第十幕『邪視-I WATCHING YOU-』

 ねえねえ、邪視じゃしって知ってる?

 目で見ただけで相手を殺しちゃう怪物ってのは多くの文化帯に存在するらしいんだけど、もっと単純に目は力を持っていると考えている文化圏ぶんかけんはそもそも多いんだって。

 例えばカラス除け。

 あれは元々古代ギリシャに由来するって説があってね、何でも巨大な目は魔除けになるって風習があったんだってさ。

 害鳥はアレを見ると、巨大な単眼のバケモノが居るって錯覚さっかくして逃げるって事。

 それで話は邪視に戻るんだけど、ヨーロッパでは害意を持った視線は人を不幸にするって信じられてたらしいの。

 害意と言っても、事故にえばいいとかそう言うんじゃなくて、うらやましいとか、何で自分じゃないんだろう? とか、あんな幸せが欲しい! とか、そんなささやかな悪意でもたくさんの視線にさらされ続けていると、それで体調をくずしたり不幸になる……そう信じられてて、視線除けのお守りとか護符ごふなんて物も開発されていたらしいよ。

 だからね……邪視って呼ばれる怪物って、人間の事を傷つけたり食い物にしたいと考えているのかも知れないけど、実は逆に羨ましいとか、仲良くしたいって考えているんじゃないのかな?


 * * * 


 深夜、山のキャンプ場での出来事だった。

 そのキャンプ場は草が伸び放題、看板は赤くびつき、しかし最低限の水道や電気は通っていた。

 何でもこのキャンプ場は人から忘れ去られかけていたのだが、うわさになっており、事実、キャンプ場で自殺者が出ていた。

 世論は『自殺者を茶化し冒涜ぼうとくするのか!』と義憤ぎふんに燃えたり『自殺者はバケモノに殺されてしまったのだ』と噂したり『いや、それは逆だ。自殺者がバケモノに変生へんじょうしたんだ!』と好き放題だった。

 そんなこんなで不謹慎ふきんしんな利用者は居る、人の目が届かない格好の事件現場を作ってはいけない、そう言った理由から最低限の管理の手が入っただけのキャンプ場として存在していた。

