第3話

「頼む、この通りだ」

 翌日、俺は稽古場で照久に頭を下げていた。


「昨日お前がやったマジックのタネをどうしても知りたい。あれからどんなに考えてもわからないんだ。どうやったのか教えて欲しい。こんなことを頼むことがマジシャンとして、いかに恥知らずなことかは重々承知しているつもりだ。でも、どうしても知りたいんだ。それがわかれば俺はもう舞台に立つことを諦めてもいい」


 それは事実上の敗北宣言だった。俺はこの先、照久を超えることはできない。そう言っているも同然だった。


「……困るよ累次」

 照久は何故か俺と目を合わせずに、そっぽを向いている。具合が悪いのか、顔が青白い。


「それじゃ足りないなら金を出してもいい。幾らだ? 幾ら払えばいい?」


「違うんだ累次。実は俺にもよくわからないんだ。あのとき俺の身に何が起きたのか、自分でも説明ができない」


 俺はカッとなって照久の胸倉を掴んだ。


「……お前、俺を馬鹿にしてんのか?」


 嘘を言われたりはぐらかされることは勿論想定していた。だが、それにしたってもう少しマシな言い訳くらい思い付くだろう。


「誤解だ。本当にわからないんだ。水槽の中で溺れて、意識を失ったところまでは覚えている。それから先は何が起きたのかよくわからない。気が付いたらもう俺は手足を縛られた状態でステージの上にいたんだ」


「嘘を言うな。お前が何らかの方法でステージの上に移動したことはわかっている。水槽で溺れたのは俺を騙す為の演技だったのだろう? そうでなければ寿限無が平然とお前を見殺しにするわけがない」


「嘘じゃない本当だ。信じてくれ」


「信じられるか!!」

 俺は照久に唾を吐きつける。殺してやりたいと思った。


「放してやれ。照久の言っていることは本当だ」


 振り返ると燕尾服を着た寿限無が立っていた。グリースで撫でつけられた髪は、還暦を迎えたとは思えないくらいに黒々としている。


 俺は照久から手を放す。


「先生」


「本当のことを知りたいのなら教えてやらんでもない。だが累次、その前にお前にも本当のことを話して貰おうか」


「……何のことです?」

 俺の背中を冷たい汗が伝う。


「桃が用意していたロープをすり替えたのはお前だろう? 昨日、桃が照久を縛ったロープは水に溶けない本物のロープだった。お前はロープをすり替えて、照久の脱出マジックを失敗させようと企んだ」


「馬鹿な、どこにそんな証拠が?」


「あのマジックのタネを知っているのは照久を除いて、私と桃とお前の三人だけ。実際にロープをすり替える機会があったのも、この三人だ。そしてこの三人の中で照久のことを快く思っていないのはお前だけだ。違うか?」


「待ってください。俺はあのとき照久を助けようとしたではありませんか。救急車だって呼ぶつもりだった。それを止めたのは先生、あなたですよ? あなたこそ照久を殺そうとした犯人なのではありませんか?」


 すると寿限無は何が可笑しいのかニヤリと笑った。


「確かにな。お前は照久を殺そうとまでは考えていなかったのだろう。ステージの上で無様な姿を晒させるだけで溜飲を下げることができた。だがその点、俺は一度この手で照久を殺めている。この場合、真に裁かれるべきは俺なのかもしれないな」


「……殺めている?」


「ああ、文字通りな。俺は意識のない照久の心臓をナイフで貫いた。即死だった筈だ」


「…………」  

 俺には寿限無の言っていることが理解できない。隣を見ると、照久もあんぐりと口を開けている。


「どうだ累次、自分の罪を認める気になったか?」


 俺は大袈裟に肩を竦めてみせた。


「……仕方ない、わかりました。ロープをすり替えたことは認めましょう。それであの出現の秘密を話して貰えるのならね」


「いいだろう。教えてやる。ただ、真実がお前にとって都合のいいものかどうかまでは保証しかねるがな。手品のタネなんてものは大抵の場合、知らない方がいいものさ」


「能書きは結構です」


 寿限無はそこで一度わざとらしく咳払いをした。


「実は天童家には先祖伝来の特殊な能力がある」


「特殊な能力?」


「能力という言葉か気に入らないなら体質と言い換えてもいい。先祖伝来の特異体質。どんなものなのか一言で言い表すとするなら、命が二つあるとでも言ったところかな。


「…………」


 何だそれは?

 意味がわからない。

 あまりにも突拍子もない寿限無の話に、俺は驚くことすらできない。


「そして、この体質にはもう一つルールがある。それは。持病、怪我、疲労、所持品なども十五分前のステータスが反映される。これは救済措置の為のルールだろう。たとえば海中で溺れ死んだ場合、死んだ場所で復活しても同じ運命を辿るだけですぐに死んでしまう。無駄な復活を避ける為だ。つまり照久がステージに突如出現したのは、死亡してから十五分が経過して復活したから。手足がロープで縛られていたのは、死亡する十五分前の状況がそうだったから」


「……馬鹿な?」


「信じられない気持ちはわかる。俺もその現象が我が身に起こるまでは信じていなかった。俺の場合は戦時中、敵兵の弾丸で頭を撃ち抜かれたときだった。確かに死んだという実感があったのに、気が付くと意識が戻っていた。そればかりか、使い切っていた筈の弾薬も元に戻っていたのだ。上官に説明された話では、俺は確かに敵に撃たれて死亡していたらしい。だが十五分後に俺の死体は煙のように消え、離れた場所で俺が復活した。これは錯覚やトリックではない。紛れもない事実だ」


「…………」


 思わず俺は唾を飲みこんだ。


「……つまり要約すると、超能力で生き返って何もない空間へ瞬間移動したと?」


「そうなるな」


 俺は可笑しくて笑い出したいのを精一杯堪えていた。よくもまあそんな与太話でこの俺を煙に巻こうと考えたものだ。


「残念ですが先生は相当耄碌もうろくされてしまったようだ。たとえ冗談であっても超能力を口にするようになってはマジシャンとして終わりです」


「……確かにそうかもな。そして問題はもう一つ。この命が二つある体質は累次、お前にも受け継がれているということだ。お前は俺の息子だ。照久とは異母兄弟ということになる」


「…………は?」

 今度こそ意味がわからない。

 寿限無は本当に耄碌してしまったのか?


「そして、お前は一族の秘密を知ってしまった。生かしておくわけにはいかない」


「さっきから一体何を言って……」


 そこで俺は絶句する。

 銃口が真っすぐこちらを向いていた。


 ――銃声。

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