剥落 2

「……正直驚いたよ。君たちがこの仕掛けに気付くなんて思いもしなかった」

 惨めな秀一の横を悠々と抜けた俺は、近くのイスに腰掛けた。

「もう少し……自分のしでかしたことを懺悔させようと思っていたけど、いやはや……人間という奴は突拍子もないことをするもんだ。こちらの計画通りに動いてくれないんだからさ」

 一週間の猛吹雪に嘘をついた天候に対しても苛立ちながら、俺は慈悲を手遊びする。

「どうする? 慈悲らしく一撃か、それとも……君が撥ね殺した詩の復讐よろしく嬲り殺しが良いかな?」

 そう尋ねると、秀一は惨めな顔を歪ませながら俺を見据えた、気がする。

「……君と……叢雲は関係ないだろう……」

 どうやら見据えてきたと思ったのは気のせいだったようだ。脳震盪でも起こしたのか、秀一の視界は定まらず、鼠のように動き回る瞳が妙に苛立たしい。俺は眉を顰めたまま、スティレットの切っ先を秀一の額に押し付けた。

「関係あるんだよ。叢雲詩と婚約していた……俺にはな!」

 スティレットを秀一の目と鼻の先に突き立てた俺は、ガガンボのような身体を掴んで叩き起こした。

「慈悲なんてお前に相応しくない。俺や帝二様……叢雲の関係者全てが味わった苦しみをお前にもやるよ。地獄で夕子と仲良くな」

 地獄で行われる夕子との逢引祝いとして、俺は外国人らしく頰に別れのキスをし、秀一を連れて皇帝の部屋を後にした。

「八雲様……これで全てが終わりますな」

 サロンで俺のことを待っていた榊原さんと合流し、抵抗出来ない秀一の身体を固定していく。

「……そうだよ。二人ほど……申し訳ないという気持ちを抱かせた人たちだが……詩のためだ」

 翔太と加奈には本当に申し訳ないと思っている。悪人ではないし、人殺しでもない。とはいえ、俺自身もけじめはつける予定だ。俺も裁かれるから、どうか赦してほしい。

「八雲様……」

 俯いた俺を心配したのか、榊原さんから声が飛んだ。

「大丈夫だよ。報いは受けるんだから。それより……紅茶を頼んでもいいですか?」

「かしこまりました」

 バーで紅茶の準備を始めた榊原さんを一瞥し、俺は秀一に最期の死化粧をさせる。それに対して微かに抵抗を示した秀一だが、俺は欺瞞と罪でしかない口と鼻をガムテープで塞いだ。

 ミイラのようになった秀一を背負い、バーの窓から彼を逆さまに吊るした。その際に彼のポケットからタロットカードの束が落ちた。

 それを横で見ていた榊原さんは、

「……八雲様、もしかするとタロットカードを見て、皇帝の部屋の仕掛けに気付いたのでは?」

「そうかもしれませんね……けど、もう関係ありませんよ」

 かぶりをふった俺は、榊原さんが淹れてくれた紅茶を受け取り、罪人の処刑を満喫出来る特等席へ向かった。

 エントランスの中央階段に腰を下ろし、じっくりと処刑を楽しむ。

 呼吸の出来ない地獄、それを楽しまれている地獄、自らの行動が招いた地獄、様々な地獄が秀一に襲いかかり、彼は懺悔しただろう。冷たいコンクリートの上で、自らが流した紅涙で苦しんだ詩のことを思い、そして――。