 テントの中に一人の青年が寝袋ねぶくろで眠っていた。

 一見痩躯そうくだが、それでいて筋肉質な体躯で、わきには彼の物らしい登山用の杖と小さな背負いぶくろと未使用の簡易ライトとがテントの中に転がっていた。

「…………。」

 青年が眠っていると、何かが聞こえた。しかし青年はそれを気にするでもなく、風の音か何かだと思って無視した。

 何せベッドで眠っていると、人間は存在しない視線を感じたりするものなのだ。

 彼は怖がるでもなく、気にするでもなく、全く気にならずに眠っていた。

「…ぇ……。」

 再び何か聞こえたが、青年は風か動物か、とにかく再現性のある自然な音だと思って気にしなかった。

 再び聞こえた音を無視しつつ、青年は便意を覚えて起き上がった。

 このキャンプ場は山の中にあったが、トイレも手洗い場もあった。車道もすぐ脇にあり、自動販売機じどうはんばいきも設置してあり、外は深夜でも真っ暗ではない。

 テントの外はじんわりと汗があわを形成しそうに蒸し暑く、深夜で道程みちのり薄暗うすぐらく、自動販売機やトイレの灯りだけがたよりと言った様相だった。

 青年はその様子を見て、簡易ライトと登山用の杖とを手にトイレのある方へ向かった。

 ついでに不快指数の高い蒸し暑さを覚え、途中とちゅうにある自動販売機でキンキンに冷えたレモンソーダも買う。

 キャンプ場は人が寝入っているか人が少ないか、とにかく静まり返っていたが、この自動販売機やトイレの周辺は全く利用者の気配が感じられなかった。

 まるで、このキャンプ場には他の利用者が全く居ない様にすら感じられた。

「…ぇ…ょ。」

 三度音が聞こえた。

 青年の耳に音は届き、この音は気のせいでも錯覚でもない事が理解出来た。

 しかし青年は全く気にせず、トイレの個室へ向かった。

 青年はトイレの個室を施錠せじょうし、手荷物諸々もろもろを背負い袋にまとめてフックにかけ、登山用の杖を戸に立てかけて便器に腰を下ろした。

「みぇ…ょ。」

 四度音が聞こえた。

 しかし青年はん張って気張きばっているため、音に気づく事は無かった。

 青年がすっかり排便はいべんし、紙で尻をいていると、何かがトイレの天井に現れた。

「みてぅょ。」

 割とはっきりとしたつぶやき声に聞こえた。

 しかし青年はトイレットペーパーを引っ張るカラカラと言う金属音を立てたためにまぎれ、それは耳にとどかなかった。

 天井には人間の眼球の様な物が生えていた。

 眼球の様な物と表現したのは、それが裸の眼球一つで存在しており、そして人間の眼球らしい特徴とくちょうや外見を有しているものの、その大きさは人間の顔程あった。

「みてるよ」

 今度と言う今度は、完全にはっきりとした声として聞こえた。

 そしてトイレの個室

の壁と言う壁に、壁がまばたきをしたかの様に無数の眼球が現れた。

「「「「「みてるよ」」」」」

 丁度尻を拭き終わってズボンをき終えた青年は、目の前に現れた眼球を無言でなぐった。

「■■■■っ!?」

 青年の手にはやわらかくてかたい、まくが有する独特の触感が伝わり、眼球のバケモノは形容しがたい声を挙げた。

 青年はこれを物ともせず、トイレの個室の施錠を開けて外に出ようとしたが、戸が開かない。

 建て付けが悪いと言う風でもなく、まるでかぎがかかっているかの様に開かなかった。

「お前らか! お前らのせいか!」

 青年は戸に立てかけておいた登山用の杖を手に取ると、眼前の戸に映えている眼球を滅茶苦茶に、しかしそれでいて適確に突いては殴り、丁寧ていねいかつ正確にえぐって潰した。

「「「「「■■■■■ッ!」」」」」

「うるせえ! 目ン玉が叫び声を挙げるんじゃねえっ! どうやって叫んでいるんだっ! ふざけんじゃねえ! 舐めたマネをしやがって!」 

 青年は閉じ込められたために目を殴り、凝視ぎょうしされているために目をり飛ばし、やかましい声を挙げたために登山用の杖で突き、機嫌が悪いので杖でしたたかに叩きつけた。

 これには眼球のバケモノもこれはたまらんと退散する様に壁の中に隠れ、天井の眼球を残してトイレの個室内は正常になった。

「俺の事をずーーーっと付けねらいやがって、そこに居るのは分かってんだぞっ!」

 青年はそう言うと、登山用の杖を逆手で漁師のもりの様に構え、天井に向って放り投げた。本来は土をる目的であろう金属の先端部せんたんぶが、天井に張り付いた眼球のバケモノに突き刺さる。

「み゛い゛い゛い゛い゛!」

 個室内に漿液しょうえきらしい液体が降り注ぎ、ボトリと眼球のバケモノが落下した。

「これでも喰らいな、妖怪野郎」

 青年はそう言うと、背負い袋の中からレモンソーダを取り出し、かんを速やかに開けると眼球のバケモノに振りけた。

「み゛い゛え゛え゛う゛う゛う゛お゛お゛お゛!」

 殴られ、蹴られ、突っつかれて、突き刺され、踏まれ、トドメと言わんばかりにレモンソーダをかけられた眼球のバケモノは、けたたましい叫び声を挙げながらトイレの地面に溶けていった。


「そのキャンプ場には悪い妖怪が居て、その妖怪に取りかれたら不安感や恐怖が消えなくて死にたくなっちゃうんだって。でも、ある時その事を重く見たお坊さんが祝詞のりとをあげたら、それからそのキャンプ場では自殺者は出なくなったんだってさ」

 午後の食堂に二人の学生が居た。片方は長い茶髪が目に映えるスレンダーでどこかサルの様な印象を覚える軽快な雰囲気ふんいきの女性で、もう片方は一見痩躯だが筋肉質な体躯の青年だった。

「ふーん、自殺したくなる様な妖怪ねえ……確かに仏門の坊さんが呪文で妖怪をらしめるってよく聞くけど、あれってどこの誰が言い始めたんだろうな?」

 筋肉質な青年は不思議に思う様な、面白がった様な様子で軽快な雰囲気の女性に返した。それに対し、女性の方は不平を言う様な、同じく面白がった様な様子で返す。

「いや知らんし。あたしは勿論もちろん知らないし、今生きてる人間全員、誰も正確な事は知らないと思うの」

「お前なあ……いやまあ、どこの誰が言い出した事です! って、そのものズバリを正確には言えないだろうけど……」

「ふふん! とにかく、悪い妖怪はお坊さんに懲こらしめられて、もう二度と悪い事をしませんでした。めでたし、めでたし」

 軽快な雰囲気の女性は満足そうに語り終えて、帽子代わりに金色のカチューシャを頭から外して小さく礼をした。

「へえー……これが西遊記なら、むしろここから話が始まるって感じだな」

「まあね、でもでも、やっぱりこのお話はここでお終いらしいよ。何せあたしが聞いた話は、ここでお終いだから。ところでゲンジョウのうちってお寺だけど、そう言う悪霊あくりょうがどうのって話は来たりしない? 見た事ある?」

「さあ知らないな。家に慰霊いれいの話が来る事は有ったが、何というか普通にテレビとかで観る様な普通の仕事だったみたいだぜ。少なくとも俺は、悪霊が暴れているからって案件は見た事が無いな」

「へえ、そっか。じゃあさっきの話に合わせるなら、悪い妖怪はお坊さんが軒並のきなみしずめてまわってるって事だね!」

 軽快な雰囲気の女性は、面白がった様子でそう言った。

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