赫い糸

テケリ・リ

雨ニモ負ケズ、修羅場ニモ負ケズ



 ――――私には好きな人が居る。運命の人と言い換えても良い。


 別に飛び抜けて容姿が良かったり、頭が良かったり、お金持ちだったり、芸能人だったりとか……そういう社会的ステータスが優れた人って訳じゃないの。


 中肉中背、顔もソースか醤油かで言うなら醤油系。髪も長いこと染め直してなくてほとんど黒髪で、まばらに茶髪が覗いてて。出掛ける時もハイブランドなんか身に着けずに、ユ〇クロだったりジャージだったり。


 良い家のお坊ちゃんでもなければ、今時の社会問題の貧困世帯の出でもなくて。一流大学じゃなくて普通の短大を出て、大企業じゃなく中小企業でサラリーマンをやっている。


 普通、平凡、パッとしない。だけれどそんなあなたのことが……坂崎さかざき賢吾けんごくんのことが、私は好きでたまらない。

 コンビニレジ横のお菓子をつい買ってしまうところも。いつも電車の時刻ギリギリでホームに駆け込むところも。近所のロッ〇リアが閉店して悲しんでたところも。ホームセンターの観賞魚コーナーで二時間も足止めされちゃうところも。節約と言って家電量販店のマッサージチェアで身体の凝りを解すところも。


 そこそこの収入で、身の丈に合った生活を送ってて、たまの贅沢がチェーンの回転寿司や、プレミアムな缶ビールだったりする賢吾くんが好き。

 普通の軽自動車に乗ってて、普通の1DKのアパート暮らしで、普通の簡単な料理やお惣菜で食事を誤魔化してて、買い出しは近所の普通のスーパーで適当に済ませちゃう賢吾くんが好き。


 そんな賢吾くんと出会ったのは、ある土砂降りの雨の日のことだった。

 時間も遅くて、彼もちょうど仕事帰りだったのかな? 雨降りで暗くなるのも早くて、私はずぶ濡れになってしまって、動けないまま電柱脇の商店の軒先に佇んでいた。


 そんなところに、傘を差した彼が通りがかったの。


 彼は何も言わず、憐れんだり、逆に嘲笑ったりもせずにその傘を差し出してくれた。そっと、雨から守るように私に差してくれたの。


 近くに立っていた白い縦看板が、やたらと雨風に打たれて大きく音を立てていたのと。

 私の胸が高鳴って、五月蝿く鼓動を打っていたのと。


 どちらがより大きな音だったかなんて……そんな下らないことを考えていたのを今でも覚えている。


 彼はそのまま、背負っていたリュックを頭にかざして、濡れながら走って帰って行ったの。


 その翌日の晴れた日から。

 私は傘を返してあげたくて、彼が通るのをいつも待っていた。


 昼間も、夜も、朝も。

 彼が傘を差してくれた電柱の袂で、いつも待っていたの。あの日の後は良く晴れたから、傘を広げてしっかりと乾かして。折り目正しく畳んで、綺麗に留め紐で留めて。


 後から分かったんだけれど、あの日の彼は電車を乗り過ごして、ひと駅先から徒歩で歩いて来てたらしい。だから会えないのも当然で――――彼は手前の駅から自宅へ帰っていたの。


 だけれど申し訳なくて、それに何よりまた会いたくて。

 だから私はそれからも、綺麗に閉じた彼の傘と一緒に、電柱の袂で待っていたの。


 そうして待っていたら……どうやらまた電車を乗り過ごしてしまったらしくて、あの日と同じようにこの道を、彼が歩いて帰って来たの。

 彼はすぐに気付いてくれて、しっかりと乾いて閉じた傘を手に取ってくれた。


 きっと私達は、赤い糸で結ばれてるんだ。だって、こうしてまた会えたんだもの。

 私は彼――賢吾くんについて行って、その日から一緒に暮らしている。





「今日はプレゼンが上手くいって良かったなぁ。部署の業績も上向きだし、この調子で頑張らないと」


 そう言って自分へのご褒美にって、少し高めの缶ビールを傾ける賢吾くん。

 うん、お仕事お疲れ様。お祝いだったら本当は、少し良いお店に一緒に行きたかったな。だけど、こんなささやかな贅沢でも美味しそうに、嬉しそうにする賢吾くんを見ちゃうと、それも野暮なのかなと思ってしまう。



