静寂 2

「荷物が……漁られてる?!」

 秀一から荷物を受け取り、一人節制の部屋に向かっていた飛鳥だったが、開け放たれたままの自室を通り過ぎた時、その惨状に驚愕して荷物を床に落としてしまった。

 いつの間に、そして誰がやったのかはわからないが、ベッドのシーツは切り裂かれ、クローゼットは服を吐き出し、バッグの中身は床にぶちまけられている。

「……坂本さん?」

 残り三つの部屋に聞こえるよう呼びかけてみたが、翔太はおろかエドガーからの返事もない。

「エドガーさん?」

 自室を後回しにし、飛鳥は慎重に節制の部屋を覗き込んだ。部屋は漁られていないものの、翔太とエドガーが死神の部屋から運び込んでいたはずの加奈の荷物が漁られている。

 その惨状を見、飛鳥は下手人が何を探していたのか確信が持てた。もしも推測通りなら、明らかに強行した加奈殺害の理由も確定する。そして、候補に上がった犯人の正体も確定する。殺人鬼に似つかわしくないが、もしもそうなら理由は叢雲詩の件だろう。

 とにかく二人を捜さないといけない。殺人鬼が羊の皮をかぶっているのなら、背後からでも強襲することが出来る。二人一組でも危険だ。

 飛鳥はスケッチブックを抱いたまま、背中を壁に預けながら廊下を進んだ。いつだったか、皆殺しにするなら屋敷を燃やせばいい、と話題にあがったが、自分とエドガーを除いた六人が死ねば殺人鬼は躊躇うことなく火をつけるだろう。とにかく、秀一か翔太が生きていてくれればそれでいい。

 飛鳥は背後の翳りから見つめてくる人形の視線を流し、西側廊下に出た。水音は僅かな変化もないまま響き渡り、飛鳥の耳に届く情報を遮断している。

 慎重な歩みを続け、飛鳥はサロンを覗き込んだ。そこに人の気配も姿も無いが、バーの窓が開かれているのか、扉を閉めてもエントランスの水音が聞こえてくる。

 広いとはいえ、一階と二階しか持たないコの字状の屋敷で誰にも見つからずに動くことは難しい。奇跡的な擦れ違いをしなければ合流は容易いはずなのだが、翔太にも秀一にも会えない。

 唯一人が隠れられそうなカウンターには近付かず、開閉を水音で掻き消してもらいながら東館へ出た。客室前廊下への扉は開かれたままになっているが、視界が捉えた客室への扉は全て口を閉じている。

「古泉さん?」

 部屋にいるはずの秀一に聞こえるよう声をあげた飛鳥だが、返事はなく、代わりに気になったのは件の人形だ。バルコニーへ通じる扉の横にある翳りの中に立っており、飛鳥のことを熱心に見据えている。その瞳と目が合った飛鳥は眉を顰めた。

「そういえば……ここの人形たちって食堂を除けば全員が廊下を見てる……」

 L字廊下の踊る双子人形ですら、互いを見つめることなく、それぞれの背後に伸びる廊下を見ている。そう、これ見よがしに飾っているわりには、人形たちの立つ場所は廊下ばかりだ。

「…………」

 飛鳥は早足で人形の足下へ向かい、精一杯の背伸びで虚ろな瞳を凝視し――。

「これって……カメラ……?!」

 自分のことを見下ろしながらも熱心に見据えてくる闇の中にそれはいた。義眼で巧妙に隠しているようだが、微かにカメラのレンズの動きが見えた。

「……廊下の至る所にいた理由はこれか……」

 桐生楓が作った素晴らしい人形たちに異物を嵌め込むなんて、と飛鳥は憤りを露にするが、問題はそこではない。こうして飛鳥が人形のカメラに気付いたことを殺人鬼は監視している可能性があるのだ。もはや屋敷が殺人鬼を援護しているとしか思えない状況に、飛鳥は星の部屋を叩いた。

「古泉さん……! 生きてますか?!」

 星の扉をがむしゃらに叩くが、返事はおろか部屋の中から物音一つ聞こえてこない。そのまま塔の部屋も叩くが、こちらも返事はない。

「坂本さんの部屋は確か……戦車だ」

 部屋に戻っている可能性などない。冷静かつ慎重な声はそれを告げるものの、身体は飛鳥を一階の戦車の部屋へ向かわせた。しかし、開いた部屋の中に翔太の姿は無い。戦車の人形もガラスケース内に収められており、事件が起こったことを臭わせる異常は見られない。

