第19話 掴む事が出来ない

「殿下、大丈夫でございますか?」



 食堂を辞去し、やりたくもないダンスの稽古のため広間に向かう途中の廊下で、ネイローザが声をかけてきた。


 一歩下がって僕の後ろを歩いていた君は、少し不安げだった。


 振り向き、その顔を見た僕は、なんともいたたまれない気分に陥った。



(まあ、君が僕の指南役なんだしな。僕がしっかりと身につけるものを身につけないと、指南役である彼女の名誉にかかわるって事だ)



 この点では申し訳なく思う。


 指南役はもちろん、国王の継嗣である王子ぼくを鍛え上げる事だ。


 その内容は多岐にわたるが、もちろんそれぞれに指南役が付いてくる。


 ネイローザで言えば、武芸と史学の先生と言う事になる。


 他の学問や作法についても、それぞれ専門家の先生がいる。


 今日のダンスの稽古にしても、ダンスの名手である年配の女官が指導に当たり、また年若い女官が相手を勤めてくれている。


 しかし、ネイローザの場合は指南役を飛び越えて、護衛役でもあるので、僕のいる場所にはほぼ彼女も同席してくれている。


 彼女に見張られているからこそ、嫌々ながらもダンスの稽古をしていると言っても良い。


 こんな事を投げ出して、むしろ剣術の稽古をしたい気分でいっぱいだ。



(でも、それじゃあ面倒になるんだよな~)



 先程、父からも言われたように、嫁いでくる姫君が“刺客”である可能性。


 もちろん、単純に僕を刺し殺すためだけでなく、権威や名声を失墜させるというやり口もあるのだ。


 僕のダンスがド下手糞で、姫が熟達しているとなると、格好が悪い。


 しかも、七つも年下の幼子ともなると、余計に僕の不甲斐なさが際立つ。



「なんだ、次の王様は大したことがないな」



 などと近隣諸国に思われてしまうのは、痛恨の一事と言わざるを得ない。


 王たる者が他国の者に侮られる事ほど、外交上の失点はない。


 それを回避するためにもしっかり励め、というありがたいお言葉を受けた。


 皮肉や嫌味を添えて、いつもの父からのイライラするお小言だ。



(だったらせめて、目の前の黒薔薇とのダンスでお願いしたいな~)



 憂い顔で僕を見つめるネイローザもまた魅力的で、つい見とれてしまう。


 普段は闊達な彼女の表情が曇るというのは、滅多にない出来事だ。


 普段は見せない珍しい顔だし、しっかりと眺めておきたい。


 しかし、彼女の心配の原因が僕であるので、そんな悠長なことも言ってられないのも事実だ。


 彼女を含めて、指南役の面々が怒られてしまう。


 次代を担う王子の教育をしくじったとあれば、国家の運命を左右しかねないほどの大事であるからに他ならない。


 煩わしく思う時もあるが、皆必死なのだ。


 僕の我がままを通し、それが元で国が乱れては目も当てられない。


 それを常に諭してくれているのが、目の前の少女だ。


 いや、見た目こそ少女だが、中身は豪傑であり、同時に賢者でもある。


 王宮に咲く黒い薔薇。枯れることなき永遠の存在こそ、我が国の至宝。


 それを蔑ろにして、僕は一体何がしたいと言うのだろうか。


 彼女を愛しているのであれば、その意気に応えてやるのが正しくはないか。



「殿下……」



 思考が堂々巡りをしている僕の腕を、君が急に掴む。


 僅かにうつむき、憂いで満たされた視線を僕に向けてきた。


 その視線は僕の心臓や脳髄を抉り、グサリと貫いた。


 こんな顔に誰がさせた?


 僕だ。僕が彼女を悲しませている。


 ああ、どうしようもないクズだ、僕は。



「殿下、どこにもいかないでくださいね?」



 君の口から発せられた言葉は、さらに僕を抉り込む。


 これほど太い釘を打ち付けられては、もう動けはしない。



(だが、違うんだ。僕は遠くに行きたいわけじゃない。“君”と一緒に遠くに行きたいんだ!)



