第31話 託されしもの

 無様に落としてしまった王権の象徴たる宝剣『慈悲深き王者の剣クルターナ・トリストラム』。


 我が国の繁栄を表すかのように、豪華な装飾が施された鞘や柄が、鍛練場の燭台の明かりに照らされ、ユラユラと輝いている。


 それを落としてしまうとは、何という無様だと喚き散らしたい気分だ。


 そんな僕の心を推し量ってか、ネイローザが素早く駆け寄り、落ちた宝剣を拾い上げてくれた。


 そして、それを僕に捧げた。その笑顔と共に。



「殿下、これはとても大事な宝物なのですから、大事になさってくださいね」



「それは言われなくても分かっている! だがなぁ……」



 そして、僕は剣を差し出す彼女から視線を外し、父に視線を向ける。


 今の自分にはあまりにも不釣り合いな宝物であり、持つべきではないというのが率直な思いだ。


 いくらなんでも、未熟な僕が引き受けるには、あまりに重い、重過ぎる。



(父が大病を患い、病床より起き上がれなくなったとかなら分かる。だが、『黒薔薇の剣姫』と一対一サシの決闘をできるほどにはピンピンしているのだ。受け取るべき理由がない!)



 さっさと引き取ってくれと、僕は懇願の視線を送る。


 だが、父の反応はない。


 それどころか、先程まで死闘を演じていたとは思えぬほどに穏やかな表情だ。



「私にはもう不要な物と言っただろう? 私にとって王位とは、ネイローザと決闘するための方便に過ぎなかったのだからな」



「なんですと!?」



 父は意外な言葉に僕は驚き、その二人を交互に見やった。


 父とネイローザもまた、僕と同じく師弟関係にあるとも聞いている。


 つまり、王位にある間、人払いをしてまで二人は決闘に明け暮れていたのだという。



(そうか……。ネイローザが毎夜、父の下へ僕の訓練報告に出かけていたのは、むしろ決闘これを隠すための方便だったのか)



 それで納得がいった。


 父が日中、ずっと机に齧り付いて執務を行っていたのも、夜間に“鍛練の時間”を設けるために、きっちりとこなしていたのだと気付いた。


 そして、報告に出かけたと偽ったネイローザは、昔と変わらず父に訓練を施し、そして、こうして決闘にまで応じていたのだという。


 すべては『黒薔薇の剣姫』に勝つために。


 四十年間も負け続け、それでも初勝利を求めて鍛え続けていたという事だ。


 はっきり言えば、その執念は脱帽ものである。



「だが、それも今宵で終わりだ」



「なぜです? まだ天寿を全うされたとも言えませんが?」



「いや。もう肉体の全盛期はとっくに過ぎているし、技術で補おうとも、体力が確実に落ちてしまっている。だからこその限界。これ以上の執着は、無様と言うより他ない。そんな未練を残さぬように、その宝剣を渡したのだ」



 そう言うと、父はネイローザに視線を向け、その意を察した彼女は今一度、持っている宝剣を差し出してきた。



「殿下、どうぞお受け取りください。あなたが今、この国を統べる時がやって来たのです」



「安心しろ。いきなり全部やれとか無茶は言わん。しばらくは執務を私が行い、お前は横で立って見ているがよい。昼間は執務室に身を置き、夜間はこの鍛練場で鍛えるのだ」



 どちらも有無を言わさぬ口調で、王位とその象徴たる宝剣を受け取れと迫る。


 今日一日であまりに状況が変わり過ぎて、なおも混乱したままの僕だが、はっきりと分かる事がある。



(この二人に正面から反対できるほど、僕は強くはないという事だ! とはいえ、逃げるつもりもないけどな)



 そう、逃げる事すら不可能だ。


 ネイローザの俊足では、どう足掻こうとも逃げ切れる可能性はない。


 そもそも、ネイローザを置いて逃亡など、論外も論外だ。


 受け取りたくはないが、はっきり言って選択の余地なし。


 そして、僕や止むなく宝剣を受け取る。


 ズシリと、見た目以上の“圧”を感じてしまう。



「重い……、なあ」



 改めて手にして、思い知るその重み。


 この国の歴史と、そこで営まれてきた人々の想いが、ズシリと手から全身へと伝わっていく感覚だ。


 やはり戸惑いを隠せない僕であったが、ネイローザはニッコリと微笑んできた。



「すぐに馴染むようになりますよ」



「そうは言うがな、ネイローザ。本当に重たいんだぞ」



 なにしろ、この剣に込められた“想い”とは、何代にもわたる意志が込められているのだ。


 過去の歴史と、そこに刻まれた人々の想い。


 そして、それを集約した宝剣を手にする者こそ、未来を切り開く者でもあるのだ。


 僕にはまだ早すぎる、そう思わざるを得ない。


 だが、僕に向けられる君の笑顔は、そんな不安を和らげてくれる。



「殿下、いえ、陛下とお呼びした方がよろしいでしょうか?」



「早い早い、早過ぎる。正式に譲位されたわけでもないし、気が早い。今までのままでいいよ」



「そうですか。では、殿下、今後ともよろしくお願いいたします。私はいつまでも御側におりますから」



「そうしてくれると助かる」



 と言うか、本当に僕で大丈夫かと不安がよぎる。


 陛下と呼ばれるようになるのには、明らかに経験が足りていない。


 それでも、ネイローザから送られてくる期待の眼差しからは逃れられない。



(ほんと、惚れた弱みってやつなんだよな~)



 結局のところ、精神構造も未熟と言う事だ。


 こうして王権を示す宝剣を受け取った最大の理由は、「惚れた女に対して、恰好良いとこ見せましょう!」という、ふざけた覚悟の表れでしかない。


 ネイローザが期待している以上、それに応えないのは男の恥である。


 向けられた笑顔を裏切る事なんて出来はしない。


 今一度強く握り、その重さに沈まないようにと決意を新たにした。


 

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