第5話 十戒の意味と人生チェンジ

 オーナーは遼太に、一通の用紙を渡した。

「一から四までは、神に対する戒め、そして五以降は、人間同志の戒めである。

 帰ってから、よく意味を考えてほしい。

 わからないところがあれば、僕よりも教会の牧師に聞いてみるといい」

一、主が唯一の神であること

二、偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)

三、神の名をみだりに唱えてはならないこと

四、安息日を守ること

五、父母を敬うこと

六、殺人をしてはいけないこと(汝、殺す勿れ)

七、姦淫をしてはいけないこと

八、盗んではいけないこと(汝、盗む勿れ)

九、隣人について偽証してはいけないこと

十、隣人の家や財産をむさぼってはいけないこと


 この一から四までは、神に対する戒めだが、五から十までは、人間に対する戒めである。


 遼太は、この十戒の意味を考えてみようと思った。

 オーナーは言った。

「この姦淫というのは、結婚前のセックスのことである。

 それによって、男女共傷つくことが多いのは事実だ。

 結婚前にセックスしてしまうと、お互いに飽きてくるという。

 残念ながら出来ちゃった婚、今は授かり婚というが、離婚率が多いというのは事実である」

遼太はうなづきながら言った。

「そういえば、不倫で幸せになる人は一人もいないなんてことを本で読んだことはある。

 父親が不倫すると、母親は傷つき、子供は母親の味方をするな。

 僕もそれはわかるよ。でもなぜか、悪者扱いされるのは、不倫女性だよね」

 オーナーは納得したように言った。

「まあ、実際は男性から誘っているケースが圧倒的に多いんだけどね、なぜか受け身である女性が淫乱女と見なされる。

 いくら淋しくても、はっきりNOと断るべきだよ」

 オーナーと遼太はお互いに顔を見合わせて、頷いた。


 遼太は思わず質問した。

「僕は窃盗で捕まったことはないが、盗みといっても、見つからなかったら味を占めるケースがありますよね。

 しかし、横領のようにいくら巧妙にしても、社会保険の金額が変わったことなどが原因で、いずれは暴露するときが訪れますね」

 オーナーは答えた。

「盗みというのは、金銭や高級品など目に見えるものを盗むのではなく、人の中傷をも意味する。名誉棄損というだろう。

 今はフェイク動画などで、名誉を傷つけられ、飲食店の場合は閉店に追い込まれることすらもある。

 隣人への偽証というのは、その隣人が自分にとって都合のいい、いい人であれば問題なく真の証言をするが、そうでない人だと、復讐の意味もあったり、また賄賂をもらったりして、偽の証言をする危険性もあるな」

 遼太は納得したように聞いていた。

 オーナーは

「この十戒を踏まえた上で、これから君に仕事を教えていく。

 ただし、手取り足取り教えるほど余裕があるわけではない。

 だから、見よう見まねで覚えていってほしい。そしてできないことは家で復習してほしい。

 これが前提の上で、僕は君に靴づくりを教えていく。納得してもらえたかな」

 遼太は「了解しました」と答えたものの、そう自信があるわけではなかった。


 オーナーの仕事に対する姿勢は、見習うべきものがあった。

 靴をつくっている間は、一切歯をみせず、ただもくもくと取り組んでいく。

 遼太は、ときにはメモをとりながら覚え、家でも復習した。

 三か月後、遼太はオーナーから片方の靴をつくることを任された。


 張り切ってつくった靴をオーナーに見せたが、翌日オーナーからクレームを聞かされた。

「たしかに技術面では、僕の言う通りにできている。

 しかし、心がこもっていない。

 手作りの良さというのは、大量生産とは違って、つくった人の息遣いや人間性があらわれるものなんだ。

 ちょうど、音楽をCDで聴くのと、生演奏で聞くのとの違いのようなものだ」

 そうかあ、そういえば音楽は生演奏の方が、リアルさが伝わってくるようだな。

 遼太は靴に自分の生活、いやこれからの人生を賭けてみようと思った。四六時中、靴のことを考えれば、今よりもっと個性的な靴が生まれるだろう。

 これからは、靴のデザインをしてみようかとも、想像を巡らしていた。


 ある日、オーナーが言った。

「人の足下を見るということわざがあるだろう。

 人は、足下と背中に本音本性が現れるんだ。

 だから、足下を見られても恥ずかしくないように、隙をみせないように、靴はいつも磨いておきなさい。

 ホテルや旅館など客商売の人は、まず靴を見て、客を判断するんだ。

 いくら上半身が派手に着飾っていても、靴がお粗末だと、服までが借り物のように見られることもあるんだ」

 確かにそうかもしれないな。遼太はうなづいた。

 オーナーは続けて言った。

「人の本音本性は、背中にでる場合もある。

 正面からだと誰もが、化粧をしたり、つくり笑顔をしたりして、うまく取り繕おうとするが、後ろ姿だけは、取り繕うことができない。

 日常生活のさびしさやわびしさが、にじみ出てしまう」


 そういえば、相手に正面きって「辞めた方がいいですよ」と言い足らない場合、去っていく相手の後ろ姿に向かって「辞めた方がいいですよ」と強く制する場合は、本当に相手のことを思っていてくれているのだろう。

 

 遼太は、オーナーの言葉を人生の指針として受け止めていた。

 そういえばオーナーの背中には、さびしさを超えた実直なものがある。

 思わずついていきたいと思わせるほどの、がっしりとした大きな背中である。


 遼太は明里に、靴のデザインを相談するようになっていった。

 女性向きのリボンをあしらったデザインの靴、横幅が広く歩きやすい靴など、遼太には考え付かない女性特有のアイディアを明里は教えてくれた。

 これで少し、遼太は明里に恩返しできた気がした。

 明里は

「私は遼太君が、一人前の靴職人になって自立してほしいな。

 そして今までにはなかったような、女性特有の靴を生産してほしい。

 私も出来る限り、アイディアをだすつもりよ」


 それから一週間後、遼太は徹夜してつくった靴をオーナーに差し出した。

 女性用の、濃いピンクの色合いで、歩きやすいように横幅を少し大きくした靴だった。

 オーナーは、一分間ほど靴を触ったあとで

「うん、いいんじゃない。僕には考え付かない発想の靴だね。

 働く女性にとっては、足の負担が減りそうだ」


 遼太はオーナーから独立して一年後「次世代を担う若手靴職人」として、全国紙に掲載されるようになっていた。

 遼太は、注目を浴び、仕事も増えていった。

 

 この頃にはもちろん、明里から前借りした授業料はとうに返済を終えていた。

 明里には利子代わりに、初めてつくった遼太の濃いピンクの靴を、感謝のサプライズのプレゼントをした。

 明里は自分がデザインした靴を、多くの女性に履いてくれることを願い、遼太に自作の詩をプレゼントした。


   「君は僕の光」

 君の微笑みのうしろにあるものは なんなの

 僕だけに教えてほしい

 君は心のすみに 人の悲しみを背負って生きている

 そんなことして何になるの?

 人は誰でも 自分の悲しみを背負うのが 精一杯なのに


 人の悲しみを背負うことで 悲しみは半分になり

 君の流す涙で 人の心の傷を洗うことになるんだね

 君のうしろには いつもほのかな光の輪

 神は君に 人を救う使命を与えたんだね


 君がそばにいてくれるだけで 僕は優しくなれる

 いつの日か 君みたいな存在になることができたら


 君はいつのまにか 僕の人生の光になろうとしている


 (END)

 

 


 

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頬の傷より心の豊かさ すどう零 @kisamatuma

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