穢人 2

「ここがお膝元だって教えられたけど……これまたずいぶんとユニークな町だね」

 宵霧山のお膝元だと教えられた霧鷺市きりさぎし。秀一は市のことを詳しく調べなかったため、人口などの情報はわからない。だが、前情報として田舎町であることは教えられていた。それも、余所者に対して好意的ではないということも。

 かすれた横断歩道、廃屋か生家かわからない沈黙の家屋、崩れかけたブロック塀、頼りない信号機などを見るに、余所者だけではなく自らの町にも好意的ではないのではないかと疑いたくなる状況だ。

「死んでるな。田舎町でも限度があるぞ」

 壊れたまま放置されている自動販売機を蹴る遼太郎。その態度の悪さに眉を顰めた翔太だが、町への評価は同意だった。

「シャッター商店街とはよく聞くが……これはそれ以上だな」

「まったくだ。せめて昼食を食べられる場所ぐらいは欲しいね」

 見知らぬ町での情報収拾は飲食店と相場が決まっている。秀一たちは周囲にフラリと足を運んでみたが、地元民とも走行中の車とも擦れ違わなかった。

「ねぇ、ここって本当に人が住んでんの?」

 苛立たしげに腕を組んでいた夕子が言った。

「いくら田舎町だって言っても……生活感がないなんて気味悪いだけなんですけど」

「仕方ないだろ? 宵霧山への行き方を調べないといけないんだから」

 そう言って秀一は腕時計を確認した。

「タイムリミットは今日の十八時だから……まだ余裕はあるね。もう少し町の中を歩いてみようよ」

「ったく……大丈夫なんだろうな」

「もちろんだよ。円滑な運転のために協力してもらうよ」

 ふん、と顔を背けた遼太郎を無視し、秀一は先頭を行く。

「民宿って看板ありますけど……シャッターですか」

「やれやれ……この町の人間は怠惰だねぇ」

「怠惰ならお前も負けてないだろう」

 翔太からの鋭い指摘に対し、夕子と英字は声をあげて笑った。

「心外だなぁ……今は労働しているよ」

 ほら、と秀一は飲食店であることを告げる看板を指差した。シャッターが下りていないことは見ればわかった。

「もう十三時半だし、情報収集のついでに腹を満たそうよ」

「良いですねぇ。どんな料理が出てくるのか……不安ですけどね」

「保健所が黙っていないさ」

 五人を促し、秀一は件の飲食店に斬り込んだ。

「すいません、やってますよね?」

 死にかけた田舎町に若者の一団は場違い、そう思われたかどうかはわからないが、秀一の呼びかけに対して店の奥から一人の老婆が姿を見せた。皺だらけの顔を怪訝に顰め、曲がった腰のまま秀一たちの前へ出た。

「いらっしゃい。六人だね、お好きな席へどうぞ」

 嗄れた声と緩やかな口調で老婆は後ろの席へ手を伸ばした。

「まぁ、離れる意味はないよね。奥へ行こうか」

「メニューをどうぞ。今……水を御持ちしますね」

 そう言うと老婆はカウンターの奥へ消えた。

「……死にかけの婆か。飯は期待出来ないな」

「こらこら、せっかくの飯が不味くなる」

 清潔にされているのか怪しいテーブルを避けて最奥のテーブルに着いた時、秀一はいつも胸ポケットに忍ばせているウェットティッシュを取り出してテーブルを拭いた。

「綺麗好きとは関心だな」

「女の子たちとの食事にウェットティッシュは必需品だよ」

 テキパキとテーブルを綺麗にし、秀一は渡されたメニューを開いた。そこに書かれているのは、中華から洋食まで幅広い商品の名前だ。

「へぇ? 町は死んでるけど、ここは生きているようだね」

「味は死んでるかもしれねぇぞ」

 やがて老婆が奥から水を運び、一行は思い思いに昼食を頼んだ。

「明日からは自分たちで朝昼晩の用意が待っているね。まぁ……料理上手の夕子がいることだし、何も心配はしていないけどね」

「は? アタシが坊やたち全員の胃袋を掴まないといけないわけ?」

「自作してもいいけど、僕や遼太郎が美味いメシを作れるとは思えないだろう?」

「お前と一緒にすんじゃねぇよ」

 遼太郎の不満を無視し、秀一は続ける。

「それに、食料貯蔵庫の食品は好きに使って構わないらしいから……夕子も料理のしがいがあるんじゃないかな?」

 全員の視線が夕子に注がれるが、彼女は特別料理に拘っているわけでもなければ、料理好きというわけでもない。

「自分のメシは自分で作りな。坊やたちのママになるつもりはないから」

 隣で目を輝かせている英字の額を拳で叩いた夕子は、自分たちが採用されたアルバイトについて口にした。

「それにしても……こんな辺鄙な場所で一週間の屋敷管理か。それだけで三十万、六人で百八十万……」

「良いアルバイトだろ? 僕も噂と掲示板を見た時は詐欺だと疑ったものさ」

 秀一たちは同じ大学に通う学生だ。秀一と夕子、遼太郎は三回生。加奈と英字は二回生、翔太だけが四回生である。この中で長い関係であるのは秀一と英字だけだ。二人は小学生の頃からの幼なじみで、先を歩く秀一のことを英字が追いかけていた。その関係は今でもあまり変わっていない。

