第30話
「瀬川を殺した犯人はあなたですね?」
湖南が瀬川累次殺害の犯人として指摘したのは天童綺羅だった。
夏目は黙ってことの成り行きを見守っている。
現在、夏目と湖南は天童家に来ていた。仏壇に線香を上げ、お茶を飲んで人心地ついたところで湖南が本題を切り出したのだ。
「綺羅さん、あなたが瀬川累次を殺した。違いますか?」
「……仰っている意味がわかりません」
暫く湖南と綺羅が無言で睨み合う。
「…………」
一分が一時間とも思える重苦しい沈黙。
夏目は注意深く綺羅の表情を観察していたが、不自然な点は皆無だ。というより、夏目には綺羅が瀬川を殺したとはどうしても思えなかった。
「瀬川が殺されていた部屋は内側から扉を養生テープで目張りされ、窓は板で塞がれた密室でした。瀬川の胸にあった銃創からは、貫通しているわけでもないのに弾丸は検出されておらず、畳の上に積まれた五千万円の札束は残されたままだった。以上の状況から、犯人は天童家に代々伝わる『ストック』と呼ばれる特殊能力を使ったのだと僕は確信しました」
「待ってください。私は天童家の人間ではありますが、それは天童家に嫁いだという意味であって、私自身に天童家の血が流れているわけではありません。私には主人が持っていたような特別な力はありません」
「ええ、確かにあなたに天童家の血が流れているわけではない。しかしあなたなら『ストック』の能力を使用することはできた筈です」
「ちょっと待った!!」
夏目が慌てて二人の会話を遮る。
「天童家の血を引く者以外で『ストック』を使える者は存在しない。それは確定事項だった筈だ。まさか照久が嘘を言っていたというのか?」
「いいえ、照久が話した内容に嘘偽りはありません。アリバイがある彼に嘘を言うメリットはありませんからね。ですが、一つだけあるのです。天童家の血を引いていなくても『ストック』を利用する裏技が」
「それはどんな方法だね?」
「天童家の子を身籠ることですよ」
湖南は世界の常識を話すようにそう言った。
「綺羅さん、あなたは真理雄さんとの子をお腹に宿していた。そして自らの腹部を銃で撃ち抜くことで『ストック』の能力を発現させたのです」
「……馬鹿な、まだ生まれてきてもいない子を銃で撃ったというのか!?」
夏目は信じられない気持ちで湖南の推理を聞いていた。
「もしも胎児に『ストック』の能力が適用されれば、死亡する十五分前にいた場所で復活し、母体である綺羅さんの肉体も胎児が死ぬ十五分前の状態で復元される」
「……そうか、救済措置か!!」
胎児は母体から出た状態では生きていられない。
ダイバーが海中で酸素ボンベなしで生きていけないように。
綺羅は自らを、お腹の中の子の装備と見なすことで『ストック』を使用することを実現させたのだ。
「……そのやり方で私に主人と同じ能力が使えるとして、何を根拠に私が人を殺したと仰るのですか?」
「瀬川の住むアパートから徒歩五分圏内の物件を全て調べ上げました」
綺羅の表情に初めて動揺の色が浮かんだ。
「先月、瀬川の住むアパートの隣に建つウイークリーマンションを借りていますね?」
「そんなのは偶然です。ただ倉庫代わりに部屋が欲しくて借りただけです」
「綺羅さん、あなたは借りた部屋を瞬間移動で戻ってくる地点にした。この殺人計画には誰にも見られず、且つ安全な場所がどうしても必要になりますからね。そしてその場所は瀬川の部屋から目と鼻の先でなければならない。何故なら、あなたには犯行を終えて自殺するまでの時間が十五分しかなかったからです。拳銃という凶器を選んだことは、男女の体力差を埋める為というよりも、素早く自決出来る点で優れているからでしょう」
「……違う、違う!!」
湖南は構わず推理を続ける。
「犯行の手順はこうです。借りたウイークリーマンションの一室で拳銃を用意し、弾を装てんします。ここからストップウォッチをスタート。急いで瀬川の部屋へ向かわなければなりませんが、途中でどこかに隠していた養生テープと窓を塞ぐ為の板や釘を回収します」
「何故途中なんだ?」
「最初から釘や板を用意しないのは、折角密室を作り上げても『ストック』の能力にその材料が綺羅さんの所持品と見なされれば、元通りに復元される危険があるからです。自らの負傷や弾丸は復元して欲しくても、釘や板まで元に戻されては困りますからね」
「…………」
以前、湖南は瀬川累次殺害を天童真理雄殺しと比べて単純と評していたが、とんでもない。夏目からすればむしろ、後者の方が『ストック』の使い方として常軌を逸しているように思えた。
「そして玄関のドアを開かせたと同時に瀬川累次を射殺。死体を和室に運び込みます。あとは途中で回収した釘や板で密室状態を作り、ストップウォッチで出発から丁度十五分が経過したところで腹部を撃ち抜きます。このとき、お腹の中の子は即死でしょうが、綺羅さんはといえばすぐには死ねません。死体は十五分間消えずにその場に留まり続けるので、長く苦しむことになる。もう一発こめかみを銃で撃ち抜けば早く楽になれるでしょうが、綺羅さんがどちらを選ぶかは好みの分かれるところでしょう。以上が僕の推理です」
「……それで?」
綺羅が表情のない顔で言った。
「付け加えるなら、瀬川のアパートの植え込みからあなたの指紋が付着した釘が一本発見されました。恐らくこの植え込みに釘や板を隠していたのでしょう」
「……そうではなくて。それでもし私が瀬川を殺したとして、だから何? 警察に私を捕まえることができるのかしら?」
「……いいえ」
湖南は降参するように両手を挙げる。
「もし仮にあなたが罪を認めたとしても、瞬間移動などの超能力を使った殺人を法律で取り締まることはできません。あの過剰なまでの密室の演出は、この殺人に『ストック』の能力が使われたことを示す為だったのです」
「そこまで理解しておきながら、私を糾弾することに意味はある?」
「…………」
夏目にはその問いに答えることができない。
逮捕することのできない犯人。
裁くことのできない犯罪。
それらとどう向き合えばいいのか、夏目はその答えを持たない。夏目にできるのは、ひたすら真実を追求することだけなのだ。
(夏目さん、もうこの辺でやめておきませんか?)
夏目は何時か湖南に言われた言葉を思い出していた。
「意味ならあります」
そう答えたのは湖南だった。
「たとえ法で裁けなくとも、罪に問えなくとも、真実を明らかにすること。それ自体に意味があると僕は信じています」
湖南は綺羅に向かって真っ直ぐにそう言った。
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