第20話 君のいない世界

 廊下でネイローザと別れた僕は、重たい足取りで広間へと向かった。


 すでに全員揃っている。


 指南役の年配の女官、ダンスの相手を勤める若い女官、そして、音楽を奏でる楽師の面々、全員だ。



(ただ一人、君だけがいない)



 広間の隅から隅まで視線を舐め回すように動かすも、愛らしい妖精の姿はどこにもいない。


 本当にどこか遠くへ飛んで行ってしまったのかと思うほどに、僕の心に寒風が吹き抜けていく。


 実際、もう冬の入口に差し掛かる時期であり、朝の冷え込みは厳しくなってきた。


 いずれ北風と共に冬が本格的に訪れては、辺り一面を雪化粧が覆う事だろう。



(雪の中を舞う君の姿もまた、素敵なんだけどな)



 少しばかり昔の事を思い出した。


 何年前だったか、城下の子供達と一緒に、雪合戦をしていた時の話だ。


 四組に分かれて陣を構築し、最後まで残った組が勝ち、という単純なルール。


 雪を山にして遮蔽物を作り、それに隠れながら相手陣地に雪玉を投げ付け、隙を見つけては飛び出して近距離からぶつける。


 それの繰り返しだ。


 ちなみに、ネイローザはその合戦には参加せず、広場の隅でその光景を見守ってくれていた。


 合戦に夢中になっていると、気が付けば僕の組だけが生き残っていた。


 そして、悪戯心を出し、君に狙いを定めた。



「よし! 裏ボス・・・を倒すぞ!」



 などと冗談めかして、広場の脇で控えていた君を指さし、雪玉を投げ付けた。


 結果はハズレ。


 顔面に命中したかと思った雪玉は、寸前で首を傾げた君によけられた。


 それどころか、僕の組の生き残り連中が次々と雪玉を投げ付けるも、君は軽い足捌きで全部かわしてしまった。


 そして、反撃が飛んで来る。


 シュッと足元の雪を掴んでは雪玉を作り、僕らの陣地に投げ付けてきた。


 しかも、奇麗な放物線を描き、遮蔽物に隠れた僕らの頭を射抜いてきた。



「本物の合戦でしたらば、今ので討死ですね。弓矢には“曲射”というものがあるのです。遮蔽物に隠れているから安心、などという事ではありません」



 実際、曲射で同時に飛んできた雪玉で、僕の組は僕を除いて全滅した。


 隠れていてはダメだと、すぐに僕は切り替えた。


 遮蔽物から飛び出し、君に向かって突進した。


 だが、当然ながらこれも読まれた。


 物陰から飛び出したのであれば、直接狙えばいいとばかりに、君は直射に切り替えてきた。


 しかし、僕はこれを読んだ。


 飛んできた雪玉に自分の雪玉をぶつけて相殺。


 ここで差が出た。


 僕は相殺する事を前提に動いていたので、両手に雪玉を持っていた。


 対する君は、直射の剛速球で仕留めるつもりでいたのか、片方の手にしか雪玉を持っていなかった。


 そして、それが相殺されたので、雪玉は僕しか持っていない。


 好機と見た僕は更に距離を詰め、しかも君は新しい雪玉を作るべくしゃがみ込んだ。


 動きが止まったと見た僕は、渾身の雪玉を投げ付けた。


 だが、それは“誘い”だったのだ。


 しなやかな猫のようにピョンと飛び跳ね、僕の投げた雪玉をかわし、素早く僕の背後に回り込んだ。


 おまけにしゃがんだ時に掴んだ雪を、僕のうなじに押し当て、更に服の中にまで冷たい死神の手を差し込んできた。



「うひゃあ!」



 その冷たさに思わず悲鳴を上げてしまった。



「殿下、私の勝ちでございますね。裏ボス・・・を討伐したいのでありましたら、今少し研鑽を積まれてからの方がよろしいかと」



 無慈悲に告げられる君からの勝利の宣言。


 しかし、負けて悔しいと思う事はない。


 雪中に舞う妖精の姿を、しかと目に焼き付けたからだ。


 軽やかなステップと凛々しくも美しい君の姿。


 舞う粉雪もまた、陽光に照らされて、まるで君を覆う煌びやかなドレスのようだ。



(しかし、そんな君が今はいない)



 年配の女官の手拍子によって、思い出の世界から現実へと呼び戻された。


 ああ、なんて億劫なんだ。


 現実なんてつまらない。


 いや、現実がつまらないのではなく、君のいない世界がつまらないんだ。


 何も考えず、ただただあの黒い妖精と戯れていたい。


 ただそれだけだと言うのに、王子と言う立場がそれを邪魔する。


 やりたくもないダンスの稽古、せめてこの場に君でもいれば、多少は気が紛れようと言うのに、君の姿はどこにもない。


 僕を置いて、どこかへ行ってしまったのだから。


 早く終わらないだろうかと、そんな事を思いながらまた若い女官と組んでクルクルと回り始める。


 僕にとってはさながら、全てを飲み込む混沌ケイオスの大渦のようにすら感じられる。



(現実なんてつまらない。ずっと夢を見続けられるのであれば、延々と眠っていたいくらいだ)



 などと埒のない事を考えながら、早く君が戻ってくる事を願う。


 あの麗しい黒薔薇が、僕に笑顔を向けてくれる愛らしい妖精がいない世界など、存在する価値などないのだから。

 

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