第5話 父からの呼び出し

「殿下! 調練中、失礼いたします!」



 悩ましくも楽しいネイローザとの楽しいひとときも、かけられた横槍の一言で終わりを告げる。


 ああ、彼女との二人きりが終わってしまった。そう名残惜しく感じるも、王子としては不貞腐れているわけにはいかない。


 まだ少し悲鳴を上げているあちこちの筋肉に鞭を打ち、スッと立ち上がって声の方に視線を向ける。


 良く知る相手だ。なにしろ、父の護衛を行っている騎士の一人なのだから。



「どうした? 何か用か?」



「ハッ! 国王陛下がお呼びであります! 折り言って話したい事があるからと、殿下には執務室まで来るように、と」



 要は、この騎士が僕の前に来たのは、伝令としてのようだ。


 父に呼び出されるのは、正直に言えば億劫だ。


 あの冷徹な人間の口から出る言葉は、はっきり言ってろくでもない事ばかり。


 しかし、ろくでもないというのは僕の考えにおける感情論であって、国の為を思っての言動に終始しているのが、父であり、国王としての姿勢だ。


 どれだけ家族に冷たかろうが、それは王としての責務を果たす事を第一にしているからに他ならない。



(反発するのは容易いが、それが正しいとは限らない。なにしろ、父の発言こそ、合理の極地。なんやかんやで、いつも正しいのだからな)



 父は正論しか吐かない。


 皮肉も言うが、結局のところ、国の利益を第一に考えている。


 それだけに反論したところで、言いくるめられるのがオチだ。


 またそれに付き合わされるのかと思うと、途轍もなく気分が重い。


 折角、ネイローザとのひとときで軽やかになっているというのに、無理やり抑え込まれた気分だ。


 しかし、国王の継嗣である以上、国王の呼び出しに応じないのは論外なのも承知している。


 わざわざ伝者を出して改まって呼び出した以上、重要な案件である事は容易に想像がつく。


 気が乗らずとも、受けない訳にはいかない。



「分かった、父のところへ行こう。ただ、ご覧の通り、調練で泥だらけな上にヘトヘトでな。着替えと朝食が済んでから伺う、と伝えておいてくれ」



 行きたくはないが、行かなくてはならない。


 ただ、ちょっとばかり引き延ばしを試みた。


 どのみち、この格好で国王の下へ馳せ参じるのは、無作法もいいところであるし、身だしなみは当然だ。


 その点は騎士も察してくれた。



「承知いたしました! その旨、陛下にお伝えしておきます! なるべくお早くお越しになられてください!」



 騎士は恭しく拝礼し、その場を辞去した。


 完全にこの場の空気が壊されてしまったが、やむを得ないことだ。


 ふと振り向くと、ネイローザもまた直立不動の姿勢で、今の会話を聞いていた。


 少し落ち着かない雰囲気もあったが、僕が顔を向けると、いつもの笑顔を向けてくれた。



「なあ、ネイローザよ、父の呼び出し、なんであろうな?」



「恐らくではありますが、西の隣国の件ではないでしょうか? 昨夜遅くではありますが、特使として交渉に赴かれていた大臣殿の姿をお見掛けしましたので」



「大臣が戻って来ていたのか。となると、交渉がまとまったという事か」



 西の隣国とは、先頃、戦争にまで発展した厳しい間柄だ。



(まあ、事の発端はこちら側ではあるのだけどね)



 我が国と西の隣国はとある河川を境にして、国境を接している。


 上流にある我が国からいくつかの支流と合流し、西隣の国へと流れていく。


 その川の側に、大規模な開拓事業を起こしたのが、父だ。


 広大な農地を得る計画だが、水事情が井戸だけでは事足りないとのことで、川の水をせき止め、河川の流れを変え、大規模な灌漑を整えた。


 結果、下流域へと流れる水の量が減り、西の隣国が公式な使者を出してまで、ただちに水の量を戻すようにと勧告してきた。


 それを父が「水の使用権なんぞ、早い者勝ちだ」などと言って突っぱねた。


 下流域たこくの水事情なんぞ、知った事ではないという強硬な姿勢だ。


 それからも外交筋ではかなりのやり取りがあったようだが、折り合いが付かず、とうとう実力行使にまで発展したのが今回の戦争であった。



(まあ、川の水量が減った上に、去年は旱魃かんばつで余計に水不足に悩まされたそうだからな)



 隣国が怒るのも理解できなくもない。


 だが、抗議を明確な形にできる程の武力を持ち合わせていなかっただけだ。


 当初は奇襲が功を奏して、問題となっていた河川の流域部を制圧。流れの変わった川を元に戻そうと工作に入ったところで、こちらの邪魔が入った。



(そう! 今僕の目の前にいる、麗しの『黒薔薇の剣姫』によって!)



 なにしろ、その工事現場に彼女は単身で乗り込み、次々と相手方の工兵のみならず、警護の兵すら斬り伏せていった。


 持ち前の俊敏さで引っ掻き回し、敵方は大混乱。


 そこへ到着した国王直属部隊がなだれ込み、大損害を与えた。


 多数の死傷者を出した上に、指揮をしていた将軍まで生け捕りにされるという決定的敗北を受け、ほうほうの体で撤退したのだという。



(見てみたかったな~、その光景)



 戦の結果云々よりも、戦場を疾走する黒い薔薇が見たいのだ。


 宮殿で可憐に咲く黒い薔薇も美しいが、戦場にて凛と立つ黒い薔薇もさぞや見応えのあるものだろう。


 見れなかったという点では、残念で仕方がない。



(いや、まあ、戦なんてない方がいいんだけどね)



 いくら国益のためとはいえ、人の生き死にが軽くなる戦争と言うものは好きになれない。


 今回の件にしても、原因はこちらにあるのだし、今少し折り合いが付けれなかったのだろうかと思うところはある。


 その点では、父は本当に容赦ない。


 この国を強くする事、富ませる事に関しては妥協がない。


 いざともなれば、平然と武力を用いて脅しもするし、行使する事にも躊躇がない。


 すべては自分の国のために、すべてを投げ打ち、あらゆる手段を肯定できる。


 そんな“強かな男”なのが、僕の父だ。



(いつか僕もそうなるのだろうか?)



 なりたいとは思わないが、ならなくてはならないと思う。


 何しろ、何かあった時に困るのが、この国の民なのだから。


 そして何より、麗しの黒い薔薇の咲いているこの国を、下手に土足でズカズカ他国者に荒らされるのが我慢ならない。



「ネイローザ、君も出征していたけど、今更ながら大丈夫だったかい?」



「私などの身の上を殿下に案じていただき、恐縮でございます。お気遣い感謝いたします。この国の繁栄を思えば、あの程度の事、労苦の内にも入りません」



「そうか……。ならよい」



 その小さな体で剣を振るい、百名を超す敵兵を屠ったのだ。


 それでもなお心配はないという、笑顔の君があまりにも眩しい。


 ああ、君を抱き寄せれないのが残念だ。


 抱き締めたら、この国が終わってしまうのだから。


 そうなったら、君は悲しむだろう。


 君の悲しむ顔だけは見たくない。


 僕は君を抱き締めたいのに、王族としての責務を忘れ、それをやってしまうと、国は乱れてしまう。


 ああ、なんて罪深いんだ、君という存在は。


 黒い薔薇はどこまでも刺々しい。


 しかし、美しい。


 この葛藤をどうにかできる術はないものかと、いつも思い悩む。


 おお神よ、どうかそんな手段があるのであれば、お教え願いえないだろうか?


 そのためであれば、僕は何でも贄として捧げましょう。

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