 それは叶わぬ夢だ。


 王宮の花壇に咲く黒薔薇を摘み取り、豪奢の王族の服を脱ぎ捨て、ここを出ていきたいとは思う。


 だが、誰もそんな事を認めてはくれないだろう。


 なにより、君もまた拒絶するだろう。



(僕には何もない。君を掻っ攫っていく腕っぷしもなければ、父を出し抜けるほどの智慧もない。それどころか、困り顔の君にかけてやる言葉すら思い浮かばないような、気の利かない男だ)



 本当にどうしようもない男だと、僕は僕を軽蔑する。


 こんなだらしのない男に、なんで黒薔薇がなびこうと言うのか。


 自惚れも大概にしろと、自分で自分を殴り飛ばしたい気分だ。


 そんな気持ちを抱えながらも、僕は必至で笑顔を作った。



「だ、大丈夫だ。どこかへ行こうなんて、考えた事もないよ」



「そうなのですか? どうも今日の殿下は浮ついていると言うか、心ここにあらずと言うか、遥か彼方を見つめているように思えて……」



「そんな事はないよ! 僕が見つめているのは……!」



 ここで口を閉じる。


 言ってはいけない事だ。


 僕が見ているのは黒薔薇だけ。


 しかし、僕が見なくてはならないのは、“この国の未来”でなくてはならない。


 なにしろ、僕は王子だ。国王の継嗣であり、次期国王なのだ。


 女にうつつを抜かし、国を傾けてしまう暴君にはなりたくない。


 それを何度も何度も戒められているが、いざ結婚話が降りかかった今日ばかりは、どうにも感情的になってしまう。



(君を強引に連れ出す事も出来ない。伴侶として歩んでいく事もできない。僕は王族で、君は騎士だ。立場が違う。役目が違う。どうにもままならない)



 君に掴まれた腕は、まるでズシリと重い枷でも嵌められた気分だ。


 ネイローザ、君は本当に正しい。


 指南役として、僕を教え導くという点では、文句の付けようもない。


 でも、僕が欲しているのは、指南役でも、護衛役でもない。一人の女性としての君なんだ。


 しかし、向けられた憂う表情が、僕の心臓を鷲掴みにする。


 ああ、全くもって情けない限りだと痛感している。


 父にガッツリ睨まれ、説教されるのも、今の状況ならば納得せざるを得ない。


 どうにか取り繕わねばと、ぎこちないながらも必死の笑顔だ。



「大丈夫だよ、ネイローザ。僕はどこにも行ったりしないから」



 そして、僕は腕を掴む君の手に、そっと自分の手を添えた。


 ほのかに伝わる君の肌の温もりに、否応なく劣情を感じてしまう。


 心配され、慰めて、気持ちを落ち着かせるつもりが、僕の方が心揺さぶられてしまうなど、どうしようもない話だ。


 大丈夫だと口では言いながら、肌と肌の触れ合いで興奮してしまっている。


 もう少し気の利いた台詞や、あるいは行動はできないものかと嫌悪する。


 未熟だ。未熟に過ぎるんだ。


 この僕が、心も、身体も。


 そして、君はパッと手を放し、頭を下げてきた。



「申し訳ありません、殿下! あまりに無礼な口を……!」



「あ、いや、別にいいよ。僕が稽古に身が入っていないのは事実だし……」



「いえ、臣下の分際を超えた振る舞いでした! お詫び申し上げます!」



「え、あ、うん、別に気にしてないし」



「……殿下、先に広間の方へ向かってください」



 そう言うと、ネイローザはもう一度頭を下げ、僕が止める間もなく走り去っていった。


 相変わらず、足が速い。


 止めようと彼女の腕を掴もうとしたら空を掴み、もう遥か彼方だ。


 置いてきぼりにされた、見捨てられた、そんな気分で僕の心は満たされた。


 虚しい、あまりにも虚しい。


 彼女を欲していながら、彼女に余計な心配をかけ、挙げ句に逃げられる始末。


 これでどうして、黒薔薇を連れ去って駆け落ちしようというのか。


 力も、智慧も、何より「君が好きだ」と告白する勇気すら持ち合わせていない。


 僕はどうしようもない男だと言う現実だけが、両の肩に重くのしかかって来る。


 ああ、本当に情けない。


 半ば屍人と化した僕の体は、もはや擦り切れる寸前の義務感だけで動き、肩を落としてトボトボと広間に向かう事となった。


 ああ、ネイローザよ、君のいない世界は本当に色がない。


 

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