漂着 3
「海堂さん? 入っても平気かい?」
医務室の審判を叩く音と翔太の声に内心怯みつつ、飛鳥は努めて普通に返事をした。だが、その返事がずいぶんと間抜けな声音を連れたものになってしまった。平静を装っていることが露にされる返事ではあったものの、翔太は何も反応を示さずに入って来た。
「うん、女性用の服が圧倒的に不足しているから……と思っていたけど、この家に服が置かれていて良かったよ」
ベッドの横で案山子になっている飛鳥を見、翔太は満足げに頷いた。
「良かった……ですかね……」
飛鳥は鏡に映る己の姿を見、翔太の感想に異を唱える。
叢雲家の趣向か好みか知らないが、白いブラウスに加え、腰部がコルセット状になったハイウエストのスカート、膝まで届くブーツという普段の飛鳥には縁も所縁もないような出立ちだ。
「あの……女性用の服って他にはありませんか?」
「加奈の部屋のクローゼットにあったらしいけど、一泊分の服を毎日洗濯して着こなすよりマシだろう? 大丈夫、似合っているさ」
親指を立てる翔太。コルセットが邪魔をしていることへの嫌味かどうかはわからないが、飛鳥は諦めを込めて小さくかぶりをふった。
「さぁ、西館の大食堂へ行こう」
どうぞ、と促され、飛鳥は沈黙を守る深紅の絨毯と館内とは思えない水音が響く廊下に出た。その時になって、飛鳥は医務室の扉に審判の絵が刻まれていることに気付いた。
「……審判ですか。生と死の審判が下される場所だからってことですかね……」
「さぁ? 俺たちもそこまで説明されていないよ。でも……タロットやトランプの装飾は前の持ち主の趣味だったみたいだ」
この水音もね、と翔太はエントランスを指差した。
水音の正体を求めて飛鳥は、翔太が指差す先へ向かい――。
「エントランスに水……? 噴水でもあるのかと思いましたけど、これはまたずいぶんと……」
「変だよな? 俺たちも驚いたよ」
確かに変だ。館内に水を引く設備など金持ちの道楽でしかないし、湿気や衛生維持のことを考えると無駄金かつ面倒なことばかりだ。悪い金持ちの道楽ということだろうか。
「シンメトリーのエントランスは綺麗ですけど、水はいらないですよね?」
「ふふ、実はね、このエントランスは船着き場なんだよ」
翔太はそう言うと、沈んだエントランスを踏破するために用意されている大きな長靴を履き、叢雲邸と外界を隔てる剥き出しのガラスに触れた。
「君は気を失っていたからおぼえていないと思うけど、俺たちはこのエントランスに船で入って来たんだよ」
翔太は微かに鼻へ届くご馳走の匂いを嗅ぎながら、ここへ至るまでの光景を手短に説明した。
「ボートでエントランスですか……本当に変な家なんですね」
「それが金持ちの道楽なんじゃないかな? 叢雲帝二って人はそういう趣味はなさそうだけど、その先代さんはどうなのかな」
行くよ、と飛鳥の手を取った翔太はエントランスを踏破し、料理が冷めたと怒られないことを祈りながら大食堂の扉を開けた。
「やぁ、危うく料理が冷めちゃうところだったよ」
ありがとう、と皮肉を込めた声音で秀一がいの一番。それに続いて抗議の視線を向けてきたのが夕子と遼太郎だ。
「迎えに行くぐらいで時間かかり過ぎ」
「屋敷のちょっとした案内だよ」
「単純なコの字の屋敷で案内も何もないでしょうが」
さっさと座ってよ、と夕子は飛鳥に視線を送り――。
「っ……その服って……自前?」
飛鳥の出立ちを見て夕子は明らかに顔色を変えた。何事かと視線が集中するも、夕子はワタワタと視線を彷徨わせ、やがてその視線が行き着いた先は秀一だ。だが、秀一の方はその視線をさらりと流して微笑んだ。
「ほら、二人とも座りなよ。美味しい料理が台無しになるよ」
秀一に急かされ、翔太は飛鳥を加奈の隣に座らせた。
