第8話 聞きたくもない祝辞

「お前の結婚が決まった」



 脈絡もなく告げられた話に、当然ながら僕の気分は最悪になった。


 国王の御前だからと取り繕う事もなく、おそらくは無自覚に不機嫌さを前面に出した顔をしていることだろう。


 もちろん、全力で拒絶する事を決めてはいるが、まずは状況を探らねばという冷静さもあった。



「いついかなる時でも、冷静さを保ってください。上が動揺すれば、下もまた揺れるもの。逆に上が堂々たる態度で臨めば、危機的状況であろうとも、下は案外と落ち着くものなのです」



 反復して教え込まれたネイローザからの教えが、よもやこんなところで役に立とうとは思ってもみなかった。


 君と添い遂げる道筋が閉ざされようとしているが、君の教えが繋ぎ止めてくれている。


 本当に君は最高の女性だ。


 その教えに従い、ひとまずは深呼吸で気持ちを落ち着けてから、改めて父に視線を向けた。



「それで、父上、その花嫁とやらは、どこのどちら様なのでございましょうか?」



 態度は露骨なほどに慇懃無礼。父とて、国王とて、知った事ではない。


 まあ、おおよその予想は付いているが、それでも素知らぬ顔を決め込んで、相手の出方を伺おう。


 もちろん、全力拒否の姿勢でいくつもりだ。



「相手は、西の隣国の第一王女だ」



「なるほど。西の隣国とは、最近、刃を交えた間柄。ここらで手打ちにしようと、講和が成立したというわけですね?」



「そうだ」



 予想していた通りだ。


 ネイローザから、和平交渉に赴いていた大臣が帰国していたという情報を得ていたので、それとなくは予想できた。


 和平が成立し、その証としての婚姻。


 国同士の揉め事を、血を混ぜる事によって鎮める。よくある話だ。


 だが、理解と納得は別儀でもある。


 “次期国王”としての理性では、その状況は納得のものである。争いが起これば、どこかでそれを鎮めねばならないのは道理だ。


 相手の国から姫を娶り、以て和解の証明とする。


 至極当然の発想と言えよう。


 しかし、“一人の男”としての欲望が、色恋の情念が、それを断固として拒絶しているのが、今の僕だ。



(僕の花嫁は、ネイローザただ一人だ! それを勝手に決められてたまるか!)



 王子としての理性と、男としての感情が、僕の中で激しく渦巻く。


 ああ、本当にこのまま全てを投げ捨てて、ネイローザと駆け落ちしたい気分だ。


 何もかもが煩わしい。


 王子? 王族? 次期国王としての当然の務めだと、言わんばかりに押し寄せてくる状況の荒波だ。


 本当に放り投げたくなる。


 しかし、理性の部分がそれを押し留める。


 黒い薔薇を愛でようとすればするほど、周囲の状況は望まぬ方向へと傾いていく。


 やりたくもない結婚。会った事もない女性を妻として、死が二人を別つまで共に歩む。夫婦になるとはそういう事だ。


 ましてや、王族の責務として、何が何でも次の世代を用意し、王家による統治の正統性と連続性を、国民に示していかねばならない。


 本当に腹立たしい事だ。



(愛してもいない女性と共に過ごすなど、人生は浪費できるほど時間はないのだぞ! ああ、ネイローザよ、君と過ごす時間が何よりも楽しい。ずっと僕の側にいてほしい。しかし、もうすぐ僕の隣に立つ者は、君以外の別の誰かになるのだという)



 体中の血の流れが爆発しそうなほど、感情が激しく揺さぶられてしまう。


 結婚、たったこの一言のために!


 本当に最悪です、父よ!



「……納得しておらぬような顔をしているな? 何が不満だ?」



「父上、僭越ながら申し上げますが、僕は若輩浅学の身。自分を磨く事で手一杯な未熟者です。その上で花嫁を娶れなどと、あまりにも時期尚早と思います」



 自身の未熟さをさらけ出し、それを以て断ろうとするなど、なんという無様だ。


 本来ならば、力で押し返したいものだ。


 しかし、相手は父であり、国王でもある。


 刃を向ける事は武装蜂起クーデターという事になる。



(いや、いっその事、それもありか。このまま望まぬ結婚を押し付けられるくらいなら、全力で抗ってみるか)



 そんな不埒な事を考えている僕は、無意識に部屋の中にいたネイローザに視線を向けてしまっていた。


 君の姿が、今の僕には勇気と行動力を与えてくれる。


 そんな僕の眼差しに応えてくれたのか、部屋の隅に控えていた彼女がゆっくりと僕に近付き、そして、膝をついた。


 跪き、深々と頭を下げて、僕に向かって恭しく拝礼する。



「万歳! 万歳! 万々歳! 王国万歳! 国王陛下万歳! 王子殿下万歳!」



 部屋の外にまで響くような大きな声で、君は叫ぶ。


 こんな大音響の君の声を聴くのは初めてで、僕は思わずたじろいだ。



「ね、ネイローザ……?」



「王子殿下、私などの身の上では僭越でございますが、臣下一同に成り代わりまして、お祝いを申し上げます! 御結婚おめでとうございます!」



「あ、いや、その……」



「両国の和解が相成り、これで我が国は益々の発展をしていくことでありましょう! 実にめでたき事! 重ねて祝福を申し上げます! 王国万歳! 万々歳!」



 見下ろす君の姿は頭を垂れているので、その表情が見えない。


 逆に、君からも僕の表情は見えない事だろう。


 それが唯一の救いだ。


 きっと僕は今、とんでもなく情けない顔をしているはずだ。


 よりにもよって、君の口から真っ先に結婚を祝福されるとは思ってもみなかった。



(いや、彼女の真面目さを考えれば、当然の反応か)



 長らく王家に仕えてきたのが、目の前にいる黒い薔薇なのだ。


 だからこそ、王家の存続と繁栄について、誰よりも理性的に、かつ合理的な判断を見極められると言ってもいい。


 今回の婚儀の話も、その頭で考えるのであれば、自然と“了”という結論に達するのは当然であろう。


 実際、僕の“王子としての理性”の部分では、婚儀の有用性というものを理解できてしまっている。


 戦が終わり、両者の和解として、互いに婚儀を結び、縁を深める。


 少し考えれば、誰にでも分かる話だ。


 だが、だからと言って、よりにもよって君からそれを勧められるなんて、当然ながら受け入れがたい。


 真っ先に聞いた祝辞が、君の口から発せられたものだなんて、とんでもない話だ。



(頭が茹で上がり、まともな思考の邪魔をする! ああ、今日は本当に厄日だ!)



 気分は最悪。世界がグラついて見える。


 君は本当に罪深いよ、ネイローザ。


 とうとうその声にまで、僕を蝕む棘が生えて来るなんて、本当に、本当に、最悪な気分だよ、今日という日は!

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