告発 5

 本物の死体を見るのは初めてだ。

 夕子の突然の死には驚いたし、血の臭いには慣れないが、死体そのものに驚いてはいない。飛鳥にとっていつも視ている〝あちら側の人たち――幽霊〟に比べればどうってことはない。首が無い者や四肢のどれかが千切れている者などたくさんいるし、蛆や腐敗臭を撒き散らす幽霊だっているのだ。夕子の件での動揺は、あくまで人の死と直接対峙してしまったからだ。夕子が最初から死体であったのなら、今と同じ反応をしていただろう。

 飛鳥は躊躇うことなく遼太郎の首に近付き、その惨状を確認した。

 裂けてもおかしくないほどの大口は血の所為でどす黒く、その奥には切り取られたと思われる舌が喉を塞ぎ、ランタンの光を当てても喉奥が見えない。

 首の方には満開の花が咲いており、黒に染まってカピカピになった骨まで露にされている状態だ。その咲かせ方はずいぶんと乱暴で、動物が喰い千切ったようにも見える。

 ベッドは波紋だらけであるものの、遼太郎自身が起き上がって暴れたような痕跡は部屋に見当たらない。文字通り眠っているところを襲われ、大した抵抗も出来ずに殺されたのかもしれない。

 波紋ベッドの横には正義の人形を収めているガラスケースがあるのだが、夕子の部屋と同様に人形が無くなっており、ケースにも台座にも血がベッタリと付着している。とはいえ、重力に従った血の流れに途絶えた箇所は無く、ケースが開けられたような痕跡も見当たらない。だが、抱きつかれたような血の流れを見るに、誰かがこのケースに抱きついたことは確かのようだ。それが遼太郎なのか、犯人なのか……。

 飛鳥は首を捻りつつハンカチを取り出すと、犯行に使われたと思われるスティレットを拾い上げた。無造作に投げ捨てられた慈悲は血だらけだが、その柄には最小限しかないことを見るに、犯行に使われたことは確かだろう。

「飛鳥ちゃん? 君……平気なのかい?」

「はい、平気です。それに……明らかな密室殺人ですし、雑ですが見立て殺人でしょう?」

 飛鳥は切っ先を人形ケースに向けた。夕子という女帝、遼太郎という正義は死んだという意味だ。だから何だと言われてしまえば首を捻ってしまうが、殺害予告と相まって対象者には恐怖心を与えるはずだ。

「見立てなんて……小説以外には考えられないけどな」

「それでも殺人鬼は見立ててきました。扉もエドガーさんが壊してくれたから通れたんです」

 口を開けたままの扉を指し示す飛鳥。

「そういえば……どうして扉を壊したんだい?」

「骨沢さんが飯島さんの部屋を尋ねた時、いくら呼びかけても返事がないので、エドガーさんに扉を壊してもらいました」

「そしたらこの惨状か……正義の鍵は?」

「机上に置いてありました」

「暴れた痕跡も無いなら……完全に密室か。マスターキーがあるなら入り込めるけど……持ち主候補の状況は不明、か」

 参ったな、と秀一はかぶりをふった。その心境は飛鳥も同様で、夕子の時はともかく、これは完全なる密室殺人だ。

「……遺体には何かあるかい?」

「……何も。抵抗した痕跡は無いんですが……ガラスケースにずいぶんと血が付いているんです」

 床に滴る血の主は遼太郎だろう。

「推測ですけど、飯島さんはすぐに死ななかったと思います」

「この血の流れかい?」

「はい。乱れた毛布とシーツ、床に付着している血の流れが一致しています。もしも飯島さんが起きていた状態で殺されたのなら、血の流れがわざわざベッドに通じるのは変ですし、御丁寧に仰向けにする必要もありません」

「そうだね。僕が殺人鬼なら、死体を整えることはしない」

「そうですよね。そこで私の推測ですけど……飯島さんは眠っていたところを襲われた。スティレットでどこを刺されたのかはわかりませんけど、幸か不幸か一撃で死ぬことはなかったんでしょう。とはいえ、満足に動けないまま……そのガラスケースに倒れ込んだ」

「その推測が正しかったとして……殺人鬼はどうして遼太郎をベッドに? 首の惨状から考察して、遺体を整えてやるなんて慈悲があるようには見えないけどなぁ」

「そこなんですけど……飯島さんの動きが殺人鬼にとっての不幸に繋がったという可能性はありませんか?」

「というと?」

「ガラスケースの血です。全体を覆うようにして滴っているんですけど……開けられる場所があるのなら、血はその隙間に染み込んでいるはずです」

「それだのに……今のケースに血の流れが途絶えている箇所は無しか」

「なら……このガラスケースは正攻法では開けられないということです。それを飯島さんの血が教えてしまったため、殺人鬼はこれを目立たせないように遺体を戻した……とか」

「ふむ。すごいな、遺体を見てそこまで考察出来るとはね。もしかして……殺人現場に慣れているのかい? 初対面の時とは大違いの態度だ」

「あっ……いえ、そういうわけではないんですが……」

 指摘されて飛鳥は急に恥ずかしくなった。思い返してみれば、この叢雲邸に来てから一番饒舌になっている気がする。第三者から見れば、探偵気取りでペラペラと自分の推理を語っているイタい女に見えているだろう。

「とにかく……夕子を殺した殺人鬼は予告通りに僕らを皆殺しにするつもりらしいね。あの刺し具合を見るに、遼太郎にはずいぶんと怨みがあったのかな」

 そう言うと、秀一はハンガーに掛けられたバスタオルで遼太郎の顔を覆った。

「それにしても……見立ての意味はあるのかな? 人形を隠して……僕らの恐怖感を煽っているとか?」

「……そうかもしれません。人が死ぬたびに人形が消える小説がありましたよね」

「ミステリの女王よろしく、その見立てか……」

 ふむふむ、と顎に指を当てる秀一。

「あの……いつまでそこにいるんですか?」

 秀一に頼まれたカメラを持って来たエドガーが言った。室内には入りたくないようで、扉の横から飛鳥たちの様子を見ている。

「ああ、エドガーさん、カメラありがとう。使うかどうかはわからないけど、写真を撮ったら引き上げようか」

 はい、と秀一からカメラを渡された飛鳥は、困惑しつつも自分が気になった箇所を全てフィルムに収めていった。

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