おいで、おいで、と緩い手招きに導かれ、飛鳥は加奈の隣に腰を下ろした――のだが、気取った大食堂の翳りの中で、飛鳥は立ち並ぶご馳走よりも、初対面かつ命の恩人でもある面々よりも遥かに視線を注がせる存在に気付いた。
「これって……
飛鳥は衝動と興奮に命じられるまま席を捨て、翳りの中に浮かび上がる陽炎の人形へ駆け寄った。片側だけの頼りない視界が捉えるのは、重そうな両手剣を高々と掲げたシスターの人形だ。産まれたままの肌、透き通るような双眸に映る自分、作り物を象徴する金色の長髪と歪み一つない顔立ち――。
「間違いない……桐生楓が作った球体関節人形だ……!」
首を傾げる秀一たちのことなど気にならないまま、飛鳥は人間を超越する美しさを惜しげもなく放つ球体関節人形を見つめた。稀代の人形師、桐生楓製の人形は、彼女が亡くなった今では奪い合いにも発展するほどの貴重品だ。大きさにもよるが、一体だけで一千万を軽々と超える人形もあり、飛鳥のような一介の大学生が直で見つめることなど滅多に出来ない。
「凄い……本当にお金持ちなんだ……」
欲しい。喉から手が出るほど欲しい、という言葉は実在する。自分の住処に飾れる場所など無いにも関わらず、勝手な欲望は募っていく。
「おいおい……行きずりの飛鳥ちゃん、今は人形よりも夕餉に集中しておくれよ」
「あっ……すいません、つい……」
秀一からの指摘を受けて、飛鳥は恍惚とした顔を振り乱しながらすごすごと席へ戻った。
「落ち着けたかい? 僕は古泉秀一、大学三回生だ。よろしく、飛鳥ちゃん。夕餉の挨拶が済んだら仲良くしようね?」
ねちゃりとした厭らしい声音。女性に対する下心のようなものが漂う彼の視線に対しても、飛鳥は内心でゲロを吐いた。ナルシストか、或は女性を性の捌け口として見ているような、とにかく嫌な雰囲気を放っている。その雰囲気を悟ったのか、
「はいはい、女の子を口説くのはまた今度にしてください。夕食の挨拶があるんですから」
静かに、と子供を叱りつけるような態度を披露した英字は、コホン、と咳払いしてから全員を見た。
「え〜では、まずはこの素晴らしいアルバイトを独り占めせずに共有してくださった秀一先輩に感謝を示したいと思います」
秀一に対してペコリと頭を垂れた英字は、目の前に並ぶ料理たちに目を移した。
「続きまして、今日の夕食を準備してくださった天音先輩と相沢さんに感謝します」
アーメン、と続きそうな英字の堅苦しい挨拶に対し、
「いいから食べよ〜? 私と夕子さんに〜感謝しながらね〜?」
「あらら、まぁ……冷めちゃったら失礼ですよね。食べましょう」
いただきます、と英字の号令を受けて、秀一たちは夕食に手を付け始めた。
「ほら、飛鳥ちゃんも食べなよ。体力を回復するためには古今東西恋と食だよ」
テーブルに並ぶのは、大皿が掲げるグラタン、遼太郎の好みだという生姜焼き、サラダにポトフ、光る白飯に多種多様のアルコールやワインだ。
「……いいんですか?」
「これから一週間同じ屋根の下の仲なんだよ? 気にせずに食べなよ」
そう言いながら、秀一は自身を含めた一行の紹介を始めた。
「骨沢英字は僕の幼なじみだよ。昔から僕の背中ばかり追いかけていた洟垂れ坊主ってとこかな」
洟垂れ坊主こと英字は、飛鳥にペコリと頭を垂れた。幼なじみだからだろうか、洟垂れ坊主という蔑称に対して反応はない。
「天音夕子は僕の良き友人だよ。付き合っているのかとよく訊かれるけど、僕らの間に恋愛感情はないよ。気が合うというやつだ」
夕子は秀一に一睨み。自らの説明に不服だったのかどうかはわからないが、
「あの……私の服装に何か……?」
入室時に見せた明らかな狼狽。それに対する説明を求めてみた飛鳥だが、夕子の方は顔も視線も飛鳥と合わせようとせず、
「別に……ちょっとしたことを思い出しただけ」