「あ゙あ゙あ゙ああーーッ!? ウッソ、待って待って待って!? ちょ、そのアイテム僕が狙ってたのに!! くっそ、負けないからなッ!!?」


 ゲームに集中して、コントローラーと一緒に身体もついつい動かしてしまう賢吾くん。

 熱くなりやすくて、それでまたミスをして。そうして悔しがってても勝とうと一生懸命で、そんなところを可愛いと思ってしまう。



 賢吾くんは長い間独りだったから、きっと寂しかったんだろうな。意外とお喋りで、思ったことをつい口にしちゃう、結構賑やかな人だった。


 楽しかったこと、嬉しかったこと。辛かったこと、悔しかったこと。成功談や失敗談――――色々なことを話してくれた。

 そうやって話してくれる度に、私は新しく賢吾くんのことを知れて、とても嬉しい気持ちになった。


 もっと話して。もっとあなたのことを教えてほしい。

 甘い物は苦手じゃない? 逆に辛い物はどうかな? 犬と猫ならどっちが好き? 目玉焼きには何をかけるの?


 そうしてあなたのことを知っていって、そうしてあなたのことをもっともっと好きになっていく。

 私はとても幸せで、とても満たされて過ごしていられた。


 私は、とてもとても、幸せだった。





 ある日――――偶然に、彼のスマホに届いたメッセージを見てしまった。


『昨日は一緒に過ごしてくれてありがと(o>ω<o)♡ またデートしてね(*ノシˊ꒳ˋ*)ノシ💕』



 ――――何かの間違いだと思いたかった。

 確かに昨日は休日で彼は出掛けて行ったけど……いつもと同じユ〇クロだったし、特別にお洒落をして出掛けたわけじゃなかったし。


 え、嫌だ……嫌だ、イヤだ、いやだいやだ……!

 賢吾くんが他の女性ひととだなんて、そんなの嫌だし信じたくない。メッセージもチラッと見えただけですぐに画面オフになったし、きっと見間違いに決まってる。


 確かめたいけど、触れない。

 触ってしまって動かしたことがバレたら? 中身を見られたくないと思っていたら? もしも勝手に触って……彼に嫌われたら……?


 そう思うと、とてもじゃないけど一歩を踏み出せなかった。問い質すこともできなかった。

 自分の内にドス黒い嫌なモノが生まれるのを感じる。こんなモノ、賢吾くんに知られたくない。知られたら間違いなく嫌われる。そんな恐怖が勝って、ドロドロとしたそれを無かったことにして誤魔化して、いつも通りに過ごした。





 いつも通りにとは言うものの、私は少しばかり賢吾くんへのアピールをするようになった。


 だって、嫌われたくなかったから。捨てられたくなかったから。


 ちょっとしたイタズラ程度だったの。ちょっと、彼の普段使いの物の位置を変えてみたりね。

 そうして彼が探して困っているところに、さり気なく出してあげたりするの。頼られたくもあったから、そうやって目的の物を手にした時の、彼のホッとした顔を見て満足もしていた。


 一緒に住んでいるんだもの、私が一番彼の事を知っているんだ、理解しわかっているんだって……その時だけは、心の中のドロドロが少し減ったような気持ちになれた。安心できた。


 私のアピール作戦は、それなりに功を奏していた。


 そう、思っていたんだけど――――





『今日も付き合ってくれて嬉しかった(*≧∀≦*)ノ 今度はお酒も一緒したいな♪ お泊まりでも……(*ノωノ)キャ♡』


 また、見てしまっタ……


 差出人はチラッと見えただけだけど前と同じ女性ひと。何故女性と言えるかなんて、名前を見ればそんなの一目瞭然だもの。それに、仮に女性的な名前の男性だとしても、男性が賢吾くんにこんなキャピキャピしたメッセージを送るなんて考えたくもない。

 まさか賢吾くんてば、男色のが――――この思考はマズい気がするのですぐに打ち消した。


 特に気負った格好で出掛けた様子なんて無かった。強いて言うなら、髪の毛をしっかりと染め直して暗めの茶髪に整えてたくらい。それだって、私が居るんだから気を使ってくれたんだと思ってた。

 だけど、賢吾くんと休日に出掛けることは無い。疲れているのも分かっているし、いつも一緒だから賢吾くんのお休みは彼の好きに過ごしたら良いと思っていたから。


 イヤだな……ダメ、ダメダ……ドロドロが、ドス黒い気持チの悪イノが、大きクなっている気ガすル……


 私のアピールは、その日を境に少し大胆になっていった――――





 捨てナイで……嫌イにナラないデ……

 ワタシを独りにシナいで……私だけヲ見テ……


 コップをわざと落としてみせた。

 賢吾くんはとてもビックリしていた。


 壁の時計を一時間くらい遅らせてみた。

 スマホの時計ばかりアテにしていた賢吾くんには、あまり効果が無かった。


 靴下を三足分、片側だけ隠してみた。

 洗濯物泥棒でも居るのかって多少警戒していたけど、普通に揃っている靴下を使い回していた。


 気ニならなイの……? 何デって思ワナいノ……?