「坂本さんはまだ生きてるのかな……」

 飛鳥は廊下を走り、医務室、その隣の図書室を覗き込んだが、誰の姿も無かった。叫ぼうにも、水音の所為で聞こえはしないだろう。加奈襲撃時に悲鳴が届いたのは奇跡なのだ。それはつまり、廊下で何が起きても気付かれないという意味でもある。

 背後から強襲され、首を斬られる不吉な想像をしてしまった飛鳥は、エントランスに向かった。屋敷の中心であることに加え、どこからも忍び寄ることが出来ない場所はここしかない。

 バチャバチャとエントランスの中心に向かった飛鳥は、

「……タロットカード?」

 水面で揺れる一枚のカードを拾い上げた。よく見ると、他にも数枚のカードが水底に沈んでいるのが見えた。

 どうしてこんな場所に、そう思いながら飛鳥は視線を上げ――その瞬間、彼女は悲鳴によって突き倒された。

「こっ……古泉さん……こんな……」

 まとわりついた水の冷たさなど気にならないほどの衝撃が飛鳥を襲う。

 張り付けられた視線の先に秀一がいる。サロンのバーに通じる窓から伸びるロープのようなもので括られた両足、身体はガムテープによって縛られ、口と鼻は幾重のガムテープによって塞がれている。そんな状態の秀一が生きているはずもなく、彼の身体から何かの液体が滴り落ちていることに気付いた飛鳥は、逃げるように中央階段を駆け上がった。

「……古泉さんが殺されたということは……二人とも……」

 自分が最後の一人かもしれない。そんな現実への恐怖で飛鳥はエントランスの四方八方に視界をやった。タロットカードで殺人鬼を撃退出来るのなら話は別だが、水羽がいない今の飛鳥はただの雛鳥だ。

「どうしたら……」

 エントランスそのものを見下ろす月と死神と節制の絵画に背中を預けた飛鳥は――絨毯から外れた自身の足下に生じた違和感に気付いた。彼女が連れていた水滴の一部が床に吸い込まれ、水の流れが途切れてしまったのだ。

「……まさか」

 脳裏によぎるエントランスの絡繰仕掛け。飛鳥は直接見たわけではないが、壁そのものになっているガラスを退かすなんて仕掛けを施しているうえに、カメラまで仕込んでいる屋敷なら……。

 状況から秀一の持ち物だと思われるタロットカードを調べた飛鳥は、月と死神と節制のカードと絵画を見比べ――。

「三日月に向かって吠える犬と狼、這い上がるザリガニ、奥に見える門――三日月……三日月? 違う……カードの絵柄は三日月じゃない……正しい月の絵は……重なった満月と三日月だ!」

 絵画に触れた飛鳥は、この絵画が陰影をはっきりと刻んでいる理由を理解した。それぞれの絵が微妙に前後しており、その微かな隙間には姿を現していない金色の満月らしきものが見えた。だが、その満月らしきものは梯子でも使わなければ届かない。

「正しい絵に戻すと隠し通路とか……?」

 飛鳥は満月を諦め、意味ありげに月に従っている死神の絵画を調べてみた。すると、月と同様に微かな隙間と隠れている何かが見えた。

「昔のスパイ映画みたい……」

 白馬に乗った死神、甦ることを許された者と死んだ者、奥には門があり、川と船がある。一見すると奇妙なものは見当たらないが、手元のカードと照らし合わせると、その間違いを見つけた。

 門と白い背景の隙間に隠れていた金色の太陽を掴み、日の出を迎えさせると、絵画の裏から微かな機械音が響いた。だが、それだけで、奇怪な物音も衝撃も続かない。

 飛鳥は続けて節制を調べた。描かれているのは純白のローブを纏った赤い羽の天使、湖から山へ伸びる道ー―。

「ここにも太陽が無い……」

 白い背景と山の隙間、死神と同様に太陽が隠されていた。それを掴み、日の出を迎えさせると、先ほどと同じように機械の音がした。だが、水の音が続くだけで周囲に異変は無い――と思われた瞬間、月の絵画に隠れていた太陽が動きだし、三日月と重なり合った。