ふん、と夕子はそっぽ向いてしまった。
刹那とはいえ、あの視線が狼狽を纏ったものだということを飛鳥は十分に感じ取った。そして、その視線が助けを求めるかのように秀一へ向けられたことも。
「そう……ですか」
「その服はね〜私の部屋にあったの〜」
加奈が声をあげるものの、夕子はもう何も反応を示さない。
「さて、そっちの一匹狼気取りが飯島遼太郎だ。僕のことを一方的にライバル視している構ってちゃんだ」
「おい、勝手な偏見を第三者にぶつけるんじゃねぇよ」
口に含んでいたグラタンの欠片を吐き出しながら、遼太郎は不満を露にした。
「俺の紹介なんてどうでもいい。それよりもお前の武勇伝を聞かせてやれよ。飲酒運転に交通事故、麻薬で楽しんでるってことを、さ」
「ふふん。それは面白い冗談だね、遼太郎。だけどそんな事実はないし、そんなことで女性を口説く趣味はない」
かぶりをふった秀一は、口と無精髭を尖らせる遼太郎を無視して加奈に視線を送った。
「彼女は相沢加奈ちゃんだ。変わり者だけど、絵を描かせたら天下一流だ。後でスケッチブックを見せてもらいなよ。驚くよ?」
その紹介に笑みで応える加奈。不思議とその笑みには好意のようなものがあり、飛鳥は彼女にだけ笑みを返した。
「坂本翔太は軍曹であり、通称ドクターだ。君を背負って雪の中を行軍してくれたから、感謝しておくようにね」
秀一からのウィンクにかぶりをふった翔太は、ドクターは言い過ぎだと訂正した。
「改めてよろしく。とにかく外には出られないんだし、君もこの屋敷の豪華さを楽しみなよ。俺たちは管理の仕事があるから遊んでばかりじゃないけど、君は気にしなくていいって榊原さんも言ってたからさ」
翔太はそのまま榊原龍一のこと、叢雲邸、六人のアルバイトのこともまとめて説明した。
「いずれ壊す屋敷の管理で三十万ですか……」
「驚くだろ? 道楽出来る金持ちだからこその発想なのかねぇ?」
「それで……その榊原さんはどこに?」
「屋敷の正面に管理小屋があって、一週間そこで隠居生活らしい。困ったことがあったら電話してくれとさ」
屋敷やアルバイト内容、それぞれの話をしながら、夕食は比較的穏やかに終わった。お世辞抜きで夕子と加奈の夕食が美味しかったことも理由なのだろう。あの視線はともかく、飛鳥もその味には素直に舌鼓を打った。
「いやはや、相変わらず夕子の料理は美味だねぇ」
食後の煙草を満喫する秀一の言う通り、テーブルの上に料理の残骸は見当たらない。ポトフは少しだけ残っているものの、グラタンも生姜焼きも綺麗に無くなった。
「夕子も吸うかい?」
「ん。片付けはあんたらマッチョ組がやって。もう少ししたら部屋に戻るから」
秀一の煙草をもらい、夕子はやや乱暴に火をつけた。
「風呂の時間は決められていないし、飛鳥ちゃんも好きな時間に入りなよ。確か女性陣の部屋と風呂はこの西館だったかな?」
「ああ。凄いぞ、風呂の規模は一般家庭を凌ぐ。部屋の規模も考えるに、管理は結構大変そうだ」
「それでも三十万は大きいですよ。六人もいるんですから、交替しながらがんばりましょう」
前向きな英字。リトルタンクの異名は伊達ではなく、小さな見た目に反して彼はアグレッシブだ。当然思考もポジティブ派である。
「前向きだねぇ、期待してるよ」
「先輩も当然やるんですよ。昔から面倒事は僕に押し付けてきましたけど、今回ばかりはそうはいきません」
「はは、飼い犬に手を噛まれるなんてねぇ」
「誰が飼い犬ですか!」
ウキー、と吠える英字とそれを冷ややかに見つめる秀一。そんな二人のやり取りを聞きながら、飛鳥は夕子の背後に立つシスターを見つめた。
翳りの中の陽炎。その表現に相応しく、キャンドルだけの力ではシスターの全貌を知ることは出来ない。座っている状態でも見えるのは、微笑んでいる美しい顔立ちと剣だけだ。
