亡国の王子と敵国の王女4
牢獄にまた夜が訪れた。日中は遠くの喧騒が微かに聞こえたり、小鳥の鳴く声が牢獄にも届いたりするが、夜になると森林の奥地に迷い込んだかのように静寂に包まれる。ゆらめく炎が影をつくる。
あとは食事をとったら眠るだけ。今日も変哲のない1日を過ごした男が真面目に机に向かっているのをレナードは格子越しに見つめる。当たり障りのない内容を書くのだろう。昨晩の出来事など報告できるはずがない。
もっとも、時間が経てば話は変わるかもしれない。自分だけでは抱えきれなくなり、上長に報告はせずとも、距離の近しい誰かに相談するかもしれない。そうなれば、たちまち噂となって広がってソレイアの耳にも届く。口止めはされなかったが、する必要がないと思ったのだ。
ソレイアがその気になれば、カーヴァが貶めようとしている、と反論できる。どちらが真実かはさておき、どちらの話が真実となるのかは明白だ。
「僕が謝るのも妙な感じだけど、謝っておくよ。巻き込まれてしまったね」
「関係ないですよ。エストレーモの問題です。ソレイア様があのような考えを持っていたなんて」
「エストレーモ王とはだいぶ違う理想を持っているようだ。反抗期かな?」
「自分の意見をお持ちになりたい時期なんですよ。でなきゃ、できもしないことを口にするはずがありません。俺も今日1日考えてました。だけどやっぱり、両国の怨恨は身体を流れる血と一体化していて、取り除くなんてできやしません。ソレイア様もわかっているはず。たぶん、気まぐれで他人と違う意見を言ってみているだけなんですよ」
「――斬首」
物騒な単語とともに、出入口の階段から影がおりてきた。暗闇に輪郭が浮かんでいたのが、一段おりるたびに色を帯びていく。微弱な靴音と、ゆらめく衣服の裾。燭台の炎に全身を照らされ全身が明らかになると、昨日とは違う色のドレスを着ているとわかった。布の色は今日も地味だ。身分に相応しい派手な服を嫌っているのなら、本当に反抗期なのかもしれない。
歯をガチガチさせ震えている兵士をみて、ソレイアはお腹を抑えながら笑った。
「怯えすぎ。冗談だから」
「し、しかし私はとんでもない愚かな発言を……!」
「どこもおかしくない。そう思うなら、それこそ失礼ね。私も今年で十八になる大人で、人々の模範であるべき王女の身分。客観的な意見は受け入れる度量を持ってるつもりよ。本音を伝えてくれる人なんて、ほとんどいないけどね」
「しかし……いえ、ありがとうございます」
「カーヴァ、貴方は昨日の私の発言を誰にも報告せず、胸の内にしまってくれた。この数ヶ月こっそりと忍び込んで牢獄での会話を聴いていたけど、レナード王だけじゃなくて、貴方の話も聴いていたわ。それで、協力してくれると信じて貴方にも話したのよ。考えてくれた?」
想定外だった。ソレイアの目に自分も映っているなんて、カーヴァはまったく想像していなかった。自分は置物で、とんでもなく危険な会話をする二人の傍聴人。蚊帳の外にいると信じて疑わなかったのに、ソレイアは自分にも目を向けていた。名前まで覚えてくれた。
思わずカーヴァはレナードを見た。無意識に助けを請う眼差しになっていた。
レナードは、格子の向こうで堪えるように静かに笑っていた。
「まぁ待ってくれよソレイア王女。あんまり責めるとカーヴァがかわいそうじゃないか」
割り込んできた男につられず、ソレイアは緩んでいた表情を引き締めた。
「コンコルディアの血が流れていれば同じ人間でも殺さなければいけない敵で、敵の血が流れているなら女子供老人だって関係ない。生かしておけば、いつか身内が殺され情けをかけた選択を後悔する羽目になる。敵の血が完全に途絶えないと平和はありえない。我々は、だから皆殺しにしなければならない――そんなふうに教えられてきたんだろう? 急に幼い頃から守ってきた教えを否定するなんて、そう簡単じゃない」
