑽”を積んでいない時期か。それでも兵士二十人を斬り伏せているんだし、強い事には変わらないか」
「そうですね。でも、トリストラム陛下は更にその上を行き、しかも薄汚れた私に慈悲までかけてくださいました。その剣がその証」
「だよな。刃引きの剣を用いたって事は、命は取らないって事だし」
「はい。私も戦いながら相手の剣に刃がない事に気付きましたが、どうせ生け捕りの後にまた珍獣扱いにでもなるのかと思い、必死で抵抗したのですが、予想は外れました。トリストラム陛下は私に慈悲をかけ、珍獣ではなく、騎士として召し抱えると申し出てきたのです。周囲の反対を押し切って」
まあ、大きな被害も出ているわけだし、周囲もさっさと処断してしまいたかったんだろうけど、そうならなくてよかったと思う。
もし、その場でネイローザが処刑されていたら、僕が君と出会う事もなかったのだから。
「なるほど。だからこその『
「はい、その通りでございます。誰よりも強く、それでいて慈悲の心に溢れた王の中の王、それがトリストラム陛下であらせられます。その受けた御恩は、“一生”かけてお返しするつもりです」
寿命を持たないという黒エルフの一生とは、本当に果てしないのだろう。
それでも彼女は“一生”という言葉を用いて、恩義に報いようとしている。
そして、ご先祖様から数えて僕で七代。今なおその言葉に嘘偽りなく、王国の守護者としてここにいる。
決して枯れない黒い薔薇。いつまでも凛として
彼女の真面目さ、一本気な振る舞いには、僕の恋心など太陽の前の朝霧に等しい。
すぐに消えてしまいそうになる。
(それでも僕は彼女を抱き締めたい。それが力ずくであろうとも)
ご先祖様が力ずくで彼女を王宮に連れ込んだというのであれば、その逆もまた行えるはずだ。
力ずくで王宮から連れ出し、互いにすべてを忘れてただ一組の男女として過ごす。
そんな
王としての慈悲の心を受けたからには、もう勝手な振る舞いも慎まねばならない。
まるで魔術でもかかっているかのように、欲望を吸い上げられた感覚だ。
ずっと側にいる、この彼女の言葉だけで満足するべきなのか、僕の初恋を終わらせるべきなのか、まだ結論は出せないでいる。
ああ、僕のなんと優柔不断な事なのだろうかと、自身の資質に疑問が生じてしまうのは、僕自身の弱さの証か。
ネイローザよ、君はいつも僕を悩ませる。
本当に美しくも、罪深い存在だ。
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