「死神……」
それは思わず出た言葉。飛鳥の席から見えるシスターは、翳りを纏っている所為で獲物に鎌を擡げている死神のように見えてしまうからだ。見ている分、飛鳥の美的感覚的には悪くないのだが、その鎌を向けられている夕子からしたら面白くないだろう。
「海堂さん、まだ自室を決めていないから、部屋に戻りたい時は一声頼むよ」
「あっ……はい。えっと……色々と整理したいこともあるので、今からでもいいですか?」
食器の片付けは野郎たちの仕事だと夕子は宣言した。それに従うのなら、女である自分も撤収は許可されている。
「おやぁ? もう部屋に帰っちゃうのかい?」
聞き捨ててくれなかったのは案の定、ナルシストボーイの秀一だ。彼はねちゃりとした視線を飛鳥に向け、もう少しおしゃべりを楽しもうよ、と声をあげる。だが、
「天音さん、相沢さん、ごちそうさまでした」
二人に一礼し、飛鳥は大食堂を後にした。
「知らない連中ばかりで気まずいかな?」
翔太は大食堂の扉を閉めながら笑う。
「……そうですね。命の恩人ではありますけど……」
「それにまだ初日だ。三日目ぐらいから慣れてくると思うよ? それなりに楽しい連中だからさ」
大食堂前の一文字の廊下には、客室前と刻まれたプレートを掲げる両開きの扉、二階へ通じる階段、エントランスへ通じる道がある。
「女性陣の客室はここと二階なんだけど、どうする?」
「じゃあ……二階で」
「わかった。二階はこっちだ」
翔太の背中を追って西側階段を上がる。東館同様西館の二階もL字状の廊下があり、シンメトリーはエントランスだけではなく、屋敷全体に施されている。西館の二階には、サロンと使用人たちが使う部屋、一階と同じ部屋数の客室がある。
「さぁ、ここが二階の客室だ」
その台詞とともに翔太は両開きの扉を開けた。
「部屋数は四つで、トイレと風呂はこの入り口の脇にあるよ」
客室は一文字廊下の横に連なり、頭上のシャンデリアは豪華さに反して控えめな光を発している。翔太が言うようにトイレと風呂は別々で、一階も東館も同じだという。
「ここは確か……剛毅、吊るし人、死神、節制だったかな」
「死神を客室に含めてるんですね」
「迷信さ。十三や九と四なんて思い込みで都合よく解釈するものだからさ」
「じゃあ……私らしく死神の部屋で」
飛鳥に選ばれたのは、入り口から三番目の部屋だ。廊下の奥にはバルコニーへ通じる扉と桐生楓製の球体関節人形が飾られている。今度の人形はセクシーなカクテルドレスを纏い、スリットから覗く官能的な四肢を惜しげもなく見せつけている踊り子だ。濡鴉を連れた美しい瞳は飛鳥と翔太を一心に見つめている。
「桐生楓と特別な交流でもあったのかな……」
「そういえば、食堂の人形を見て興奮していたね? 心得がないからわからないんだけど、有名な人形師なのかい?」
「ええ! 稀代の人形師で……おそらく世界中を捜しても見つからないほどの実力を持つ女性です! もう亡くなっているんですけど……遺された人形たちは一千万を軽々と超える物もあるほどですよ」
「へぇ? ということは……叢雲の財力は俺たちの想像を遥かに凌ぐな」
この屋敷の中にある人形は一体だけではない。彼らもシンメトリーに従い、全ての客室前廊下に佇んでいるという。飛鳥にとって宝の山だといっても過言ではない。
「いいなぁ……あの人形たちに囲まれる生活なんて……」
「それはともかく、鍵穴に付いているのが死神の鍵だ。オートロックじゃないから、常に持ち歩いていてくれ」
鍵を引き抜いた飛鳥は、丸い持ち手に刻まれた髑髏を見た。ほくそ笑んでいるような髑髏は死神の部屋に相応しい装飾だ。翔太が持つ戦車の鍵には若い王の顔が刻まれており、客室の鍵にはそれぞれの部屋を象徴する装飾が施されているようだ。
