第二幕『粉骨砕身の怪-SAL TERRAE LUX MUNDI-』

 初めに言っておくと、この俺、みなもとじょうは霊媒体質だ。

 だから、ちょっとした面倒事とか心霊現象に矢継ぎ早で遭遇する。

 心霊現象と言うと、俺が滞在する場所ではテレビに何か妙な像が映るとか、もしくは写真を撮ると妙な光の玉が浮かぶとか、そう言った事を想像するかも知れないが、俺にとっての心霊現象はほんの少しだけ違う。


 朝起きて、テレビを点ける。

 朝の報道番組が流れるが、テレビが途中で不調を訴えたかノイズを映し、ノイズが晴れるとどこか荒廃した鬱蒼とした森の中の井戸が映った。

 見ると井戸の中から死に装束を着た髪の長い女が、髪で顔を隠しながらカメラがあるであろう方向に近づき、カメラを覗き込む様な動作をし、そしてまるで結露が生じる様にテレビのあちら側からこちら側へと浸入して来たではないか!

 現実が非現実に冒涜され、その実行犯はこちらを目視して、髪の間から覗くこの世のモノとは思えぬギョロ目で俺を見据え、哄笑こうしょうを堪えるかの様に笑い声をこぼし始めた。

「オラァ!」

 立って体を正面に向けたまま、体重が入った蹴りを、踵で押し込む形で死に装束女の前頭部に食らわせる。

 いわゆるヤクザキックとか喧嘩キックと呼ばれる奴だ。

 死に装束女の顔からは笑みが消え、こちらを恐怖の表情で見ている。

「うるせえ! 引っ込んでろ! 顔がうるせえ! ねえ!」

 死に装束女は何度も何度も前頭部や鼻を蹴られ、これは堪らんと、来た時がそうであった様に浸透する様にテレビの中へ戻っていった。

 全く、朝っぱらから人騒がせな輩だ。

 ここ数日暑かったのと、起き抜けに迷惑な闖入者ちんにゅうしゃが来てくれた為、シャワーを浴びる事にする。

 本来はシャワーを浴びるなら家ではなく、近くのジムや銭湯を使うのが好ましいのだが、今回ばかりは今朝から大騒ぎして変な汗をかいてしまったのだから仕方が無い。

 そう思って浴室の扉を開けると、天井裏から血の様に赤い服を着た、青銅の様な肌の色をしたおぞましくもいたましい女が、人間とは思えぬ長さの胴を伸ばしてこちらを凝視していた。

「この野郎! 俺の生活を邪魔するんじゃねえ! ふざけるな!」

 赤い服の女の眉間に蹴りを入れ、鼻に蹴りを入れ、右耳を蹴り上げ、腹部にラリアットを喰らわせる。

 赤い服の女はしゃくとり虫の様にボトリと浴室の床に落ち、じたばたと三メートル弱はありそうな長身を捻じらせながら四つ足で逃げ惑い、窓を開けて逃げていった。

 幸い、俺の住むこの部屋と隣接する部屋は階の上下も含めて空き部屋だ。

 家賃も驚くほど安いのに、一体何でだろうね?


 そんなこんなで害獣二匹を駆除した後、熱いシャワーを浴び終え、テレビを再び点けて簡素な朝食を摂る。

 すると部屋のチャイムが鳴った。

 俺の家に遊びに来る友人は居ない。

 連絡が来る事はあっても、会って遊ぶのはうち以外と言う事にしているし、そもそも俺は知り合いにはとんでもない汚い部屋だから恥ずかしくて教えたくない。で通している。

 何せ、ご覧の通り、文字通りの幽霊屋敷の様な有様だ。

 この様な場所で遊ぶには友人に忍びないし、実際問題、俺にはかつて訳アリのルームメイトが一人居たが、この部屋の様子にグロッキーを起こして倒れてしまった。

 訳アリのルームメイトの事は、俺の実家へと、帰る場所の無い友人だと嘘偽り無く説明し、住んでもらう事にしたのだが、何故だか俺はバイトを増やすハメとなってしまった。おのれ。

 そして繰り返すが、この部屋の上下は何故だか住民が居ない空き部屋だ。

 即ち、俺の部屋に来るのは何かの連絡か、俺やこの部屋の有様を知らない外部の人間だと言えるだろう。

 そう思いつつ扉を開けると、そこには妙齢の女性が立っていた。

 肌は雪の中に居たら見失いそうな程に白く、服装は改造和服とでも言うべきなのだろうか? 紫と黒を基調にして赤い飾り紐の房が映える肩を強調して鎖骨の見えるドレスを着ており、その体躯はやや低いものの、胸にはリンゴの様に立派で形の良い乳房がドレスの上から露出していなかったにも関わらず見て取れ、臀部まで届く反物の様な黒髪をたたえ、そしてその顔も何とも言えない肉食獣の様な美しさを含んでおり、頭部には立派な二本の角が生えていた。

