第一部 消失 (二〇二四年十月)

第5話

 天童てんどう綺羅きらは自宅で午後のワイドショーを眺めながら、娘の帰りが遅いことを気にし始めていた。


 綺羅の娘、天童はなは小学二年生だ。毎週木曜日は学校が終わった後、スイミングスクールに連れて行っている。

 何時もは15時には授業を終えて家に帰って来る。現在、壁にかけてある時計の針は15時30分を回っていた。


 そのとき、家の固定電話が鳴り始めた。

 綺羅は嫌な予感がした。学校で花が何か問題を起こしたのか? それとも下校途中にトラブルに巻き込まれたか?


「……もしもし」

 5コール目で綺羅は受話器を取った。


「天童さんだね?」


 奇妙な声だった。頭にキンキン響くような甲高い声だが、話し方は落ち着いた年配の男のようでもある。


「……そうですが、あの、どちら様ですか?」


「お宅の娘を預かっている。返して欲しければ五千万円を用意しろ」


「…………!?」

 綺羅は気が遠くなるのを必死で堪えた。自分がしっかりしなければ、取り返しのつかないことになるかもしれない。


「……もしもし、何の冗談です?」


「残念ながらこれは冗談ではない。私は本気だ。娘を助けたければ身代金を用意することだ。それから今すぐ亭主を家に戻せ。17時にまた連絡する」


「待ってください、五千万なんて大金すぐに用意できません!!」


「金が用意できないなら娘のことは諦めるんだな」


「……そんな、待ってください!! お金はきちんと用意しますから!!」


「いい心掛けだ。それでは警察によろしくと伝えておいてくれ」


「……え?」

 綺羅は耳を疑った。

 こういう場合、普通犯人は警察に通報するなと牽制するのではないか?


「……警察に連絡してもいいのですか?」


「警察に知らせるなと言って、あんたは素直に言う通りにするのか?」


「…………」


 綺羅はそれについて考えてみようとしたが、答えはわからなかった。花のことは何が何でも助けなければならない。その為なら、幾ら金額を要求されようとも犯人の要求に従うべきだろう。

 けれど、自分たちだけで誘拐犯を相手にするだなんて考えただけでも恐ろしい。犯人に背いてでも、誘拐事件に精通したプロに頼りたくなるのが人情かもしれない。


「だが、約束を破ったときは娘の命はない。きっちり五千万円だ。一円たりとも誤魔化すなよ。17時にまた連絡する」


「待って!!」


 そこで通話が切れた。


 ――今の電話は何だったのか?

 ――悪戯?

 ――それとも本当に?


 わからない。

 ただ一つわかっていることは、花がまだ家に帰ってきていないということだけだった。


 綺羅は混乱する頭の中とは裏腹に、すぐに行動を起こした。まずは夫の真理雄まりおに連絡し、次に警察に110番通報した。


 警察を待つ間、綺羅は花が立ち寄りそうな場所へも電話をかける。

 クラスの友達の家、図書館、近所のスーパー。


 しかし、花を見かけたという情報を得ることはとうとうできなかった。

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