第漆幕 静寂

「飛鳥ちゃん、ちょっと部屋に戻って着替えてくるよ」

 そう言って、秀一は飛鳥と別れて西館から出た。見下ろしてくるエントランスの月を横目に、皇帝の部屋へ向かった。

 そうして扉の手前に来た時、秀一は持って来たタロットカードの皇帝を見た。

 ウェイト版の皇帝は、王冠をかぶった一人の男性が王笏を手にしている。それだのに、この扉に刻まれた皇帝は剣を持っている。そして、それは室内に飾られた人形も同じだ。

 秀一は扉を押しのけ、皇帝の人形に駆け寄った――。

「おや? これは……」

 秀一の双眸が捉えたのは、王笏を持った正しい皇帝人形だ。

「王笏……あれ? おかしいな……剣を持っていたはずなのに……」

 剣を持っていたはずなのに、と秀一は答えを求めてガラスケースに触れ――その瞬間、カチッ、という気持ちの良い音がした。それに驚いた秀一は飛び退いたが、ガラスケースは何事もなかったかのようにスルスルと台座に引き込まれていった。

「上から押したら退いた……? 他の部屋のケースはいくら触っても無駄だったのに……?」

 秀一は好奇心から初日の夜にガラスケースを調べていた。押しても引いても無駄で、台座の方にも仕掛けは見当たらなかった。それは一階の人形たちも同じだということを遼太郎の血が示していたのだが、この部屋のガラスケースは動いてしまった。

 そっと人形に触れてみるが、それ自体はビクともしない。だが、握られている王笏は触れてみるとグラグラと揺れた。どうやら取り外せる物のようだ。

 皇帝の持ち物を交換する意味があるんだろうか……。

 首を傾げながら皇帝を見つめていると、人形が背負う壁に奇妙な光の筋が見えた。縦に一線、床から天井にまで伸びている。

「これは……まさか――」

 壁に向かって近付いた瞬間、秀一の後頭部と視界を凄まじい衝撃が襲った。言葉にならない呻きを残して秀一の身体は床を舐めた。そんな彼の真横を襲撃者は悠々と抜けた。

「……正直驚いたよ。君たちがこの仕掛けに気付くなんて思いもしなかった」

 襲撃者は世間話をするかのような気楽さでイスを引き寄せると、足を組んだまま背中を預けた。

「もう少し……自分のしでかしたことを懺悔させようと思っていたけど、いやはや……人間という奴は突拍子もないことをするもんだ。こちらの計画通りに動いてくれないんだからさ」

 襲撃者はスティレットを手遊びしながら続ける。

「どうする? 慈悲らしく一撃か、それとも……君が撥ね殺した詩の復讐よろしく嬲り殺しが良いかな?」

「……君と……叢雲は関係ないだろう……」

 視界が定まらない秀一の言葉に襲撃者は眉を顰め、スティレットの切っ先を彼の額に押し付けた。

「関係あるんだよ。叢雲詩と婚約していた……俺にはな!」

 襲撃者はスティレットを秀一の目の前に突き立てると、抵抗すら出来ない彼の身体を掴んで叩き起こした。

「慈悲なんてお前に相応しくない。俺や帝二様……叢雲の関係者全てが味わった苦しみをお前にもやるよ。地獄で夕子と仲良くな」

 襲撃者は引き寄せた秀一の頬に別れのキスをし、彼を引きずりながら皇帝の部屋から出て行った。

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