 それ以外の全員はキャンパス内で出会った。特別に親しい関係というわけではなかったが、講義などで不思議と顔を合わせる機会が多かったため、自然に顔と名前を認識し合ったということだ。

 その大学のキャンパス内には学生向けのアルバイトを紹介する掲示板がある。そこにとんでもなく美味しいアルバイト情報が掲載されている。そんな噂話を半信半疑で確かめに行き、この内容と出会った。


 急募。

 十二月の宵霧山において、一週間の屋敷管理が出来る方を募集しています。

 応募資格は不問ですが、当主様の大切な屋敷の管理である以上、丁寧さが求められます。

 宵霧山は豪雪地帯です。天候によっては一週間以上の拘束が予想されます。管理を引き受けてくださる方は、その可能性も視野に入れたうえで御応募ください。

 報酬 三十万

 詳しくは電話にて。


 秀一は今でもその張り紙を鮮明に思い出せる。

 魅力的な女性たちに配るプレゼントを迎え過ぎた所為で、女性関係用に作ったカードの残高がマイナスの一歩手前にまできてしまった。そのことを父親に告げたのだが、あろうことか送金を渋り始めてしまったのだ。使い道のない資産を有効利用してやっているというのに渋るなんて、とも思ったが、これからどうするかと考えていた時に、吉兆が訪れたと喜んだのだ。

 友人らに張り紙のことを尋ねると、キャンパス内でも有名になっているようで、募集が押し寄せているとの情報も聞けた。応募資格が不問なら自分でも応募出来る、そう思った次の瞬間には携帯を片手にしていた。

 その電話に出たのは男だった。言葉遣いは丁寧だったが、合成された音声であっても愛想は感じられなかった。名前や大学生であることを告げると、即座に面接の予定日が決まり、その後は恐ろしいほど順調に進んだ。後から聞いた話では、応募者は悉く電話の段階で落選を告げられていたらしい。

 幸運という女神に讃えられたまま、秀一は面接で採用を告げられた。その際に友人も誘って構わないと言われ、全員が採用された。

「そうだな。バイトを誘われた時はずいぶんと驚かされた。騙されてると疑ったもんだよ」

「まぁ無理もないね。英字も夕子もすぐには信じてくれなかったし」

「当たり前ですよ。二十五日から元日までとはいえ……約一週間で三十万なんて怪しいでしょう」

 よく躊躇うことなく電話しましたね、と英字は露骨に声をあげる。

「でも全員が採用されるなんてね。遼太郎まで」

 夕子の鋭い視線が刺さるのは、遼太郎の捻くれたような態度だ。その態度に加え、遼太郎は口も悪いため敬遠されている。本人もその敬遠を開き直っているのか、三回生にして秀一たち以外に話す相手はいない。

「大きな屋敷らしいし、人数が必要って言っていたからね。一応って優しさだよ」

 彼に声をかけたのは意外にも秀一だ。言い争うようなやり取りが多いものの、秀一は彼のことを嫌ってはいないのだ。

「おぼっちゃまは優しいからな」

「お褒めの言葉、ありがとう」

 そんなやり取りをしながら、六人は意外にも美味な昼食を終えた。

「意外と美味しかったな。秀一、道を訊いてみるんだろ?」

 醤油ラーメンを汁まで飲み尽くした翔太の促しを受け、秀一は美味そうにくゆらせていた煙草を潰した。

「でもその前に……歯を磨かせてほしいなぁ。紳士たるものエチケットが大切だからね」

「いや、先に訊きましょうよ。すいません」

 おいおい、と困る秀一を無視し、英字は老婆を呼んだ。

「すいません。僕たち宵霧山を目指してるんですけど、どうやって行くのか地元の方なら知ってますか?」

「宵霧山?! あんたら……あの山に行くつもりかい……」

 露骨に声音を変えた老婆に対し、秀一は眉を顰めた。

「あの山に何か? まさか幽霊が出るなんて言いませんよね?」

 その茶化したような態度に憤慨したのか、老婆は顔全体を顰めて秀一を睨んだ。

「出てってくれ! あそこは〝穢れが残る忌み山〟だ! 巻き込まれるのは御免だよ!」

「ちょっと、お客である僕らに対して――」

「金はいらない! 出てってくれ!」

 取りつく島もないまま、秀一たちは店から追い出されてしまった。遼太郎が老婆に食らいつこうとしたが、夕子に止められ、翔太の方も老婆の態度に眉を顰めたものの、怒りはしなかった。

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