兇行 2

 六人が好きなように缶詰やインスタントを食んだとしても飽きることはない、という龍一の説明は半分当たりで半分間違えていた。缶詰やインスタントの種類は豊富だが、舌が肥えた人間は似たような食事が毎日続くとうんざりするようだ。現に厨房から持ち込んだ夕食の缶詰たちを食べようとは一向に思わない状態が続いているのだ。

「夕子の手料理が食べたいなぁ……」

 もう食べることの出来ない、もう会うことも出来ない女性のことを思い、秀一は力無く呟いた。胸の風穴から翳りに抜け出すのは損失感と虚無感だ。空気を失い、萎んでいくだけの風船と同じ、秀一も夕子という空気を無くしてしまった。

 そんな損失感と虚無感に襲われるまま、秀一は星の自室で無為な時間を過ごしてしまっていた。二十時、二十二時、一時、と時間は進み、秀一がようやく動き出したのは二時前だ。

「……そういえば、夕子はどうして機嫌が悪くなったんだっけ……」

 今でも妙に頭に付いているのは、初日の晩餐会での一件だ。飛鳥が着ていた服を妙に嫌がる――怖がっていた気がする。それをこっそり部屋で問い詰めると、夕子は英字のように二年前の事故を口にした。「あんなことがあったのに……何も思い出さないの?!」そうがなられたものの、秀一は何も思い出せなかった。あの事故は車に気付かずに飛び出して来た少女が悪いし、夕子の方も秀一とともに薬を楽しんでいたため、気を紛らわせることはしても警察に出頭することはなかった。

「夕子……そのことと飛鳥ちゃんの服装が関係あるのかい……?」

 誰もいない翳りに向かって問いかける秀一。薬の供給を止めた所為か、ふとした翳りすら人影のように見えてしまう。そういえば……。

 やおら立ち上がった秀一はパジャマの上にコートを纏い、忍び足で廊下を覗き込んだ。塔のエドガーの部屋から物音は聞こえず、廊下を見張っている人形は何も変わらず――。

「……うん? あの人形……僕を見てる?」

 廊下の最果てにはバルコニーへ通じる扉と人形がいるのだが、薬欠乏の所為か、秀一にはその人形の視線が自分に向いているように見えた。行き来していた際に細部を確認していたわけではないが、妙に違和感があるのだ。

「……人間を固めて作った人形じゃあるまいし、動くわけないね」

 禁断症状の所為で殺人鬼としての候補を高めたくない、そうかぶりをふった秀一は、エドガーに勘付かれないよう忍び足のまま廊下を抜けた。

 水音によって足音は軽々と掻き消され、エントランスを堂々と抜けた秀一は西側階段を駆け下りた。

 目指すは夕子の部屋である女帝なのだが、そこへ辿り着く前に障害がある。夕子の遺体がベッドに寝かされていることよりも、魔術師の部屋の主が問題だ。神様から変わり者への贈り物なのか、加奈は人の斜め上を行く天才肌の持ち主だ。その所為で心情の変化や周囲の状況を機敏に察知する。待っていたとばかりに飛び出されて、事態がややこしくなるのはあまりにも危険だ。

 祈りつつ西館客室前廊下へ通じる扉を開ける秀一。開閉音を気にするか、飛び込もうとする水音を気にするのか、その選択は後者を選び、秀一はヤモリのように隙間を一瞬にしてすり抜けた。その効果もあってか、魔術師の部屋から加奈が飛び出して来ることはなかった。

 数十秒の沈黙を待った秀一は、自分のことを見張っているような視線を送る人形を無視したまま女帝の部屋に忍び込んだ。

「夕子……悪いけど、君の分をもらっていくよ」

 あの時のまま動いていない夕子の膨らみを見ないようにしながらバッグの奥底を漁り、目当ての白い袋を取り出した――その瞬間、

 屋敷全体を震わせるほどの悲鳴が秀一の身体を突き飛ばした。

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