第29話 父の力量

 鍛練場は王宮の隅の方にある。


 騎士や兵士がここで訓練を行い、己を鍛え上げるための場所だ。


 なお、僕は王宮の庭先でいつも鍛練を行っており、雨天時以外はここに来る事は稀であった。


 その鍛練場の入口には、父の護衛役の騎士が歩哨として立っていた。


 歩み寄ってきた僕を視認したのか、ピンと背筋を伸ばした後、頭を下げてきた。



「これは殿下、いかような御用件でしょうか?」



「父とネイローザがここにいると聞いて、やって来たわけだが、中にいるのかい?」



「はい。……あ、ですが、今は人払い中で」



「構わん。王子に隠れてイチャコラするような場所じゃあるまい」



 そう言って、僕は強引に押し切り、鍛練場の中へと入った。


 鍛練場ははっきり言って空気が悪い。換気性が悪い構造になっているからだ。


 おまけに暗い。日中なら天窓から光が差し込むも、その光量は控えめであり、曇天の日であれば昼でも照明がいるくらいだ。


 ましてや、今は日没直前の時刻であり、燭台に火を灯さねば暗すぎて見えないくらいだ。


 沈みかけの太陽、あるいは月明かり程度では、照明として弱すぎる。




 カキンッ! カンッ! バァン!




 鍛練場の中に入った僕は、早速、鳴り響く金属音に出迎えられた。


 もうこの段階で二人が何をやっているかは明白であった。



(鍛練場で、誰にも邪魔されないように人払いまでやる。そして、このぶつかり合う金属音……。二人は一対一サシでやり合っているということか)



 正直、父には戦士としての姿を想像する事が出来ない。


 来る日も来る日も執務机に齧り付き、雑務をこなしているイメージしか湧いてこないのだ。


 もちろん、そうではない事も分かっている。


 実際、先の戦争においても、親征して敵国の軍をほふっているからだ。



(ネイローザの武勇が凄まじ過ぎて、あんまりそれほどでもと思うが、そんな事はない。騎士団を率いて敵陣に切り込み、十名ほど斬り伏せていると聞いているからな)



 それはかなりの力量がなければできない芸当だ。


 重たい鎧を身にまとい、戦場を駆け巡って、敵に向けて武器を振り下ろす。


 これは日頃から鍛え上げてなければ、絶対にできない事だ。


 半端な鍛え方では、敵に切り込む前にへばってしまう。



(僕も鎧を着て、訓練をする事もあるけど、あれは本当にきつい)



 重い上に動きが制限され、しかも兜で視野が狭くなり、呼吸もやりにくくなる。


 その状態で敵の鎧を打ち破る程の一撃をお見舞いしなければならないのであるから、体力も腕力も相当必要とされる。


 ましてや、相手も自分を殺しに来るのだ。


 そうした“戦場の空気”こそ、最大の重荷になるとも聞いている。


 初陣もまだの僕には理解の及ぶところではないが、騎士達がそう言うのであるから、そうなのだろうと思っている。


 そして、目の前ではよく見知った二人が激突していた。


 もちろん、父とネイローザの二人だ。


 響く激突音から、普段僕が使っている木剣などではなく、金属製の武器だとは分かっていたが、それだけに実戦に近い緊迫感がある。


 ちなみに父の装備は広刃剣ブロードソード円形盾ラウンドシールドで、ネイローザの方は細剣レイピア一本だ。


 互いに鎧の類は着ておらず、そういう意味においては全身が“急所”と言える。



(途中からの観戦となるが、明らかにネイローザが押しているよな、これは)



 二人の雰囲気には一目で分かるほどの差異がある。


 まず目につくのは“呼吸”だ。


 父の方は消耗しているのか、すでに肩で息をしている。呼吸は荒れており、空気を求めて口や肩が動きっぱなしだ。


 一方のネイローザはまだ余裕があるのか、軽い呼吸で済んでいる。


 しかも、父が大粒の汗をいくつも流しているのに対して、ネイローザは軽く肌が湿っている程度だ。


 この発汗量の差も、両者の優位性を見比べる材料になる。


 そして、僕が見ていることなどお構いなしに、二人は視線をこちらに向けて来ず、勝負に熱中している。


 そして、動いた。


 離れているから目で追えたが、やはりネイローザの踏み込みは恐ろしい程に速い。


 五、六歩は空いていた二人の空間が、瞬く間に狭まる。


 しかし、父は対応してみせた。


 突進しながらの鋭い突きを盾で受け止め、そのまま逆に押し返し、ネイローザの肩目がけて剣を振り下ろした。


 その剣はやはり足の速いネイローザの見切りもあって空を切ったが、今一歩踏み込めなかったせいか、また距離を空けた。



(速い! しかも正確に読み切っている。父が強いと言っていたネイローザの評価も、正しかったのだな)



 実際に父の戦いぶりを見るのは初めてであったが、間違いなく修練に修練を重ねてきたのは、観戦していてすぐに分かった。


 父は四十代も半ばであるし、もし僕と同じころから鍛え上げていたのであれば、実に“四十年の研鑽の先”にある技術と言えよう。


 強いのは当たり前だ。


 しかし、ネイローザは更にその先を行く。


 なにしろ、“百年の研鑽の先”にあるのが、彼女の剣技なのだから。



(なお縮まらないのか! 彼女との実力差は!)