「鍵にもお金をかけますか……」
刻まれた髑髏を一瞥した飛鳥は死神の鍵を差し込み、やおら扉を開けた。どのような客室が現れるのか緊張していたが、廊下の控えめな照明では室内を完全に照らし出すことは出来ず、近くにあるはずの照明スイッチを手探りし――。
カチリ、と気持ちの良い音がして、照明が煌煌と客室内を照らす。そう思ったが、予想に反して反応したのは幅木部分に数カ所設けられた間接照明だけだ。
「驚いたろう? 客室に天井照明は無いんだよ。幅木以外の照明が欲しければ、机上に置かれた三つのランタンを使うらしい」
翔太に示されたランタンを持ち上げる飛鳥。それはXに区切られたガラスに囲まれたもので、ファンタジーやゲームに出てくるような印象を与える。上部の蓋にはハンドルがあり、軽くて持ち運びやすいものだ。
手に取ったランタンのスイッチを入れると、行灯のような優しい灯りが室内を照らした。当主の間のように翳りを生みつつも、飛鳥の目に深紅の壁紙、作者不明の風景画、鏡と木製の机、固定されたセミダブルベッドにソファーと小さなテーブル、天井にまで伸びる大きな木製クローゼット、クリーム色の絨毯、そして――小さな人形が鎮座するガラスケースを掲げている台座がある。
飛鳥はランタンを連れて、その人形に近付いた。ガラスケースに収められたそれは、小さいながらも精巧な球体関節人形で、食堂や廊下に飾られているものとは違ってウェイト版の死神を表しているようだ。その精巧さを見るに桐生楓製であることに疑いはない。
「この人形も各部屋に?」
「ああ、俺の部屋にも戦車の人形があるよ。取り出せるような仕掛けが見当たらないけど、まぁ誰も気にしてないさ」
翔太が言うように、ガラスの開閉を実現するような仕掛けは見当たらない。貴重品も護るためとも思えるが、貴重品なのは他の人形たちも同じだ。どうして室内の人形だけガラス囲いなのだろう。
「とりあえず何か提案がない限り、俺たちは全員自由行動だ。ご飯も好きに食べていいし、何をしていてもいい」
「あの、色々とありがとうございます」
加奈に続いて信頼出来そうなのは翔太のため、飛鳥も彼には真摯に応対する。
「気にする必要はないよ。それじゃあ、おやすみ」
翔太の背中を見送り、飛鳥は死神の扉を閉めた。
生き残った荷物をテーブルに置き、飛鳥は分厚いカーテンを捲った。叩き付けられる雪と風の強さに揺れるフランス窓の外には、二階の客室全てが繋がる大きなバルコニーが広がっている。
穢れが残る山の翳りには、闇を恐れる人間たちの灯火は通用しないようで、見渡す限り闇以外のものは見当たらない。耳を切る風の叫びはどこか別の世界に暮らす魔物の咆哮のように聞こえてくる。穢れの山とはよく言ったものだと、バルコニーに出た飛鳥はしばらく闇の中を見つめていたが、頬を切る雪の鋭さと冷たさが増してきたため、窓とカーテンを閉めた。
秀一のように言い寄って来た雪を払いながら、飛鳥は優しい灯りに包まれたベッドに腰掛けた。一時的ながらも個人的な空間を与えられたことで余裕が出来たのか、急な眠気が瞼にのしかかり始めた。
窓も扉も施錠は出来る。自意識過剰だと笑われようと、男の本能は狼だ。飛鳥自身に自覚はないが、彼女の容姿と纏う雰囲気は男たちの保護欲や欲情を掻き立てるらしく、十九年の間に身の危険を感じる出来事がいくつもあったのだ。夜這を試みるような獣を警戒する気持ちも無理はないだろう。そんな獣たちを追い払っていたのが水羽だ。
水羽ならきっと大丈夫……その辺のマッチョなバカ男たちよりも強いから。
一人頷いた飛鳥は、壁に掛けられた時計を一瞥し、やおら横になった。
時刻は十七時五分。
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