第21話 王族たる者、泣いてはいけない

 結局、ネイローザ不在のまま、三曲ほど通しで踊った。


 体力自体は自信があり、何曲だろうが踊れる。


 ただ、本当に気が乗らないんだ。



「殿下、お疲れさまでした。いかがでありましょうか? 手順や動きは覚えられましたか?」



 年配の女官がそう尋ねてきたが、それについては問題ない。


 そもそも僕はネイローザによって、これでもかと言うほどに鍛えられてきたのだ。


 体力的な事は言うに及ばず、相手の動きを模写トレースして、その動きに合わせたり、あるいはそれを上回る動きを考えだしたりする。


 それくらい朝飯前であり、ダンスのような“緩やかな動き”程度であれば、苦も無く習得する事が出来る。



(それでもなお、ネイローザには一発も入れれないんだけどな~)



 なにしろ、ネイローザの動きは速い。


 的も小さい上に俊敏で、そのくせ強化魔法で腕力も僕と遜色ない。


 相手に合わせて動いたつもりで、その上を行く速度で動かれる。


 誘いをかけても、思考を読まれたかのように逆に空振りを誘われ、そして、一撃を貰ってしまう。


 彼女との剣の訓練はいつもそうなのだ。


 それに比べて、こんなダンスの稽古なんて、実に容易い。


 動きは一度目で覚えた。


 二度目で曲のテンポも完全に体に馴染ませ、三度目にはもう女官からの助言すら一切なくなった。


 そこまでに完璧に習得した。


 そう、“本気”を出せば、このくらい簡単なのだ。



(容易い……。本当に容易いんだ。君との稽古だけが、僕をへこませ、同時に立ち上がらせようとする)



 僕は六歳の頃から、ネイローザに鍛え上げられてきた。


 彼女に一体、何度“殺されたか”分からないほどに、幾度も木剣で打ち据えられた。


 その度に次こそはと思い、修練に修練を重ねてきた。


 流した汗と血反吐の量は、もうどれほどになるか分からないほどだ。


 それでもなお、君には届かない。


 百年の研鑽の先にあるネイローザの剣術は、僕の十年の研鑽の遥か先を行く。


 追い付けない、届かない。


 ただただ焦燥感だけが僕に圧し掛かって来る。



(まあ、それはそれで楽しいんだ。ずっと君の姿を見続けられるのだから。剣と剣を交えている間は、周囲が一切気にならない。目にも映らない。ただ君と、君の構えている木剣だけを見ていればいいのだから)



 僕の願いはそれなのだ。


 何でもいい。


 剣術でも、ダンスでも、座学でも、なんでもいい。


 ただただ君が側にいて、僕の視界に入り、笑顔を向けてさえくれればいいんだ。


 もちろん、それ以上を望んではいる。


 恋人、伴侶、そうした関係となり、結ばれたいとは思う。



(でも、今回の結婚話がすべてをぶち壊した! ああ、腹立たしい!)



 なぜ、僕の隣に立つのが君ではなく、会った事もない姫なのだろうか?


 理由は問われるまでもない。


 国家間の政略結婚で、我が国と隣国との和議が成立した証としての婚儀だ。


 それは重々承知している。


 王子として、次期国王として、職責、立場を全うするのであれば、文句も言わず、そのお姫様を娶るのが筋だ。


 婚儀が崩れて、落ち着いた情勢がまた乱れでもすれば目も当てられない。


 勝ち戦ではあったが、同時に勝ち過ぎた。


 だからこそ、また戦になれば、強くなりすぎた我が国を警戒し、別の国が後方を扼してくる事も考えられる。


 それを考えれば、今回の結婚話はさっさとまとめてしまった方がいい。


 こんな事は、ちょっと考えれば分かる事なのだ。



(それでも僕は、こんな結婚、嫌なんだ!)