「源杖だな?」

 また妙な来訪者か……と毒づく前に、女性は先に俺に質問をして来た。

 これまでバケモノ共が行儀よく家を訪ねて来た事が無かった為、呆気に取られたのかもしれない。

 決して胸に気を取られたとか、そういう訳では無い。断じて、無い。

「はい、確かに俺は源杖だが?」

 しまった、これは口が滑ったのではないか? バケモノ相手に本名を名乗った事は無いが、これはひょっとしたら鼠溝やマルチ商法の毒牙に一度かかった人間は食い物として連中の名簿に載ると聞いた事がある。

 これはきっと、バケモノが人語らしい人語を喋ったのが初めてだから気が抜けたのだろう。

 別に顔が良いからほだされたとかでは絶対に無い。絶対に、無い。

「くふふ、そうかやはり貴様がかの源杖か……くはは、馬鹿正直に名を名乗るのが運の尽き、貴様はここでわらわの糧となって死ぬのだ!」

 角女はそう言うと、周囲に季節外れな凍てつく様な一陣の風が吹き抜け、角女の臀部まで届く豊かな黒髪が翻り、とりあえず俺は角女にアイアンクローを喰らわせた。

「いたたたたたたたっ! 降参! 降参! 参りました! 放して! 許して!」

 いや、運の尽きとか死ぬとか言ってた奴を許して放す訳無いだろ……俺はそう思い、角女を締めつける五指を更に力を入れる。

「いたたたたたたた! 死んじゃう! 死んじゃう! もう襲わないから助けて下さい、お願いします!」

 ほら、襲う気だった。

 しかし戦意を失い、上下関係が出来た相手を締め上げ続けるのも人道に反する気がするので手を緩める。

 すると解放された角女はその場でへたり、苦しそうに肩で息をし始めた。

「うう……見逃して下さってありがとうございます。この非礼の償いになるかは存じませんが……バカめ、死ねい!」

 俺は腰部に飛びかかって来た角女の顔に中腰の蹴りを入れ、ついでに踵落としを脳天に喰らわせてやった。


 今日は普段に増して妙なバケモノの相手をして、何やら疲れてしまった。

 幸い今日は休日なので、買い物をした後、軽い昼食を摂って仮眠する事にでもしよう。

「やい、待て! そこで止まれ!」

 先程の角女がまた眼前に現れた。

 こんな事は初めてで、俺は少々うんざりだ。

 何せこれまで遭遇したバケモノ共は、一発蹴りを入れたり無視したらすぐに諦めて帰っていった。

 この目前の角女は、人語を話せるししつこいしで、他のバケモノとは明確に性質が異なるのだろうか? と思いながら、角女を居ないものとして過ぎ去った。

「おい! 待て! 無視をするな、源杖!」

 角女が前方を塞ぐ形で回り込む。

 周囲に人こそ居ないが、名指しで止められてしまっては仕方が無い、立ち話でいいなら気が済むまで相手をしてやろう。

 正直言って俺は名前を尋ねられた際に肯定してしまった自分を呪いたい気分だ。

「無視をしたのは悪かった。だがそもそも、お前はどこの誰で、俺に対して何の用だ? いきなり俺に襲い掛かって来た相手にマトモな対応をしてもらえると思ったのか?」

 俺の言葉に対し、角女はドレスの裾をつまんで会釈をし、口を開いた。

「妾は貴藻たかもノ君、貴様ら人間が天魔と呼ぶ存在だ」

 なるほどなるほど、よく分からないけど俗に言う雑霊ではなく、血統書付きの悪魔って事か。

 出自はどうでもいいが、もっと丹念に心が折れるまで殴っておくべきだった。

「先程の非礼は今度こそ本当に詫びよう。無礼は重々承知なのだが、実はこちらにも事情があって、折り入って請い願いたい事がある」

「言うだけ言ってみろ、ふざけた理由だったら殴る」

「源杖、あなたを理不尽に憤る事が出来、そしてそれを退けるだけの力がある勇敢な人間と見込んで頼みたい。この近くの無縁仏、あの地にはまつろわぬ人間の霊が今尚大勢居て、良くない影響を生じさせている。恥を承知で頼みいる、あれをどうにかしてくれ」

 なるほど。悪魔の都合は知らないが、俺が驚かしても逃げない勇敢な人間だからバケモノを退治してくれと言ったところか。

 まるで藤原ふじわらの秀郷ひでさとだな、これがその通りなら俺は無尽蔵の富とか貰える筈だが、そこのところは期待してもいいのだろうか?

