第拾幕 追憶
飛鳥はエドガーこと八雲に、自らが見て来た叢雲邸事件の全てを説明した。その説明の中には、もう八雲や龍一しか知らないことばかりが含まれていた。
加奈のスケッチブック、スティレット、タロットカード、屋敷内の詳細なレイアウト、桐生楓の人形など、あげたらきりがない。それを一つ一つ口にされるたびに、八雲はかぶりをふり、額を押さえては小さく息を吐いていた。
「最後……炎上する叢雲邸のエントランスで、私はあなたと対峙して……爆発に巻き込まれて、この有様です」
「そう言うが……俺の記憶に君の存在はない」
八雲は流暢な日本語で事件を補完した。飛鳥が知ることのなかった裏側の全てなのだが、あの時のエドガーが言っていた通りだ。
「あの時……教えられた通りですね」
その納得に対し、八雲は睨みつけてくる水羽を一瞥すると大きくかぶりをふった。だが、飛鳥が語ったことは生々しく、それでいて実に精確だという現実が、事態を余計に複雑化しているのだ。
「君の言っていることは確かだ。ただ……その事件を起こしたのは一年前なんだよ。どうして君はそれを――」
そう口にした瞬間、八雲の脳裏をよぎったのは、民宿にて水羽に語った宵霧山の言い伝え――。
古より、この山にはまつろわぬものが巣くい、幻を見せて迷い込ませた人々を喰らっていた。ある時、魔を討ち取れる力を持った若者が山を訪れ、見事まつろわぬものを討ち取った。しかし、まつろわぬものの妖力を浴びせ続けられた山は呪われ、穢れが残る死の山となってしまった。
穢れが残る山――自らが犯した穢れが、この場所に残っている……それを彼女は何かしらの干渉で垣間見た……のか?
「いや……あまりにも非現実的だ……」
思わず呟いた。自分がした推測はありえないことだ。我々が生きる現実という世界からあまりにも乖離した彼女の体験は、どんな科学的な検証をしたところで答えなど出ない。出ないからこそ、そこに超常現象や陰謀などを付けたがるのが人の常だが、ただの妄想や幻覚で片付けるには、彼女は知り過ぎている。
「あんたが口にしてた言い伝え……関係あるんじゃないの?」
非現実的だと口にした八雲の考えを察したのか、水羽はその言い伝えを飛鳥にも話した。
「ああ……だから……なのかな」
それなら納得だ、とでも言わんばかりに飛鳥が頷いたため、八雲は慌ててその意図を問い質す。
「待ってくれ……何に納得が出来るんだ? ただの言い伝えだぞ?!」
「……私が幽霊を視ることが出来るのも……関係していたんじゃないでしょうか」
「幽霊?! 君の霊感が……穢れの残滓を垣間見たって言うのか?」
ありえない。八雲がそう言いたいことも、認めたくない理由もわかる。自分と龍一しか知らないことを無関係な小娘が垣間見るなんてことが現実とは思えない。だが、飛鳥の記憶には確かにエドガーたちと会話し、あの四日間の経験が刻まれている。
「……私だけが二000年の人間で、あの人たちは一九九九年を生きていた残滓だった……こんなことがあるんですね」
納得したような物言いをしたが、飛鳥自身も戸惑っているのだ。
「何を言われても……この出来事を科学的に説明することは出来ませんね。幽霊が視える原理を説明しろと言われているようなものです」
そう言われ、八雲は力なく笑った。
「はは……そうだね。君の経験を流暢に説明出来るほうがどうかしているさ……」
壊れたような笑いを披露した後、八雲は急にその笑みを放り投げ――。
「海堂さん……君にも付き合ってもらってもいいかな? むしろ……あの時を知っている人がいるのなら歓迎だ」
「付き合う……?」
「ええ、これから……詩と結婚するんです。数え年なら十九歳だが……十八歳になった彼女との約束を果たしたいんだ」
八雲は飛鳥と水羽の横を抜け、壁の分厚いプレートを捲り上げた。プレートの下には、暗証番号を入力するボタンがあり、帝二が登録していた詩の誕生日を入力することで、時計塔への通路が露にさせるのだ。