 古泉秀一は死んだ。

 丁度紅茶を飲み終わるぐらいに全てが片付いた。窒息死は惨たらしいという言葉通り、秀一は散々に苦しんでから逝った。少しは自分の罪が自覚出来ただろう。

 苦しんだ後に死んだということは愉快だったし、ガムテープ越しの断末魔をBGMにして紅茶に舌鼓を打った。それだのに、何故か俺の心は晴れなかった。

 喜びと虚しさを分かち合えないからなのか、仇を殺しても詩は帰って来ない現実に対する諦観なのか、自分の心境を把握出来ないまま、俺はしばらく踊り場でうずくまっていた。

「八雲様、全ての部屋に灯油を撒き終わりました。焼け残っては困るものは全て回収し、吊し男以外の死体は全て整えておきました」

「ありがとう、榊原さん。……嫌な役を押し付けてしまって……申し訳ない」

「いいえ、詩様の仇を討てるのなら……どんな役目で引き受けますよ」

 罪人たちには微塵も見せなかった優しい笑み。詩のことを幼い頃から見守ってきた人だ。だからこそ詩も榊原さんに全幅の信頼を寄せていたし、それは俺も帝二様も同じだ。だからこそ、この四日間見せていた冷たい顔は慣れなかった。

「もう詩様にも帝二様にも見せられない姿になってしまいましたが……叢雲八雲様、最期まで……地獄までお供させていただきます」

 深々と頭を垂れた榊原さんを見、立ち上がった俺も彼に頭を垂れた。

 罪人たちは死んだが、やるべきことがまだ山積みだ。

「ボートを持って来ます」

 そう言うと、榊原さんは地下通路へ消えた。そこには管理小屋の他に時計塔にも通じており、外が猛吹雪であっても行き来は容易だ。

 榊原さんがボートをエントランスに寄越す前に、俺は秀一の死体を解放し、星の部屋へ戻しておいた。秀一を最後に殺したのは、復讐と殺人事件の罪を彼に被せるためだ。痴情の縺れで夕子を殺した後、発狂した秀一は全員を殺し、最後は灯油を屋敷中にばらまいて焼身自殺だ。

 誰もが灰だらけの骸骨になってしまう。警察が調べるにしても限界はあるし、わざとリークさせた秀一と夕子の関係などが大学で知れ渡っている。関係者への事情聴取の末に、警察は痴情の縺れによる犯行へ落ち着くだろう。英字の死体にスティレットも刺しておいたし、刺された痕跡が無いのは秀一だけとなった。頭蓋骨に凹みがあっても、五人の誰かに抵抗されたぐらいにしか思われないだろう。

 そんなことを考えながら、廊下にも灯油を撒いていく。この屋敷で過ごしたのは片手で数えるほどだが、詩と一緒に過ごしたこともある。灰にしてしまうのは悲しいし、罪人の墓標になってしまうのも悲しいが、殺人に手を染めた俺と榊原さんには相応しいのだろう。

 やがて屋敷全体に灯油が染み込み、ポリタンクのお役目ご苦労さんと同時に榊原さんはボートでやって来た。証拠となりえる危険なものは全て回収してあるため、もう屋敷に用はない。

 俺もボートに乗り、渡されたライターを踊り場に向かって放り投げた――その瞬間、灯油によって導かれた業火は瞬く間に屋敷の全てを呑み込んだ。罪人たちが安らかに眠る客室、大食堂、監視ルーム、サロンにエントランス、その全てが過去になり、微かに弱まり始めた吹雪を寄せ付けぬまま業火は猛り続けた。それはまるで、狂戦士の雄叫びのようであり、宵霧山の穢れそのもののような気がした。

「人身御供の湖ですよね? 宵霧湖って……」

「はい。そう聞いております。宵霧山自身が人喰い山としても恐れられておりますから……伝説にまた華を添えますね」

 人の粗と好き勝手脚色した記事を愛するハイエナたちの狂騒が容易く思い浮かぶ。

「榊原さん……警察への対応は任せます。俺は……自分の後始末をしてきますから」

「かしこまりました。時計塔の式場で……その日までお待ちしております」

 燃え盛り、影絵となる叢雲邸を見据えながら、

 詩……帰って来るから……待っててくれ。

 微かに覗いた遥かの糠星を仰ぎ、俺は宵霧山に別れを告げた。

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