 ドウシテこうナっていルノかって、本当ニ分かラナイの……?


 捨てられる恐怖が、焦りがどんどん大きくなっていく。このままではあのオンナに賢吾くんを盗られてしまう……そう考えると、嫌で嫌で堪らなくて、辛くて、悲しくて。ココロの中の黒いモノがどんどん膨れ上がってきて、ドロドロして。




 仕事からの帰りが遅くなってきた。いつもは夜の七時には帰って来るのに、夕飯を外で済ませてから帰るようになった。


 ワタシのドロドロは、溜まってイク……


 家で遊ぶ時間が減った。あんなに好きだったゲームも最近は新しい物をチェックもせず、ゲーム機は埃を被っている。『いくらで売れるかなぁ』なんて呟いているのを聞いてしまった。


 黒いモノガ、膨らンデイク……


 一度癇癪を起こしてしまった時があった。洗ったばかりのお皿をカゴごと全部床に落として、割ってしまった。

 驚いていたし、怖がって気味の悪いモノを見るような目で見られた。


 ナンデそんナ目でワタシを見ルの……? 我慢シテるノハ私ナノに……


 賢吾くん。賢吾くん。賢吾くん、賢吾くん、賢吾くん、賢吾くん賢吾クン賢吾クン賢吾くん賢吾くん賢吾クン賢吾クんケン吾くン賢ゴくんけんごクン賢吾くんけんごくんケんごくんケンゴくんけんゴくんケンゴクンケンゴクンケんごくんケンゴクンけんゴクんけんゴクンケンゴくんケンごくンケンゴクンけンごクンけんゴクんけンゴクンけんごクンケンごクンケんごくんけンゴクンケンごくんケンゴクんケンゴけンゴケンごケンゴケんゴケンゴケンゴケンゴケンゴケンゴ――――


『お泊りデート今から楽しみ♡ 何着ていこっかなぁ~( *´艸`)』


 ドウシテソンなコトガできルの? ワタシハいラナいの? イツモあなタだケをオモッてるノニ、こんナニモスきなノニ……アイしテルのニ!!

 ワタシがじゃマ? わたシジャあナタにツリアワなイ? まんぞクデキない? ソノおんナはソンナニいイオンナなノ? ナニガいけナイの? ネエどウシテ? なンデなのヨ?


『温泉一緒に入ろうね♡ それでそのあとは……(*ノωノ)♡』


 コノオンナガイルカラけんゴくんハオカシクナッテシマッタ。コノオンナノセイデ……ケンゴクンはワタシをステテシマう。

 コイツノせイで。コノオンナなナナナ゙ナ゙のノノ゙ぜせセイデデでデデコイつこイツこいツノノノ゙の゙ノコいツコノコいつコノオン゙な゙こいツコイツコイツのノ゙ノ゙ノ゙ノののノ――――







『ねえ、最近誰かに見られてるような気がするんだけど……。ちょっと気味が悪いんだよね……』


 険ゴクンヲ魔モラ無キャ……コノハジ死ラズ無怨無カラ。虚リヲト羅セテ堕血塚セテ、モトニモ怒死テア悔無斬ャ。倭タ屍屠禍レ刃赫イ糸デ無ス婆レテ遺ルン堕空。



『家の物が勝手に動いてるのッ! ねぇ、怖い! 誰か勝手に入ったのかな!? 警察に言うべき!?』


 汚魔エ無ン禍、剣ゴ苦ンニ腑刺ワ死苦無遺。蠱ノ悪バズレメ……嫌ゴ喰ン噛罹刃無レ髏。血禍ズ苦亡……!



『鏡とかガラスとかに手形が付いてるの!! ねぇ、助けてッ! 水道からは髪の毛が流れてくるの!! ねぇってば! わたしもしかして呪われてるのッ!?』


 終負エ餓悪異ノニ、無ニ険獄ンニタス怪テ喪羅嘔吐屍テルノ夜……? 腐挫毛亡遺デヨ……忌重テ夜、歯亡レテ夜……!



