第28話 母の心を子は知らず
母がネイローザの事を嫌っていた。
かなり衝撃的な話だ。
その話を聞き、僕は目を丸くして驚く。
(あの聡明な母が、ネイローザの事を嫌っていただって? いやいや、何かの間違いじゃないか?)
少なくとも、僕はそうとしか思えなかった。
母は優しくて聡明な人物で、他国から嫁いで来た身の上ながら、この国の民を大いに愛してくれていた。
良妻賢母のお手本、とまで称されるほどに人々から慕われ、理想の王妃として周囲からは畏敬の念を以て見られていた。
それだけに、聡明な母が“我が国の守護者”たるネイローザを嫌う理由が分からない。
(いや、待てよ。そういえば、母は僕をネイローザに預け、指南してもらう事に随分と反対していたか。普段は唯々諾々と父の言動を肯定していた母が、珍しく夫婦喧嘩していたな)
それこそ十年以上も前の話だ。
僕は六歳の誕生日の翌日から、ネイローザの手解きを受け始めた。
その日から、彼女の容赦ない“しごき”を受け、ボコボコにされてきた。
それを思えばこそ、六歳児の母親として、ネイローザのやり口に対して反意を示し、それを黙認している父と口論になった。
そう考えれば、辻褄は合う。
しかし、確認の必要はあると考え、目の前の騎士に問うた。
「……なあ、母がネイローザを嫌っていた証拠はあるのかい?」
「……目です」
「目?」
「はい。私は当時から近衛の一員として、陛下の側回りを勤めてきました。その際、王妃様やネイローザ殿と顔を合わせる事もありましたが……、その、なんと申しましょうか……」
「はっきり話してくれ。これではよく分からん」
「ハッ! お二人が出くわすと、決まって王妃様がネイローザ殿を睨みつけていたのです。怒っているのか、怯えているのか、何とも言い難い感情を乗せた視線を、ネイローザ殿にぶつけていました」
騎士の率直な感想なのだろうが、やはり全体像が見えてこない。
会う度に睨みつけていたのであれば、相当な敵愾心を抱いていたのだろうが、その理由が全く分からない。
あるとすれば、僕への扱いだろうか。
六歳の自分の息子がボコボコにされて黙認できるほど、母は父ほど冷徹ではなかっということだ。
「何か二人が喧嘩でもするような事でもあったのだろうか?」
「存じ上げません。と言うより、そもそもの話として、お二人がまともに会話をしている場面を見た事がありませんので」
騎士にそう指摘され、僕もハッとなった。
そう言えば、母とネイローザが一緒にいる場面など、見た事がなかった。
どちらも王宮で暮らしているというのに、言葉を交わしている場面が、一向に思い出せない。
思い出せないという事は、“そもそも存在していない”可能性が高い。
(二人の仲はそんなに悪かったのか!? ならばなぜ!?)
何度思考してみても、答えは出てこない。
あるとすれば、やはり僕に関する事だが、どうにも“これだ!”と呼べる理由が見えてこないのだ。
「……他に、二人に関する事で、妙に思った点はないか?」
「強いて申せば、ネイローザ殿は王妃様を、特にこれと言って嫌っている風ではありませんでした」
「と言うと?」
「王妃様は先程申し上げた通り、ネイローザ殿を毎回睨んでおりましたが、ネイローザ殿はごく普通にしていたという事です。睨み返すでも、文句を言うでもなく、他の宮仕え同様に変わりなく接していました」
「なるほど……」
つまり、敵愾心は母からネイローザに向けられた一方通行だという事だ。
ネイローザが無意識に何かをやらかし、それを母が不快に思って関係がこじれたと考えるのが自然だ。
(あるとすれば、やはり僕の事だろうか)
少なくとも、現在僕が持つ情報ではそれが一番しっくりくる。
いくら教育のためとはいえ、息子をボコボコにする女師範を良く思う母親はいないという事だろう。
平然としている父の方が、むしろ異常なのだ。
「ちなみに、母がネイローザを嫌っている理由って、何かあるだろうか?」
「……推察になりますが、よろしいでしょうか?」
「構わないよ。
「恐らくではありますが、王妃様が“他国者”だからではないでしょうか?」
騎士からのこの台詞で、なんとなしに納得してしまった。
ネイローザは“我が国の守護者”だ。近隣諸国に武勇轟かせる豪傑であり、少女の容姿に不釣り合いなほどの武勲を重ねてきた。
畏敬の念を以て、我が国では彼女の事を『黒薔薇の剣姫』の二つ名で呼んでいるが、近隣諸国では『暗黒の悪魔』などと呼ばれているそうだ。
味方にとっては頼もしい事この上ないが、敵として対峙した時は死を覚悟せなばならない程の相手という認識らしい。
実際、彼女の強さは毎日しごかれている僕自身が良く知っているし、彼女と敵対するとなると、まさにあの黒い薔薇は悪魔と言うより他ない。
(母は他国より嫁いで来た。我が国の民、特に宮仕えの人達は、ネイローザと接する機会も多く、一般の民草よりも彼女への畏敬の念が強い。だからこそ、敬意や好意を持って接する。しかし、母は他国者。一応、友好関係の強化のために嫁いできたとはいえ、国家間の付き合いなどと言うものは複雑怪奇。ひょんな事からこじれてしまう場合もある。自身の出身国が黒薔薇の脅威に晒される可能性があるとなると、やはりネイローザに対しては、色々と思う事があるのかもしれんな)
息子の扱い、心の中に蠢く潜在的な恐怖、それらが複合的に絡み合ったうえでの距離感や敵意。
それが母の抱いたネイローザへの感情ではないかと、僕は結論付けた。
今まで特に気にもかけなかった“ネイローザの周囲からの評価”という話が、意外な広がりを見せたのは収穫だった。
(母が早死にしてしまったのも、その辺りの心労のせいかもしれないな)
母は三十歳になる前に亡くなってしまった。
一切の文句も泣き言も言わず、ただただ王妃として全うした。
それが幸せであったかどうかは分からないが、少なくとも宮仕えの間では今なお母への評価は高く、月命日には礼拝堂で祈りを捧げる者までいるくらいだ。
(今だからこそ言えるのだろうが、僕が今少ししっかりとしていれば、あるいは二人の間を取り持てたかもしれないかもしれない! 情けない限りだ)
当時はまだ今以上に若かったので、何かできる訳でもなかった。
今なら、いくらでも仲裁に入ることはできる。
やはり、力や知恵を手にしなければ、何もできないのだなと再認識させられた。
(そして、それを持っているのが、父であり、ネイローザだ)
父は類まれな智謀の持ち主であり、それを容赦なく実行できる冷徹さがある。
ネイローザには他の追随を許さない程の武力を有し、その力を以て我が国に仇なす輩を屠り続けてきた。
僕の目標であり、超えねばならない壁でもある。
(まあ、父の冷徹さは御遠慮願いたいけどね)
あれについては正直、真似したくないというのが本音だ。
それのせいで、幼子を娶るハメになったのだから、どうにも拒絶反応が出てしまう。
そして、僕は興味深い話が聞けたと騎士に礼を述べ、執務室の前から辞去した。
次に向かうのは、もちろん鍛練場だ。
王宮の一角にあり、武官が鍛練に使っている一室だ。
そこにネイローザや父がいるのであるから、今聞いた話をより真実に近づけるために直接聞いてみようと考えたためだ。
「はてさて、次はどんな話が飛び出すかな」
などと呟きながら、僕は速足で鍛練場へと向かった。
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