「結婚式をするって言ったって……こんな地下で?」
「そうだよ。君に見せた時計塔の地下にはちょっとした空間があってね。事件後に榊原さんが式場として準備してくれているんだ」
そう言った八雲の背後では、壁に偽装されていたドアが微かに後退した。
「そこでは地上のこともわかるから……海堂さんが現実の叢雲邸に迷い込んでいたなら保護されていた場所だよ」
八雲はドアを開いた。静寂に包まれた直線廊下の果てにも両開きの扉が見えた。
「事件の真相を知ったからといって……君たちをどうこうするつもりは毛頭ない。ただ、他の人たちと一緒に参列し、式の最後を外で見届けて欲しいだけなんだ。……強要はしないよ」
今度は龍一の誕生日を入力し、二人が外部と連絡をとれる唯一の場所である管理小屋への通路を解放した。しかし、二人は帰ろうとしない。
「見届けてくれる……ってことでいいのかな?」
まずは水羽を見た。
「殺人鬼とはいえ……借りがありますから」
「海堂さんは?」
「私も見届けます。ですが……八雲さんに一つだけ、お尋ねしたいことがあります」
「何かな?」
「あなたは……自分が犯した罪をどうする気ですか? まさか……自分は詩さんの仇を討った正義だと思っていませんか?」
「ふふ……あれは神に赦された復讐劇さ。貴い行為とは言わないが……誰も俺を裁ける者などいなかった」
躊躇うことなく八雲は言い放った。飛鳥にはその表情に傲慢にも似た感情が渦巻いているように見えた。対峙した時と同じ、仇を隠れ蓑にしたただの人殺しの顔だ。
「神に赦された……?」
「そう……あの殺人を決行する決意をした夜……自分が知る限りの神様に訊いてみたさ。この復讐が罪ならば、叢雲邸に裁く者を招けとね。だが……現れなかった。この復讐は正義の行いだったということさ。俺の勝ちだ……奇怪な偶然で君は事件を垣間見たようだが、当時に君がいたら……負けだったろうね」
殺人を正当化している。その姿勢に眉を顰めた飛鳥は、真実を突きつけた。
「いいえ……その誓約はあなたの負けです」
「なに……?」
八雲は思わず飛鳥を睨みつけた。俯いている所為で飛鳥の表情はわからないが、微かに身体が震えている。
「あなたの負けですよ……八雲さん。どの神様か知りませんが……神様はしっかりとあなたを裁く者を招いていたじゃないですか……」
「ふん。それが君だって?」
「いいえ、私が見たのは……この廃墟に残された残穢です。その時にいなかった私があなたを裁くことなど出来ません」
「なら――」
「いたじゃないですか……あなたが隠していた帰化も名前も仕草も見抜いた人が……たった一人」
「……相沢加奈か」
「はい。私も彼女のおかげであなたが嘘をついていることがわかりました」
「だが……彼女は探偵にならなかった。俺の復讐は罪では――」
「いいえ! あなたがしたことはれっきとした犯罪です!!」
声を荒げた飛鳥に水羽はビクリとした。彼女が声を荒げるなど滅多にないのだ。
「罪ではないと言うのなら、じゃあ加奈さんの殺人はどういうことですか? 中途半端に拘っていた見立てが〝罪の告発〟という意味なら、それを無視した加奈さん殺しはどう説明してくれるんですか?」
八雲は答えに詰まった。微かに浮かべていた勝ち誇ったような小さな笑みは消え去り、視線が揺れ出した。
「復讐が罪なら自分を裁く者を招けと言いましたね。そう言いながら、あなたは〝無関係な人〟と〝自分の正体に気付いた少女〟を殺したんです。このままでは自分は裁かれ、詩さんの仇が討てなくなる。その瞬間、あなたは正義の復讐者ではなく、ただの〝穢れた殺人鬼〟になったんです。同じですよ……飲酒運転で詩さんを撥ねたのに……自分の罪から逃げた古泉さんや天音さんと……」
八雲の言い訳を突き放す。
「殺人を復讐だと……詩さんの仇を討つと言い訳して……自分がやっていることを棚に上げて……自分と同じ悲しみを与えたんです。誰かを殺すということは……誰かを泣かせることなのに」