『もうヤダよ……! 毎晩女の人がベッドのそばに立ってるの……! 「消えろ」とか「死ね」とか「売女」とか「呪われろ」とかブツブツ言っててもう頭がおかしくなりそうなのッ!! お祓いも試してみたけどダメだったの! 「この部屋には何も居ない」って……ウソだって絶対居るって!! あの霊能者絶対インチキだよふざけんなよ!! ねぇなんとかしてよォ!!』


 雌ネ婆胃逝ン駄ヨ……破焼喰死根夜……! 幵ゴ苦ンハ腸屍ノ無ン堕禍羅、暗タ難テ逝亡苦無レ刄遺異ン駄。狂屍ンデ死根。脅獲テ鳴忌倭冥テ肢ネ。

 法螺ァ……屍根ェ、死ネェ、雌ネ、死根ェ……ッ!!



『もうむり……けんごくんなんでたすけてくれないの……? わたしもうやだよ……もうなんにちもねむれてない……もういい……もう……つかれたよ……』


 ――――暗ン゙ン゙悪荒ァ゙!! 死ン駄ァッ!! 殺ッ屠屍煮焼蛾ッタアノ売女!!! 首縊ッテ泣忌亡ガラ雌ン堕夜ォ!!!

 根ェ険ゴ苦ン見タァ!? 耶ッ屠邪魔ナ怨亡餓逝泣ク無ッ駄ヨォ!! 殺ッ吐喪屠ニモ怒レルネェ!! 虚レデ魔汰オ話デキル死、解ェ霚陀ッテ数寄ナダ化デキ流世ォ!!





 ――――アァ……死合ワセ……! ヤット賢吾クンが戻っテきタ……! 私の大事ナ、大好キな賢吾くんが。

 やっパり私ト賢吾くんハ赫イ糸で結ばれてルンだね! 必ズ戻ってきてくれルって、信ジてたよ!


 賢吾くんハすまホを見た後、しばらクの間ボーっとしてイタ。私ハそんな彼ヲ見守り、次に何ヲ話シてくれるのかと胸を踊ラせ、ウキウキしながらジッと待っタ。



 ……五分、十分と。私が遅らせた壁掛け時計で時間を数えながら待っていると、賢吾くんはゆっくりと立ち上がって、台所へと向かった。

 お腹が空いたのかな。食材は何が残ってたっけ? そろそろ買い出ししなきゃねって思ってたけど、まだインスタント麺くらいなら残ってたはずだよね。


 賢吾くんを見送る時、ふと目に入った窓の外の景色。

 外は、あの日のような土砂降りの雨だった。私と賢吾くんが赤い糸で結ばれた、あの日と同じ。


 だから、別に私は雨が嫌いじゃない。ずぶ濡れにはなったけれど、賢吾くんが傘を貸してくれた。その思い出だけで、どちらかと言えば私は雨が好きになった。


 ――――あ、賢吾くんが包丁を取り出した。きっとインスタント麺の具材を切ろうとしてるんだね。

 だけど、大丈夫かなぁ。賢吾くんて意外とおっちょこちょいなところがあるから、やっぱりそばで見ててあげなきゃ。


 そうして傍らで見守ろうと、賢吾くんの近くへ移動する。賢吾くんは包丁の刃を確かめてるのか、少しの間ジッと見詰めてから、その包丁を自分の左手首に持っていった――――え……?




 赤い。紅い。赫い水がたくさんたくさんたくさん流れ出てきて。


 賢吾くんは力が抜けたようにして調理台に背中を預けて、床に直接座り込んだ。


 赤い。紅い。赫い水は手首からたくさん流れて。流れて止まらなくて。床のフローリングの継ぎ目に沿って……まるで真っ直ぐ伸ばした糸みたいに流れて、私の足元に――――





 ――――気が付くと、私は雨の中に佇んでいた。


 あの日と同じ。土砂降りの中で、電柱の袂で。


 雨の音が五月蝿く感じた。白い縦看板を横殴りの風と一緒に叩いて、あの日自分の動悸とどっちが大きいか比べたりしたその看板を、悲しみに暮れて引き倒した。


 電柱の袂。

 私の足元には、瓶に挿された一輪の花が雨に打たれて項垂れている。


 倒れた、白い縦看板。




『〇〇月××日△△時頃、この付近で二十代の女性を巻き込む交通死亡事故が発生しました。目撃情報をお持ちの方は□□警察署まで――――』





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