第9話 足りない時間

 ひざまずき、頭を垂れ、僕に結婚の祝辞を述べるネイローザ。


 君の口からそんな万歳三唱なんて、聞きたくもなかった。



(万歳だって!? どこがめでたい! 愛でるべき存在が目の前にいるというのに、それを抱き締める事さえできないんだぞ! しかも、その麗しき黒い薔薇から、『結婚おめでとうございます』だと!? なんという不条理だ!)



 今日ほど、神という存在を呪いたいと思った事はない。


 理不尽の極みだ。


 だがしかし、こうして跪く君もまた美しい。


 邪魔にならないようにと、団子状にまとめた銀色の髪なんて、まるで満月がそのまま君に居座っているかのようだ。


 ああ、それに項垂れてあらわになるうなじ・・・もそそられる。


 ごめん、神様、やっぱりありがとう。あなたの作った目の前の黒エルフダークエルフは最高ですとも。



「息子よ、未熟と言うのであれば、その点は問題はないぞ」



 折角、ネイローザを上から眺めて気分を取り戻したと思ったら、父上の一言で現実に呼び戻された。


 本当に、嫌な時に声をかけてくる。



「未熟という点が問題ない? それはどういった意味での事ですかな?」



「お前は自身を未熟と言うが、もう十六歳。そして、近々十七歳になるではないか」



「そういう父上が母上とご結婚なさったのは、たしか二十五歳であったと伺っておりますが?」



「適当な……、いや、適切な相手や理由がなかったからだ。お前はそれに先んじて、今の段階で相手と理由がある。そういうことだ」



 相手は敵国の姫君ではあるが、講和が成立し、その証としての輿入れ。理由としては妥当なものだ。


 相手方に姫君がいて、こちら側に王子ぼくがいる。年若い独身者がいるのもまた、都合がいいというわけだ。


 理由は分かる。ただ、納得していないというだけだ。



「父上の結婚年齢から、僕はまだ八年も早いのですよ。せめて今少し研鑽を積み、立派にならねば世間的にはどうなのでありましょうか?」



「世間体を気にするのであれば、なおの事、婚儀を早めねばならん。両国間の和解が成ったのだからな」



 ああ、いつもこうだ。こっちが時間稼ぎの理由を捻り出しても、父は正論でねじ伏せてくる。


 正論であるから、反論がやりにくい事この上ない。



(そうだ。もっと時間が欲しい。ネイローザをねじ伏せ、強引に駆け落ちできるほどに、自分の腕前を磨くまでは!)



 ネイローザ以外と結婚する気は更々ないが、だからと言ってそれが許されるかどうかは別問題だ。


 真面目なネイローザは全力で止めに入るだろうし、今もこうして跪いて、婚姻についての祝福まで述べている。


 そして、跪いた体勢から微動だにしないのも、家臣として分を越えた発言をしないようにという考えなのだろう。


 王家の婚儀に出過ぎた口出しをするのは、臣の態度としては越権もはなはだしい。


 だから、国王と王子、二人でしっかり結論を出してくれと、無言を貫いている。


 下問があるならいざ知らず、そうでないなら余計な口出しをせず、項垂れて沈黙している姿勢は、臣としては当然だ。



(ネイローザ、君は正しい。どこまでも正しいんだ。でも、今だけはそれを捻じ曲げて欲しくはある)



 しかし、そんな邪念はすぐに頭から追い出した。


 強くなる、そう決意していながら、彼女の助力を求めるなど、本末転倒ではないか。そう考えたからだ。


 彼女すら守ってやれる強い男となり、以て彼女に求婚、愛の告白をする。


 しかし、そのための時間があまりにもなさ過ぎる。


 強くなるには研鑽を積む必要があり、研鑽を積むには時間が必要だ。


 何しろ相手は武勇名高き『黒薔薇の剣姫』。


 その身柄を力ずくでねじ伏せるには、百年の研鑽のそのまた先に行かねばならない。


 なんという果てしない道のりか!


 運命とは、かくも残酷なのだろうかと、神を呪いたくもなる。


 というか、今日一日で、何回、神を呪い、逆に感謝したのか。


 だめだ、思考の堂々巡りだ。


 急な結婚話で、どうにもこうにも、僕の頭は混乱しているようだ。


 無言を貫く君を見て、冷静さを取り戻しつつあるが、それでも暑苦しいくらいに憤る心も、あるいは逆に冷え切った悲哀の心も、元には戻ってくれない。


 そんな僕に、父上は人の心の無い追撃を入れてくる。



「未熟と言うがな、それは相手も同じ事。今頃、こちら以上に慌てふためいていることであろうよ」



「…………? それはどういう意味で?」



 父上の不気味な笑みを理解できないが、漏れ出た言葉は常軌を逸していた。



「なぁに、輿入れしてくる姫君なのだが、なんと哀れな事に、まだ九歳なのだ」



 とんだ極悪人の発想であった。


 九歳の幼子を、僕に輿入れさせるのだという。


 どういう発想をすればそういう結論に達する事が出来るのか、父の、“国王”の正気を疑うのには十分過ぎた。

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