 それと同時に絵画の床が動き出した。そこは飛鳥が連れていた水の一部が吸い込まれた場所だ。水音の所為で仕掛けの音はまるで聞こえない。やがて床の一部は真横に吸い込まれ、月の足下には人が入れる穴が現れ、下に通じる急な階段を照らす照明と重そうな蓋が見えた。

「スパイ映画だよ……こんな仕掛け……」

 一人呟いた飛鳥は汚い蓋を退けて階段を下りた。その途中、壁の横に赤いスイッチがあることに気付いた。押してみたところ、音もなく入り口は閉じられた。

 そのまま階段を下り、T字路を構成する冷たいコンクリートの壁に掛けられた分厚いプレートを見――遼太郎の密室殺人の絡繰りを理解した。

 プレートには、魔術師、女教皇、女帝、法王、恋愛、戦車、正義、運命と書かれた矢印があり、飛鳥は正義を辿ってみた。すると、通路の奥に東館一階の客室全てに通じる僅か数段の階段があった。

 その階段の途中にもボタンはあり、赤いボタン、黄色いボタンが二つある。その二つには一階と二階の部屋を示す絵が描かれており、飛鳥は全てのボタンを押してみた。すると、天井がするりと動き、ぶら下がっている遼太郎の服が姿を見せた。

「大人一人が入れるぐらい大きいクローゼット……ちゃんと意味があったんだ。マスターキーなんて隠し持つ必要もなかったみたい」

 加奈が急に二階へ来たのも、隠し通路を疑ってのことだったんだろうか。

 それに加え、ボタンの影響はガラスケースにまで及んでいた。消えていたはずの正義の人形がガラスケース内に姿を見せているのだ。もしかすると、遼太郎は殺人鬼が不意に現れたこと、人形を開けることなく動かせることを教えようとしていたのかもしれない。

 この絡繰り仕掛けも人形も、一体何の為に存在しているのだろうか。住むためなら、下手なスパイ映画を模した絡繰りなんて作らない。最初から秀一たちを殺すために作られたような場所だ。見つけられていないが、モニター室もあるだろう。

「叢雲家っていうのは……裏で何か悪いことでもしてたのかな……」

 秘密の地下室を作る一般家庭など存在しない。裏社会に繋がりでもなければ――。

 その思考が合図だったかのように、館内の電気が一斉に消えた。だが、地下通路に影響はなく、飛鳥は屋敷の至る所で起き始めた異変に気付かないまま悠長に地下通路を進む。

 館内では東館にも西館にも火の触手が伸ばされ、エントランスと外を隔てる巨大なガラスにも罅が刻まれ、それぞれの客室で眠る夕子たちにも火が迫る。そんな事態の危険さに飛鳥が気付いたのは、エントランスへ出るためのボタンを押した時だった。

「この臭い……放火!?」

 地下通路から飛び出した飛鳥は、火に呑み込まれたそれぞれの廊下を見、死を確認していない翔太とエドガーの生存を諦めた。客室に戻れない以上、飛鳥に残された生きる選択肢は一つしかない。