「……それの何が悪い」
消えた笑みの代わりに浮かぶのは純粋な怒りだ。拳は握られ、歪んだ口の端は引きつる。
「泣かされたものは……泣かした相手を赦して泣き寝入りしろと?」
「詩さんの死は悲しいことです……古泉さんと天音さんを赦せとも言いません」
「それなら……!」
「私は法律に詳しくありませんし……誰かに道を示せるほどの人生経験もありません。ですが……復讐は犯罪であることはわかります。そして……それを決行出来るのは、自らを犯罪者だと断罪出来る覚悟を持った人だけだということも……!」
「自らを断罪出来る覚悟だと……?」
「……人は怒りをコントロールすることが難しい。押さえ込むことが出来なくなった怒り……その怒りを正当化することが出来た時……人は錦の御旗を掲げて暴走するんですよ」
八雲は詩を殺された怒りのやり場を求め、詩の仇という錦の御旗を掲げて秀一たちを殺したあげく、自らの罪を正当化させた。それは詩のためではなく、ただ、自らのやりきれない感情を吐き出すための所業。誰かのためではなく、自分のための殺人だ。
「仇を討つなんて……生きている人間の望みだと思います」
とはいえ、飛鳥も八雲の立場に立った時、どう動くのかは想像することしか出来ない。命を奪うのも奪われるのも、全ては当人たちにしかわからないのだ。だが、八雲へはっきりと告げた言葉は、彼女の本心からだ。殺し、殺されることの悲惨さを飛鳥は幽霊たちで見てきたからだ。そして……復讐は終わることのない悲しみの連鎖を招くだけだということも。
「詭弁……」
「詭弁でも欺瞞でも……偽善でも結構です」
八雲の呟きに毅然と返す飛鳥。
もしも自分が誰かに殺されたとしても、水羽に仇なんて討ってほしくない。それは彼女が殺人鬼となって、誰かを泣かせることになるからだ。それに加え、死んだ自分にはもう現世との関係などない。結局は生者の自己満足でしかないのだ。
その考えが通じたのかは不明だが、怒りを露にしていたはずの八雲はやおら飛鳥たちに背中を向けた。
「……言い訳に聞こえるだろうが、俺は秀一とは違う。俺は……俺自身が犯した罪から逃げるつもりはないんだ」
「えっ……?」
「復讐の是非についての議論は不毛だ。だけど……君が言う通り、加奈と翔太を殺した時はもう見立ても順序もどうでも良かったかな。偉そうに誓約をしておきながら……正体が露見しそうになった時は保身に動いた……秀一を殺せなくなるという言い訳をしてね。いつの間にか……仇と同じ存在になっていたなんてね。その覚悟はあったけど……こうして誰かに突きつけられると、また違った趣がある」
いや、飛鳥に指摘されたのが最初ではない。仇の一つではなく、保身で加奈を殺そうとした時に、彼女からも指摘された。
八雲はやおら自分の掌を見つめる。もう、詩を――誰のことも抱けない穢れた手。
「……海堂さんも参列してくれるかな」
「はい」
「そうか……ありがとう」
八雲は二人に頭を下げた。
飛鳥と加奈の言葉で全ては決まった。おそらく心の底では、自らの末路を英雄のような感覚でいたのだろう。だが、もう錦の御旗は消えた。そして、覚悟もある。
二人は八雲の背中を追いかけ、最果てで八雲たちを待っていた白い扉を抜け、
「八雲様……お帰りなさいませ」
姿を見せた八雲を見、龍一は静かに頭を垂れた。
「榊原さん……ですか?」
その言葉遣いと容姿を見、この老人が榊原龍一なのだと飛鳥は理解した。だが、龍一の方は飛鳥と水羽に目をやると同時に、皺と髭の顔に驚きを浮かべた。
「八雲様……こちらのお嬢様方は?」
「榊原さん……だいぶ痩せたね。実はね……」
首を傾げる龍一に、飛鳥が体験した不思議な出来事を説明する八雲。
八雲と同じく、最初は信じていなかったようだが、自分たちが行った計画や館内での会話を鮮明に言ってみせた彼女の証言を聞き、信じてくれたようだ。
「不可思議なことは……あるものですな。山に伝わる……残穢というものなのでしょうか……」