 今まさに目の前にいる父の姿は、あるいは“数十年後の自分”なのかもしれない。


 強いが、それ以上に強いのが『黒薔薇の剣姫』なのだ。


 実に涼し気な顔立ちであり、まるで“命のやり取り”ではなく、“淡々とこなす作業”をしているかのようだ。


 そして、ネイローザは右足を半歩下げ、前傾姿勢をとった。



(さらに加速して、突きを放つつもりだな)



 僕はそう読み取ったが、まさにその通りだった。


 先程の踏み込みよりもさらに早く距離を詰めた。


 まるで二人の間の空間が縮んでしまったかのような、そんな感覚に思えるほどの超加速だ。


 だが、父はこれにも反応してみせる。


 あろうことか、その“一瞬”に父も半歩進み出て、ネイローザの放つ超加速の突きを、盾で受け止め、さらに踏み込んで弾き飛ばしたのだ。


 それだけでは終わらない。


 体が軽量な分、弾き飛ばされたその矮躯に向かって、盾を投げ付けた。


 高速で飛ぶ円盤が、ネイローザに襲い掛かった。



(よく見ると、持ち手の部分に少し手を加えていて、“投擲”にも使えるようにしてあるな!)



 戦場では全く役に立たない技術だ。


 どこから攻撃が飛んで来るか分からない戦場においては、盾や鎧などの防具は本当に“命綱”となる。


 それを武器にするなど、有り得ない。


 しかも、使えるのは一回だけであり、外れてしまえば、防具が無くなる事を意味する。



(つまり、これは『黒薔薇の剣姫』と戦うためだけの技術! そこまでして勝ちたいのですか!?)



 執念。そう呼ぶに相応しい父の一撃だ。


 呼吸が乱れた状態では、防具なしであの超加速の突きは防げない。


 つまり、“次の一撃”で決着がつく。


 投げ飛ばした盾は、吹き飛ばされたネイローザが着地と同時に命中。


 したかのように見えて、素早く細剣レイピアでこれを防いだ。


 しかし、吹き飛ばされての上での着地であったため、体勢を崩し、そこで強引に剣を振るって飛んできた盾を弾いたため、更に体勢を崩した。


 その間に父は距離を詰めており、渾身の斬撃をネイローザに放った。


 肩口を捉えたかに思えたその一撃、なお届かなかった。


 まさにスレスレの状態でこれを避け、彼女の体がブレたかのように思えるほどの速さでかわしてしまった。


 虚しく剣の軌道が空気を切り裂き、逆に空ぶった父の首元にネイローザの切先がちょこんと触れた。


 昼間の僕が受けた一撃にそっくりだ。


 あの崩れた体勢からの、とんでもない速度での立て直しと放たれた突き。


 しっかりと二人の動きを凝視していたのにもかかわらず、ほとんど見えなかった。


 空振った父、その首元に剣を向けたネイローザ、二人の動きは止まった。


 王様と少女の一騎打ち、そのトリを飾る切り抜かれた場面、実に画になる。



「今の崩れた体勢、あれは“わざと”か……?」



「いかにもです。盾はやはり、防具として使われるのがよろしいかと。奇襲にはなりましたが、読まれてしまえば、防具を捨てたのと同義です」



「……これすら、黒薔薇の経験の内にあった、という事か」



「はい。三代前の国王も、“似たような技”を使って、私に一撃を繰り出したので」



「届かないか、“百年の研鑽の先”には、“僕”の一生をかけても……」



 そう言って父は深い深いため息の後、剣を鞘に納める。


 その表情は、僕が今まで見た事の無い穏やかな顔で、まるで憑き物が落ちたかのような変化だ。


 “諦めがついた”、そんな感じの顔であり、満たされてはいないが、納得のいく、そんな表情を浮かべている。


 そんな父に対して、ネイローザもまた剣を鞘に納め、深々と頭を下げた。



「お疲れ様でございました。残りの人生、どうぞ安らかにお過ごしくださいませ」

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