第3話 斜に構える

 それから更に三回ほど殺された僕は、そこでさすがに体力が尽きた。


 荒れた呼吸のまま地面に身を投げ、汗を拭く事すらできずに仰向けで倒れる始末だ。


 一方のネイローザはまだまだ全然余裕だと言わんばかりに、身体をほぐして、更に素振りまでしている。


 本当に実力差が天地の差である事を思い知らされてしまう。


 百年の研鑽の先、そう言った君の言葉に嘘偽りはない。


 決して変わる事の無い悠久の黒い薔薇、いつかは掴もうと思っては見ているものの、それは果てしなく遠い道だ。


 そう感じずにはいられない。



「殿下、朝の調練はこの辺りにしておきましょう。朝食後はいかがなさいますか?」



「もちろん、剣術の鍛練だ! このまま負けっぱなしは気が済まぬ!」



「もう何年、その台詞を吐き続けていますことやら。無論、これから先もずっと、ですか」



「今に見てろよ! 絶対一本取ってやるから!」



「では、せめて御父君ほどの腕前にはなってくださいな。まだあの御方も一本取ってはおりませんが、切っ先を掠める程度には強いですので」



「……父は強いのか?」



「御歳が御歳ですし、体力的には落ちつつありますが、短時間の勝負であれば、殿下が勝てる道理はありません」



 僕の剣の相手はいつもネイローザであるから、父と手合わせした事はない。


 しかし、彼女が強いと言うのであれば、その通りなのだろう。


 現に、少し前に隣国と戦があり、その際も父は出征して、王自ら剣を振るって敵を蹴散らしたと聞き及んでいる。



(まあ、目の前の剣姫の方が凄まじかったのだけれども)



 なにしろ、同じく出征していた騎士から聞いた話では、ネイローザは一人で百人からの敵兵を斬り伏せたのだそうだ。


 開戦当初は隣国の奇襲攻撃が功を奏し、かなり押し込まれたそうだが、父とネイローザの到着で戦局がグルッと反転した。


 初戦の勢いに乗る敵軍にネイローザが斬り込んで引っ掻き回し、その士気を大いに挫いた。


 勢いが殺された上、剣姫に散々引っ掻き回されたところへすかさず父が精鋭を率いて突撃し、これを蹂躙。


 敵軍主力は大打撃を受け、そこで戦の趨勢は決したと聞き及んでいた。



(でもまあ、正直なところ、僕も出征したかったんだけどな)



 なにしろ、僕は初陣すらまだの状態だ。


 もちろん、国王が親征しなければならないような緊急時自体が起こらない事に越した事はないが、それでも戦場を華麗に舞う姿を見たい。


 何しろ、半人前の僕と戦う時ですら可憐に美しい黒い薔薇なのだ。戦場を闊歩する姿もまた、さぞや見目麗しい姿なのだろうと勝手に想像している。


 ああ、風に舞う花吹雪のごとく、華麗に、それでいて縦横無尽に駆け巡る黒い肌の妖精、想像するだけで体が熱くなってくる。



「……なあ、ネイローザ、父が強いのは分かったが、僕にはそれに対して、何が足りてないのだろうか?」



「先程も申し上げましたが、剣は使い手の性格が出ます。そして、殿下の剣はあまりに正直すぎます。相手がそれに付き合う道理はありません。戦においては、いかに悪辣な方法であろうとも、どうやって相手を“騙す”のか、それを考えねばなりません」



「相手を騙す、ねえ」



「生きると言う事は、駆け引きの連続であり、戦もまたその理に支配されております。読んで当然、読まれて当然、それでもなおその先を読むのです。十手の先を読む相手には十と一手の先を読み、百手の先を読む相手ならば、百と一手の先を読めばよろしい。そこでようやく相手を“騙せる”のですから」



 さすが百年の研鑽と言うだけあって、一家言ある彼女の言葉だ。


 そうやってずっと先を見据えていたからこそ、その小さな体で無敗の剣士を続けていられるのだなあと感心した。



「それなら僕には、かなり難しい課題になりそうだな」



「そうでもありません。現に御父君もまた、若かりし頃は殿下と同じく、実に真っ直ぐな剣筋をしておりましたから」



「え? そうなのか?」



「はい。若かりし日の御父君もまた、私が手解きいたしましたので、その動きや性格はしっかりと把握しております。ちなみに、今の殿下と同じ顔をしておりますね、かつての御父君も」



 つまり、こうして微笑みながら話している事も、父にも聞かせてあげたと言う事なのだろう。


 あの性根の曲がった父なんかに、この笑顔は勿体なすぎる。


 ネイローザの話だと、かつては“真っ直ぐ”だったようだし、捻じり曲がったのは後天的なものの理由ということだ。



(余程、王の仕事ってのに毒されたんだろうな~)



 なにしろ、この国の国王である。


 国王は自分の事よりも、国の事を何より優先する必要に迫られる。


 問題があればすぐに頭を働かせ、それを解決しなくてはならない。


 たとえ、愛する人が怪我や病気で寝込んでいたとしても、それを捨て置いて問題解決にあたるのが王という生き物だ。


 ネイローザからもそうした心構えを言われたりもするが、この点だけは嫌悪感と言うか、拒絶の意思が働いてしまう。



(だってそうだろう? もしも、だ。君が病を得て倒れてしまったとしても、見舞ってやることもできないじゃないか)



 実際、それがかつてあったのだ。


 母が病に倒れたというのに、父は見舞いにも来なかった。


 いやまあ、領内で地震が発生し、その復旧の差配で走り回っていたのは知っている。


 王の姿勢としては、それが正しいのだろう。


 家を失った領民には住むべき場所を、飢えている民には食料を、凍える者には毛布や薪を、それぞれ用意しなくては暴動にも発展しかねないのだから。



(そして結局、父は来なかった。ようやく来たときは、母が亡くなられて二日も経ってからだ。おまけに葬儀の席でも、涙一つ流さなかったあの冷血漢!)



 だから僕は父が嫌いなのだ。


 あの優しかった母を見向きもせずに、ひたすら国のために働き続けるその姿勢が、どうにも好きになれない。


 王としては正しいが、全く人間味を感じない男だ。


 半分とは言え、その血が自分に流れているのかと思うと、自分の体からその血を絞り出したくなる。



(まあ、そんな事をすれば死んでしまうがな)



 埒のない事を考えつつ、泥と汗まみれの顔をネイローザが差し出してきた手拭いでふき取った。


 ああ、この優しさの一部でもいいから、父は学ばなかったのか。


 目の前の黒い薔薇はこんなにも尽くしてくれると言うのに、父には伝わっていないのだろうか。


 伝わっていないから、ああも冷たくなれるのだろうか。


 考えれば考える程、僕は泥沼にはまってしまう。


 そんな僕の思考を読み取ったのか、ネイローザは笑顔を答えてくれた。



「御父君は誰よりも真面目なだけですよ。だから私が『斜に構えなさい。時に人も騙しなさい』と諭したから、真面目にそれを実践してみせたのです。殿下も真面目な御方でありますし、いずれ分かる日が来ますよ」



 笑顔でそういう君は実に魅力的だが、今の言葉だけは首肯しかねる。


 あんな冷血漢のようにはなりたくないと、生理的に拒絶してしまう。


 真面目は美徳だが、時にそれは足枷にもなる。


 君はそう言いたいのだろうが、やはり受け入れられないのは未熟の証なのだろうかと、思考の渦に僕は呑まれる。


 悩ましい事を言う君は、本当に罪深くも麗しき黒い薔薇だ。

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