第6話 寂しい朝食と黒薔薇からの忠告
朝の調練の後もいつもの如しだ。
汗と土で汚れた衣服を着替え、誰もいない食卓につく。
まあ、別に無人と言うわけではない。
給仕はいるし、食事を取りながら報告、連絡事項があれば文官らの話も聞く。
しかし、食卓を囲む相手がいない。
母が亡くなってからというもの、だいたいこんな感じだ。
父はとにかく忙しく、朝は目覚めると同時に軽く食事を取り、すぐに執務に入る。
朝の調練を終えてから朝食を取る僕とは、生活のリズムが噛み合わない。
昼はなるべく同席する事にしてはいるが、特にこれといった話題もなく、歓談などとは無縁だ。
親子関係などと言うものは、とっくの昔に冷め切っている。
あるいは、母が死んだあの時から、すでに破綻していたのかもしれない。
息子の養育は完全に他人任せ。
今こうして僕を鍛えているのも、ネイローザや他の先生達ばかり。
父はどこまでも“国王”という生き物であって、“父親”という生き物ではない。
そう感じずにはいられない。
そんな父からの呼び出しであるし、どうせろくでもない事だろうと、僕は決めてかかっていた。
朝食を終えても、席を立つ気にもなれない。
「殿下、そろそろ陛下の下へ参りませんと……。あまりお待たせするのは、よろしくありません」
食堂の隅に控えていたネイローザの声が、僕の耳に突き刺さる。
普段はクロツグミのように澄んだ通る声も、今に限って言えばカラスのような、けたたましくも不快な声に聞こえる。
ああ、麗しき姫君の声を汚すなど、父という存在は実に不愉快だ。
「正直に言うと、行きたくないんだがな~」
「ですが、国王からのお呼び出しは、すなわち“勅命”です。王子としての責務を全うなさってください」
反論の余地を残さぬ全くの正論である。
ネイローザよ、君の言葉は全くもって正しい。
国王は国家の運営という重責を担っている。実に重たい荷物だろうと言う事は、今更ながら説明の必要もない。
指先一つで何十人何百人の人を動かし、それが幾千、幾万の人々に影響を与える。
無能で惰弱な王を戴けば、たちまち国が傾き、その幾万の人々が苦労をする羽目になる。
君との駆け落ちなんて考えつつも、すぐにその考えを止めてしまうのは、それが怖いからだ。
僕はいずれ国王となり、今の父上と同じ事をしなくてはならない。
それを放り出して、君と、君だけとの時間を過ごせたらば、どれほど幸せだろうか。
しかし、それをやってしまうと、この国が立ちいかなくなる事は分かっている。
分かっているからこそ、踏み出せない。
いや、逃げ出せないと言うべきか。
ネイローザ、君は真面目で、この国の事を大事に思っている。
そうでないなら、とっくの昔に王宮を出て、どこかに旅立ってしまっていたことだろう。
しかし、黒い薔薇の咲く場所は、百年以上も前からこの王宮の中なのだ。
花は土があってこそ、花が咲く。
君は王宮と言う場所を、花壇に選んだ。
選んだからこそここにいて、今も僕の目を楽しませてくれる。
もちろん目だけじゃない。五感全てが君のためにあると言っても良い。
独占したいと思う。この美しい花を。
しかし、土から離れては生きられないのもまた、花なのだ。
手折ってしまえばたちまち枯れる。
(ままならない。何もかもがままならない)
王族と言う肩書の、何と煩わしいことだろうか。こう考える度に苛立ちが募る。
本当に投げ捨ててしまいたくなる。
しかし、それではダメだという事も自覚している。
花壇を荒らす不埒者を寄せ付けず、しっかり庭木の手入れをする。
それが王たる者の務めであると、分かっているからこそ逃げられない。
この黒い薔薇が咲いている限り、僕は庭師と言う名の王の肩書を継ぐことに躊躇いはないのだ。
そして、その黒い薔薇は永遠に朽ちる事はない。
そう、この国と言う花壇が損なわれない限りは。
煩わしく感じる事もあるが、そうした義務感、使命感は何度も何度も聞かされてきた事だ。
なにより、君は悲しんでしまう。この国が無くなったら。
百年以上もずっと
ああ、本当に、本当に君という人は罪深い。
独占したいと思っていても、手を出せばたちまち棘で血が滴る。
手折ってしまえばたちまち枯れるし、それは最も悲しむべき事だ。
目の前にいるのに手が出せない。
抱きしめたいのに、“状況”と言う名の棘が邪魔をする。
こんなままならない事があって良いものかと、神を呪いたくもなく。
「まあ、邪神に祈っても詮無い話か」
つい漏れ出てしまった言葉だ。
なにしろ、黒エルフに“欠損”という名の
祈る神の名を知らないというのも、なんとも滑稽な話だ。
まあ、この黒い肌の姫君を生み出してくれたという一点だけは、賛美歌を捧げたい気分ではある。
邪神の讃美歌なんて知らないけど。
「さて、それじゃあ、この国で一番不愛想な人に会いに行くとしますか」
嫌々ながらも席を立ち、黒い薔薇と共に父上の待つ執務室へと向かった。
どうせろくでもない事だろうという予想はしたが、ネイローザの顔を立てて会ってやる、などと言う不遜な考えを抱きながら。
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