漂着 2

 宵霧山の陽が落ち、穢れの山は吹雪と闇に閉ざされた。暴風が屋敷を斬り付ける度にフランス窓たちは微かな悲鳴をあげ、秀一たちの耳に届く頃には断末魔のような嫌な悲鳴になっている。

 電気が通じなくなっても大規模な自家発電があり、秀一たちが過ごす一週間は持ちこたえられるようになっている、と龍一から聞かされていた一行なのだが、

「想像していたよりも酷い吹雪ですね……。この調子で一週間の積雪が続いたら……文字通り生き埋めにされちゃうんじゃないですか?」

 何も見えない外を見つめながら、英字は不安を告げた。

「一週間以上も閉じ込められたら……有名な映画みたいに住民が狂っていくなんてことが……」

 翳りに浮かび上がる不安という顔を一瞥した翔太は、食器を並べる手を止めた。

「おいおい、出発の前に榊原さん経由で大学には知らせてあるし、親にも伝えてるだろう? もし連絡が途絶えたとしても、俺らが一週間も帰って来なければ誰かが救助を呼んでくれるさ」

 未来の心配よりも食器を運ぶのを手伝ってくれよ、と翔太は皿を掲げた。

 屋敷の食事という雰囲気が欲しい、との意見で、記念すべき一日目の夕食は一階の西館(医務室がある方は東館と呼ばれ、中央のエントランスを境にしていると龍一は説明していた)にある大食堂へ一行は集まっていた。豪勢なシャンデリアの庇護を捨て、室内を照らすのはテーブル上に掲げられたキャンドルスタンドたちだけだ。そのため、互いの姿は翳りばかりで、如何わしい集団の会合のようにしか見えない状況だ。

「そうだよ、英字。夕子の料理の腕は確かなんだから、見透かせない未来よりも手料理に意識を向けるべきだね」

 客室のクローゼットで出会したタキシードを纏い、読んでいるか怪しい文庫本を片手に持つ秀一の台詞。口は動いていても彼の身体は一向に動く気配がない。

「そうだな、秀一。お前はイスに張り巡らせた根っこを取り除くべきだ。今時、食器の一つも並べないような男を紳士とは言わないぞ」

「そうですよ。飯島先輩も動こうとしませんし……」

 英字の視線は遼太郎に向けられた。

「何だよ。文句でもあるのか」

「そりゃあ……文句はありますよ」

「お前が全員集合しましょうよって言い出したんだろう? 主催者さんよ、お前こそ率先して料理担当だろうが」

 ちなみに文句を垂れる遼太郎の出立ちは、金色の龍が刺繍された黒いジャージを着込み、金髪混じりの髪をオールバックというトンデモなものだ。

「そうだ。ドクター、海堂さんを招待しなくてもいいのかい?」

「言われなくても迎えに行くさ。料理が並ぶ少し前にな」

「じゃあ今すぐ迎えに行きな。もう並ぶから」

 自炊が出来ない坊やたちのやり取りを、開かれた扉を通して厨房で聞いていた夕子が声をあげた。

 この大食堂の横には大きな厨房と屋敷の裏口があり、食料庫には龍一が言っていたように大量の食料が保管されていた。一週間の管理中は何を食べてもいいが、手を付けた食材は食べきるようにと念を押されている。肉や野菜はもちろんのこと、蟹などの高級食材や缶詰、非常食たちが山積みにされているため、夕食のシェフを押しつけられた夕子ですら、何を使おうかと目移りに悩まされていたほどだ。

「そうか。今から連れて来るよ」

 最後の食器を並び終え、翔太は煌煌と照らされる廊下へ出て行った。

「他の連れは死んだだろうな」

 翔太の背中が見えなくなるのを待って、遼太郎はぶっきらぼうに言った。

「あの女が口にしたことを考えると、遭難したのは昨日だ。俺たちが山へ入る時には捜索隊の姿なんか見えなかったし、さっきまで聞いていたラジオでも遭難のニュースなんて入っていなかった」

「そうとも限らないよ? 彼女がほぼ無傷で見つかったことを考えると、他の連中も生きているかもしれない。今夜当りに駆け込んで来るんじゃないかな?」

「でもこれだけ明かりが灯っていれば、遭難者の目印にはなりますよね? 一年分の食料なら駆け込み相手が五人でも養えますよ」

「部屋も山ほどあるしね。正直七人じゃ寂しいぐらいだ」

 案内された客室の数は十六だ。タロットカードの魔術師から始まり、愚者、皇帝、隠者、太陽、審判、世界を除いた十六の絵柄を与えられたのが客室だ。愚者の部屋は見つからなかったが、皇帝は叢雲帝二の私室、隠者は使用人の部屋、太陽は大食堂、審判は医務室、世界は図書室を司っていた。

「十二人の食事を押し付けるつもりなら、三十万以外にも個別で追加料金をもらうけどね」

「もらうよ〜?」

 厨房から漏れる明かりを背負ったまま、夕子と加奈は木製ワゴンに乗せた料理を連れて大食堂に戻って来た。厨房から漂っていたご馳走の匂いに内心ソワソワしていた坊やたちは佇まいを正し始めた。

「調理の仕方がわからない高級食材は避けて、無難な料理にさせてもらったわ。見知った食材でも品質は上等だから……それなりに美味しいでしょ」

 微塵の手伝いもしなかったマッチョたちに対する嫌味も込めたぶっきらぼうな物言いを披露しながら、夕子は加奈と一緒に作り上げた夕食をテーブルの上に置き始めた。

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