「ええ、かの怨霊をどうにか出来たのであらば、妾の身に出来る事なら何でも尽くしましょう」


 * * * 


 初めにこの小僧の事を聞いた時、そして一目見た時はしめたものだと思った。

 これこそ話に聞く高僧の血肉に等しく、かの小僧の血肉を食しすすれば必ずや天魔としての徳は上がるであろう。

 しかも妾の体躯たいく見惚みほれて凝視ぎょうしする様な青二才、ともすれば篭絡ろうらくするのもた易い。と、そう思っていた。

 しかし現実は厳しい。

 高僧の生き写しやも知れぬが、同時に暴風雨の様な男でもある。

 あの様なバケモノが居ては、妾が何ぞ暗躍あんやくしても近くを通りすがった際に退治されてしまう。

 篭絡して精をしぼれば妾の徳が上がるかも知れぬが、あやつが安穏としている事は危険だ。

 何より、妾の高貴で美しい顔を握り潰そうとした貸しは必ずや返さねばならぬ。

 故におびき出す。

 地霊に働きかけ、無縁仏を一つに束ね、祀ろわぬ人間霊として今から叩き起す。

 これであの小僧が死ねばそれでよし、そうでなくとも返礼と称し小僧を篭絡すれば良い。

 あの小僧はありのままに生きている様に見えて、他人への迷惑や義憤ぎふんを優先順位の上位としていると見た。

 ならば祀ろわぬ死者が周囲に悪を成していると言えば、のこのこ付いて来るであろう。

 高僧に等しい人間の血肉、精と魂を喰らって命脈を伸ばし、位を上げる。妾にはその必要があるのだ。


 * * * 


 人通りの無い山道だった。

 自動車事故があった、遭難者が居た、そして遥か昔からこの山道で命を落とす人はぽつぽつ居た。

 しかし、それらはただの死人だ、力無い存在であり、生者にちょっかいを出す存在では決してない。

「それで、俺はここで何をすればいいんだ?」

 女怪じょかいに案内された青年は、山道の開けた中腹に居た。

 自分を含めた近辺に悪を成すバケモノが居るなら、必ずや退治せねばならない。そう決意が見て取れる。

「ええ、この地の祀ろわぬ霊が人を襲っているのだ……気をつけろ源杖! 足元だ!」

「!」

 女怪の言葉は無論デタラメだ。

 祀ろわぬ霊とやらは居るが、それは人を襲わない。仮にそれらが人を襲うのであれば、それは女怪がそう仕向けたからだ。

 丁度今、女怪がそうやっている様に!

 青年の足元に、青年の胴体を噛み切らんと地中から巨大なあぎとが露になる!

 これは今日こんにちがしゃどくろと言う名で知られる巨人の一種。

 多くの死者の身体が積み重なり、白い屍肉しにくが精巧な模型の如く組み合わさる事で一体の巨大な白骨死体を成していた。

 青年はあわやと言うところで地に伏せ、がしゃどくろの咬合こうごうをかわすが、即ちそれはがしゃどくろの口腔こうくうに閉じ込められることを意味していた。

「やった、やった! でかしたぞ! 源杖を肉餅にするまで磨り潰してしまいな!」

 女怪は諸手を挙げての大喜び、しかしがしゃどくろの様子がおかしい。

 勿論屍肉で出来た骸骨の如き巨人なので、顔色が変わる事は無く青白い健康体そのもの。

 しかし無いやらまるで悪寒を感じている様に痙攣けいれんしている。

「どりゃあ!」

 次の瞬間、がしゃどくろの歯が―即ち歯の役割りをしていた死体一つが―へし折れて吹き飛び、中から青年が五体満足で飛び出した。

 歯がへし折れたがしゃどくろは痛覚などない筈だが、かつて自分達がそうであったかのように手で患部を押さえて慌てふためく。

 もだえ苦しむ巨人にとってそれはくさび要石かなめいしだったのであろう、患部から全身を形成する死体の結合が緩み、とがしゃどくろはほどけてしまった。

 しかし、青年は屍肉で出来た巨人の事など見向きもしない。

「おいあんた、貴藻だっけ? これはどういう事だ?」

 青年に睨みつけられた女怪は、文字通り尻尾を撒いて逃げ出した。

 それはもう一流の闘牛士か猟師でもなければ捉え切れない程の猛スピードだ。

 青年は手元にあった石を投げた。石は女怪の後頭部にぶつかり、女怪は気を失って倒れた。

 気を失った女怪の臀部には、雪の様に白い尻尾が数本生えていた。


 この地には、狐の女怪を石で押しつぶして調伏した若者が居ると、伝説が後々興おこるのだが、それはまだ、未来のお話。

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