「俺たちが犯した穢れを……彼女は見たんだ」
骸骨のように痩せこけた龍一の肩に触れ、八雲は部屋の中を見渡した。
そこはもう一つの宵霧湖の底に半分埋まった状態で作られた部屋だ。天井は低いが、細長い室内の左右には簡素な長椅子が並び、大理石の壁には等間隔にランタンが設置され、翳りを生みながらも室内を照らしている。ランタンや長椅子は龍一が事件後の一年間で用意したものだ。
「君たちは最前列に座って欲しいな」
驚く二人を促し、八雲は長椅子の間に敷かれた深紅のカーペットの上を進む。
「あっ……」
不意に飛鳥が声をあげた。振り返らずともその理由はわかる。長椅子には客室から回収した人形たちの他に、六体の球体関節人形が座っている。その人形たちが着ているのは、殺された秀一たちの服だ。
「最後の仕上げの時にクローゼットやバッグから回収したんだよ。彼らにも出席してもらおうと思ってね」
困惑する飛鳥と水羽に服の意味を伝えながら、八雲は部屋の最奥に置かれた玉座のごとく重厚な椅子に掛けられた純白の布を捲り――。
ああ、ずっと……逢いたかったよ……詩……。
露になったのは、目を閉じたまま八雲の帰りを待っていた叢雲詩の人形だ。
詩が亡くなった年、変死する前の桐生楓に帝二様が大金を払って作らせた人形だ。その外見は完全に詩そのものだ。目の前の詩人形は、館内に飾られている人形とは比べ物にならないほど美しく、最初に見せられた時は存在を疑ったほどだ。
「詩さん……ですか?」
横から飛鳥が尋ねた。
「そうだよ……亡くなった時のままの姿さ」
「桐生楓作ですよ……ね?」
「ふふ、これほどまでに人形を美しく作れる者は……彼女以外に存在しないだろうね。さあ、二人とも席に着いてくれるかい?」
そう言って、二人を座らせた八雲は玉座から詩を立たせる。ガクリと倒れ掛かって来た詩を支えたまま、二人と龍一に向かって振り返った。
「海堂さん、水羽さん、榊原さん……こうして私と詩の新たな旅立ちの見届け人として参列していただき、まことにありがとうございます……」
俗にいうお姫様だっこをしたまま、八雲は三人に頭を垂れた。その感謝の心は本心からだ。あるべきはずだった光景を見届けてもらい、全ては終息へ向かうのだ。
「海堂さん、水羽さん……私と詩はこれから永久に旅立ちます。どうか、私たちの姿を記憶に留め……終焉を見届けてください」
「終焉……? 八雲さん……まさか――」
立ち上がろうとした飛鳥の前に龍一が立ち塞がった。
「海堂様、小室様、これより新郎新婦が永久に向かいます。お二人様は私とご同行を願います」
一礼した龍一は、二人に退出を促した。
「榊原さん……八雲さんは――」
「……八雲様に覚悟はございます。どうか見届けてあげてください」
式場から追い出された飛鳥と水羽は、先ほど八雲が解放した管理小屋へ通じる廊下を進まされた。湖の下を抜ける長い通路の果てには階段があり、その先に現れたのは管理小屋だ。
「ここは屋敷が健在だった時に使われていたボートなどの管理小屋です。屋敷にもしものことがあった時の連絡場所でもあったので、救助隊への連絡も可能です。食料も防寒具も一ヶ月の滞在に耐えられる充分な量が備蓄されています」
そう言うと、龍一は二人に松明を手渡した。
「あの……これは……」
「時計塔の鐘が歌い始めたら……火をつけて振ってください。もちろん……外でね」
「振る?」
訝しがる水羽を一瞥した龍一は頭を垂れた。
「……ありがとうございます。どうか……見届けてください」
そう言うと、それ以上何も言わずに龍一は地下へ消えた。
「飛鳥……あの人ら何を……」
「覚悟はあるって……」
「死ぬ覚悟ってこと? 駄目だって――」
水羽が地下へ向かおうとしたと同時に、その穴は音もなく閉じられ――突然、鐘の歌声が響いた。
八雲さん……まさか最初から――。
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