「簡単な要求をしているつもりはないし、私は命じてるわけじゃないわ。まずは知るところから。これまでの教えが間違っていたという真実と向き合わなきゃいけない」
「大勢には、大勢どころか貴女のような荒れ地に咲く花にしか、真実と向き合うことすら難しい」
「まるでこの国で育って、この国を知り尽くしているかのように言うわね」
「僕はこの牢獄から見える格子越しのエストレーモしか知らないよ」
笑みを崩さずにレナードはソレイアに応対していた。昨日は緊張していたのに、今日は異様に落ち着いている。
カーヴァは彼の話に深く共感した。家族も同僚も、周りにいる誰もがレナードの言うようにコンコルディア人を憎んだり恐れている。存在しているだけで自分が不幸になると信じているのだ。カーヴァ自身もそうだった。
半年前、レナードの監視役を任されるようになるまでは。
半年もの間、誰よりも長い時間を過ごし、誰よりも会話をする相手が敵国の王だった。会う前は、脅されたり脱獄に手を貸せと威圧的な態度で接してくるのかと想像を巡らせていた。実際のレナードはまったく違う。脅されるどころか、自分の治めるべき国を滅ぼそうとしているエストレーモに対する恨みすらカーヴァにぶつけず、エストレーモの庶民の暮らしやカーヴァの昔話を訊くだけだった。聞かれてばかりで良くないと思ったが、カーヴァからは訊けなかった。
カーヴァのいる国が彼の国も家族も民も全てを滅ぼしたから。レナードから聞けるのは、もう戻らない過去の出来事だけ。そんなものを聞いて楽しい気分になれる特異な感性は持ち合わせていない。
「おや、ソレイア王女もカーヴァも、なんで何も知らない僕がエストレーモ人の気持ちを心得ているのか腑に落ちない顔だね」
口元は笑ったままだった。だけど、レナードの瞳は深い哀しみに揺れていた。
「不思議なことじゃない。さっきの僕の話は、大勢のコンコルディア人の考えを『コンコルディア』と『エストレーモ』を入れ替えて伝えたものだよ。ソレイア王女は知っていたかな?」
「そうだろうとは思っていたわ。直接コンコルディア人から、それも王から聞くとは思わなかったけど」
「2つの血を1つにする――だったね。僕らは何代も前から、お互いがお互いを憎むよう仕向けられてきた。僕だって例外じゃない。この牢獄に囚われながら、平和のために何ができるか熟考した。僕らコンコルディアの平和のために、どうすれば牢獄にいる状況からエストレーモを滅ぼすまでに逆転できるかを何度も何度も考えた」
「よさそうな案は思いついた?」
「全然。でも、ある日自分の立場を捨てて平和そのものについて考えたら、はっきりとした答えが浮かんだよ。昨夜ソレイア王女の言い当てた通り。僕が何もしなければ少なくともコンコルディア王の血は完全に断たれる。そうなればエストレーモにとっての脅威は何もなくなる。コンコルディアとかエストレーモを抜きにして、同じ人間と考えれば、人間にとっては争いのない平和の世が完成する」
表現を濁さず、誤解のない言葉で語るレナードは変わらず哀しそうだった。理解しながらも認めたくない。できれば勝者の立場として行きつきたかった結論に違いない。
「苦しみの末の選択だった。それを超えるだけの結果を得る方法があって、強い覚悟で完遂を目指すというのなら――」
――わざわざ問い質す必要もない。
時間なんて、たった1日あれば充分だった。レナードの答えは決まっていた。
危険を冒してまで会いに来て、敵国の王である自分を純真な光を宿して見つめてくれている。それだけで、最後に残っていたわずかな躊躇いもなくなった。
「こんな囚われた男の安い命でよければ、僕は貴女のために捧げよう」
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