「復讐が成就したんだ……」

 それは返事を求めての独り言じゃなかったのだが、

「その通り。俺の願いは全て成就した。後は……この屋敷を罪人たちの墓標に仕立てるだけさ」

 聞こえてきた声に飛鳥は身構えた。

 サロンの窓から勢いよく吹き出した炎を背に、声の主は紳士のような動作で中央階段を上がり、飛鳥の前に姿を現した。

「君とエドガーはまさに闖入者だ。君たちの所為で計画通りに動けなかったことも多い。だけど、墓標に君たちの名前を刻むのは少々……気の毒だとは思うけどね」

 気の毒。殺人鬼と化した相手から告げられたのは、微塵もその気持ちを感じさせない気遣いの言葉だ。

「やっぱり……あなたは殺人鬼の……一人だったんですね。いや、こう言ったほうが良いですか? THE CULPRIT IS YOU……エドガー・シャーロットさん」

 その言葉に対し、エドガーは口元に付着していた血を舐めると笑顔を浮かべた。

「やっぱり? 鋭いなぁ……俺が殺人鬼だっていつから気付いたのかな?」

 手に持っていたスティレットを手遊びしながら、エドガーは流暢な日本語で続ける。

「君の綺麗な瞳を貫く前に……色々訊きたいことがあるよ」

「それは私も同じですけど……」

 飛鳥は自分の目と耳を指差したが、エドガーはかぶりをふる。

「見える場所と聞けぬ場所もあるんだよ」

 カメラと盗聴器は確定された。

「どうせ私は殺されるんですよね? 先に……色々と教えてもらえませんか?」

「ふん。なら……レディーファーストだ。お先にどうぞ」

 炎が踊り場に辿り着くまで少々の時間はある。エドガーはそれを付け加えてから腕を組んだ。

「エドガーさん……あなたは何者なんですか?」

「わかってるだろうに。初めて日本を訪れ、日本語も知らないただの写真好きアメリカ人……じゃないことぐらい」

「はい。すっかり騙されてました。加奈さんのスケッチを見るまでは」

 加奈のスケッチの中にあったのは、エドガーが長い間日本に住んでいることを象徴する文化の違いだ。

「やっぱりあれか……彼女のスケッチブックを拾い上げた時にはずいぶんと驚かされた」

「決定的でしたよね? あれを私か……古泉さん辺りに見られていたら、どう出ましたか?」

 スケッチブックの中に描かれていたのは、遼太郎の死体を見つけてパニックを起こしたと思われる英字の――日本人の〝手招き〟に応じるエドガーの姿だ。彼が生粋のアメリカ人なら、〝掌を下向き〟にした日本人の手招きを〝GO AWAY・あっちへ行け〟と捉えてしまう。

「加奈さんを乱暴に殺したのは……スケッチブックに加えて、この文化の違いを公言していたからですね?」

「正解だよ。邪魔をしなければ……あんな乱暴な手段に出ることはなかったのに」

「彼らを殺した理由は……古泉さんが撥ね殺した叢雲家の一人娘さんと関係がありますよね? 復讐ですか?」

「……古泉秀一という外道が殺したのは、叢雲詩……俺の婚約者だよ」

「婚約者……その時のお二人は……」

「十六と二十四だ。詩が十八になった時、俺たちは結ばれる予定だった」

「加奈さんが言っていた復讐は……その通りでしたか」

「まったく……彼女はどこで復讐を確信したんだろうね。英字という役立たずの同盟者が余計なことをした所為か、な」

「英字さんが……同盟者?」

「おや? そこまで驚くとはね。どうやら全ての計画を知っているわけじゃないようだね、飛鳥ちゃん」

 ニヤリとしたエドガーは、周囲の炎を一瞥した。

「少し炎が迫って来たようだ。ここで話すことは次で最後にしようか」

「……では、事件の全貌を教えてもらえませんか?」

 英字が関わっていたことは初耳だし、疑いもしなかった。では、龍一という老人はどうなのだろうか。

「ふふ、知りたがるなぁ。でもまぁ……お互いの最期に事件の全貌を把握し合うのも良いかもしれないね」

 そう言いながら笑ったエドガーは、飛鳥に事件の全てを説明した。

 屋敷の仕掛け、計画、英字、龍一、自分自身のこと、どうやって暗躍していたのか、その全てを飛鳥と共有した。

「……これが全てさ。手懸かりもほとんど無しだったというのに、推測だけで良い所まで来たね。はっきり言って、御見事だよ」

 褒められてもうれしくない。飛鳥は眉を顰め、その一方的な憎悪で殺された翔太や加奈のことを思うと、エドガーに対する怒りしかない。

「詩さんを殺されたのは同情します。あまりにも理不尽で……罪を認めないどころか逃げ出した古泉さんを赦せとも言いませんが……加奈さんを殺した時点であなたは――」

 復讐という正義を果たした自らに酔っているような態度に、飛鳥は彼自身が向き合おうとしていない現実を突きつけようとした――その瞬間、厨房を焼いた炎が爆発した。

 その衝撃は屋敷全体を揺るがし、ガラスの壁は罅を中心に砕け、その破片は雪と暴風に運ばれ、飛鳥とエドガーに向かって降り注いだ。

 降り注ぐ破片を躱そうとした瞬間――まるで巨人の手によって突き飛ばされたかのような衝撃に襲われ、飛鳥の身体は勢い良く吹き飛んだ。それと同時に身体のあちこちが痛み、最後には見えない片目に衝撃が走った。

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