第10話 応えない黒薔薇

「なぁに、輿入れしてくる姫君なのだが、なんと哀れな事に、まだ九歳なのだ」



 父の発したこの言葉には、僕もさすがに眩暈めまいを覚えた。


 一応、“哀れな”などと言う文言を用いてはいるが、哀れに感じている風には微塵も感じられないほどに、淡々とした口調だ。


 今回の結婚についての話は、知れば知るほど嫌になる。


 父に対しては、嫌悪感を通り越して、殺意すら芽生えてきそうだ。



「父上、正直に申し上げれば、不快感しかありませんな!」



「理由は?」



「そんな幼子を娶る意味についてですよ!」



「息子よ、婚儀の意味をいちいち説明せねば分からんか?」



 冷たく突き放すような物言いの父に、ますます心の溝が開いていくように感じた。


 しかし、父の言わんとすることは分かる。


 分かってしまうのだ。


 それがまた、父への不快感と、その考えを認識できてしまっている自分への嫌悪感を生み出していく。



「要は、幼い姫君は分かりやすい戦利品トロフィーという事でございましょう? 今回、西の隣国と実際に刃を交えるほどにもめているのは、周辺諸国も知るところです。それが我が国の優勢の内に決着がついた。これを喧伝するために、少々無理のある婚儀すら呑まされた。その点で西の隣国に対して、その立場を分からせる。あるいは示す、そういう事でしょう!?」



「ふむ……。他には?」



「西の隣国の国王に、これ以上に無い程の精神的圧迫を加えるためですな。幼い我が子を嫌々ながら嫁に出さねばならない事で、後ろめたさや負い目を感じさせ、以て“人質”にも等しい状態にすること!」



「端的にまとめて申せ」



「つまり、今回の婚儀は、例の河川の利用権の問題が決着したという事を認識させるセレモニー! 戦場における決定的敗北と、人質同然の姫君を出させることにより、物心両面から“お前は負けたのだぞ”と、相手方に分からせる事にあります! 同時に他の周辺諸国に対しても、こちらが勝ったという事を示す事にもなります!」



「そうだ。ちゃんと分っているではないか」



 ニヤリと不敵な笑みを浮かべる“国王”。


 本気で罵声の一つでも浴びせたくなるが、それもまた無意味な行動だ。


 なにしろ、父の考えを理解している自分もまた、同じく人間のクズなのではという自己嫌悪が強烈に湧き起こっていたからだ。



「まあ、そう嫌な顔をするな。安心するが良い」



「安心? 何についての安心ですかな?」



「正式な輿入れは、春になってからだ。さすがに、冬の寒空の下を、幼い我が義理の娘に来させるのは、いささか心が痛むのでな」



 全然、心が痛んでいるとは思えぬ父の態度。


 ああ、本当にイライラする。


 なんでこんな奴の血を引いているのか、自分自身を殺したくなるくらいだ。



「そして、春になればお前は十七歳。先方も十歳になるそうだ。良かったな、齢一桁の花嫁を娶るようなことにならなくて」



「父上、言葉遊びも大概にしてください! 九歳だろうが、十歳だろうが、“妻”としての役目を全うできぬ者と婚儀を結ぶなど、正気とは思えません!」



「おや? こやつめ、幼子相手に夜伽を命じるつもりであったか。とんだろくでなしもいたものだな」



「そんな事、するわけないでしょう! そもそも、そんなろくでなしな状況を作り出したのは、他ならぬ父上でしょうが!」



「作りはしたが、嫁いでくる姫君をどう扱うかは、お前の裁量の内だ。壊してしまっては台無しになるのであるから、あまり手荒な真似だけはしてくれるなよ。折角訪れた平和、友好の雰囲気がふい・・になってしまう」



「父上、あなたという人は……!」



 非武装で入室してよかったと、心の底から思った。


 もし、腰に剣を帯びていれば、勢い任せに斬りかかっていたかもしれない。


 それほどまでに、どうしようもない怒りが渦巻いているのが、今の僕だ。


 気を落ち着かせようと、一度父から視線を外し、ネイローザに視線を向ける。


 相変わらず、跪き、頭を垂れたまま、ピクリとも動かない。


 当然耳には入っているだろうけど、それでも口出しはできない。そう言いたげな彼女の態度だ。



(表情が見えないのが残念でならない。ネイローザ、君はどう思い、何を考えているのか? 構わないから、僕を見てくれ! そして、何でもいいから話してくれ!)



 一切動かず、顔も見えないので、その感情を読み解く事が出来ない。


 悩ましい、いや、もどかしいと言うべきか。君は本当に罪深いな。


 普段の笑顔も素敵だが、こうして僕を悩ませる姿勢もまた魅力的だ。


 やはり会った事の無い相手よりも、普段からずっと僕の側にいてくれる君こそが、伴侶となるに相応しい。


 そう強く思わざるを得ない。


 しかし、現実は非情だ。望まぬ結婚を強いられる。


 好いた女性が目の前にいるのだというのに、それには手を出してはならないのだという。


 黒い薔薇は本当に棘だらけだ。


 握ってしまえば、血が滴り落ちる。


 だから、見た事もない花を掴んでいろと、事も無げに言い放たれる。



(僕は本当に結婚なんてしたくないんだ! 君以外の女性とは!)



 ままならない人生かと、今日こそ思い知らされた。


 王子と言う立場が、これほど煩わしく感じた事もない。


 しかし、王子と言う立場が無ければ、ネイローザとの接点もないのも事実だ。


 僕が市井に生まれていたら、君が僕を振り向く事もないだろう。


 王子だからこそ、君はずっと側にいてくれる。


 逆に王子という立場があるからこそ、望まぬ結婚を強いられる。


 ああ、この葛藤ジレンマ、どうにかならないものかと。


 答えを教えてくれるのであれば、それが悪魔であっても構わないさ。


 誰か答えてくれ!

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