 王族の責務、国家の利益や打算、その全てが結婚を勧めている。


 しかし、僕の心はとっくの昔に決まっている。



(そう、僕が初めて彼女から稽古を受けたその日から)



 十年以上も前の話だ。


 僕が六歳になった誕生日の翌日、指南役としてネイローザを宛がわれた。


 母はまだ早いのではと反対したが、父はそれを制して、ネイローザを指南役に任じ、それ以降、僕に付き添うようになった。



(初めは僕の方が彼女を見上げていたんだよな~)



 ネイローザは小柄で、遠目には子供と見間違うほどに小さい。


 実際、“成長”に欠損がある彼女は、本当に背丈が低い。


 それでも、六歳の頃の僕よりかは高く、僕は彼女を見上げていた。


 そして、初日からボコボコにされた。


 木剣を握るのもままならない幼児に対しても、君は一切の容赦をしなかった。


 どうにか握る程度の木剣は弾き飛ばされ、その都度、脳天に一撃喰らった。


 当然ながら痛い。ワンワン泣いたのをその痛みと共によく覚えている。


 そんな泣き喚く僕に、君は事も無げに言った。



「王族の男児たる者、決して泣いてはいけません。泣いて良いのは、身内を亡くした時と、財布を無くした時だけです」



 身内はともかくとしても、そもそも財布なんて持った事もないし、何なんだと思ったものだ。


 王子がそこいらの店に出かけてお買い物など、まずしない。


 御用商人が王宮にやって来ては、それに必要なものを注文するだけだ。


 だから、“財布”などと言われて困惑したものだ。


 だが、後から気付いた。


 財布とは、“国民”であり、“納税者”であると。


 僕自身には稼ぎと言うものがない。何しろ、王子だし、汗水たらして、農業や漁業に勤しむなどという事はない。


 しかし、国を運営して、集めた税金を効率よく運用するのが王たる者の務めの一つだと教えられた。


 だから、“財布こくみん”を愛しなさいと、君は遠回しに諭したのだ。


 国民だけではない。


 僕の周りにいる役人達もそうだ。


 彼らがいるからこそ、税金を徴収できたり、あるいは何らかの事業に投資して、資金を運用する事が出来るのだ。


 “財布”とは、国家を運用する装置システムの比喩表現。


 運用するための人と金、それらをひっくるめて“財布”と表現したのだ。



「国を回す術を失ってはからでは遅い。だから泣きを見る前に問題に対処する」



 これを言いたいがための、回りくどい言い回しだ。


 幼子相手に随分と分かりにくい言葉を選んだものだとは思ったが、結果として悩み、考え、結論を出すと言う事を覚えた。


 答えをすんなり得ては、思考が単調になる。


 剣術同様、何度も打ち据えられてこそ、頭も鍛えられるのだ、と。



(それもこれもみんな君のおかげなんだよ、ネイローザ)



 今目の前で話している年配の女官の話など、右耳から左耳に突き抜けていて、頭にも残っていない。


 僕が求めているのは、枯れる事の無い黒い薔薇だけだ。


 武芸の稽古を通じて体を作り、学問を通じで知識を蓄え、諭すように思想や心構えを教えてくれた。


 全部、全部だ。


 ネイローザが僕を作り、だからこそ僕は彼女を超えたいとも思っている。


 まあ、一度もその試みは成功した事がない。今朝も八回殺された上に、昼食時に追加で心を抉り獲られた。


 僕にとっては掛け替えのない先生であり、超えたいと思う目標だ。


 そして、いつかは君にぎゃふんと言わせて、“女”として“男”になった僕を振り向いて欲しい。


 そんな事を考えてはいても、時間は浪費されるばかりだ。


 やって来た冬が過ぎ、春が訪れると同時に、僕は結婚する事になる。


 君以外の女性と、だ。


 しかも、女性と言うのもはばかられるほど幼子だ。


 時間がない。


 それまでに君を連れて、王宮を飛び出したい。


 そのためにも君を超える剣の腕前を求めているのだが、ダンスの稽古で時間が潰されていくのは腹立たしい。


 本当に、本当に何もかもが上手くいかないものだと、僕は嘆くばかりだ。

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