亡国の王子と敵国の王女3

 カーヴァが朝食を持って階段を降りてきた。夜勤の男と入れ替わり、レナードのいる牢獄の下にあるスペースから木の板に載せた食事を差し入れる。

 いつも通りなら、とうに起きていてカーヴァにご機嫌な挨拶をしてくるはず。その男が、今日はベッドで仰向けになっていた。しかし寝ているわけではない。食事を載せた板が石の床を滑る音に、わずかに身体が反応した。


「昨日は眠れたかい?」

「全然。話を聞く直前まで、眠れなくなるのはレナード殿だけだと思ってましたよ」

「あいにくと僕はぐっすり寝させてもらったよ。睡眠が不足すれば正常な判断もできなくなるからね。考えないといけない時ほど、考えない時間が必要なんだ」

「能天気と紙一重ですね。俺みたいな凡人は、そんな器用になれやしませんよ」

「僕だって何かを成し遂げたわけじゃない。君と同じ人間だよ。少し能天気なだけのね」


 起き上がり、食事をボロくて小さな机に置いて、椅子に腰かけた。朝食は毎日同じで、パンと豆のスープ。城に仕える兵士たちも同じメニューで、カーヴァも交替前に食べてきたところだ。

 パンを手に取り、齧る前にレナードはカーヴァを見据える。


「昨日の話、誰かに喋ったかい?」

「言えるわけないじゃないですか」

「そうだろうなあ。ソレイア王女は、君のそういう性格を見抜いて話したのかもしれないね」

「昨日が初めてですよ。俺がソレイア様と喋ったのは」

「初めてだから見抜けないって理由にはならないよ。彼女が僕ら凡人とは違うなら。いや、確かに違うんだろう。でなきゃ、あんな突飛な考えは浮かばないし、浮かんだとしても口にはしない」


 本人がいないとはいえ、カーヴァには自国の王女を批評などできない。

 他人事のように暢気にパンを齧るレナードを格子越しを眺める。やっぱり、この男も凡人なはずがない。王女が昨晩放った言葉の重さを充分に理解しながら、不自然なほど落ち着いている。


「ソレイア王女について、僕はあまり知らなかった。彼女の兄上の噂は色々と知っているけどね」

「リヴェル様は跡継ぎで人前にも出ていますから。コンコルディアにまで流れてても不思議じゃありません。一方でソレイア様は城を出たことがほとんどありませんからね。エストレーモの兵たちの口は固いんですよ」

「君を見ていればよくわかる。ソレイア王女は世間知らずでもなさそうだし、女性ながら勇ましい雰囲気まで感じられた。まるで何度か戦場を経験しているかのような、前線の兵士みたいな力強さを瞳に宿してるように見えたよ。まさか、本当に?」

「経験しちゃいませんよ。一国の王女ですよ?」

「やっぱそうだよねぇ。エストレーモ王が危険に身を晒すような行為を許すはずもないか。兵士みたいっていうのは、本当にそう感じたんだけどね」


 カーヴァからすればレナードもソレイアと同じ。彼女とは昨日が初対面どころか、噂すらもほとんど耳にしたことがないという。なのに、見抜いている。昨晩たった少し会っただけなのに、彼がソレイアに抱く印象は的を射ている。


「それは、ソレイア様が槍術の鍛錬を日々こなしているからじゃないですかね」

「槍術? 変わってるね、王女に武術を習わせるなんて」

「べつに国の風習じゃないですよ。俺の知る限り、過去の歴史をみても王女の身分で武術を身につけたのはソレイア様だけです。昨日初めて話したくらいですから詳しくはありませんが、小さい頃から戦いに憧れてたみたいです。周りから反対されても、武術を習いたいといって聞く耳をもたず、勝手に世話役の目を盗んで兵舎の訓練を隠れて見学してたこともあったそうです」

「随分な熱量だね。変わった感性でもあるけど」

「城のなかでも似たような評価でしたよ。入隊まで希望してたらしいですが、さすがに許可されませんでした。ただ、身につけておいて損はないと、鍛錬自体はエストレーモ王が許可しています。基本は単身で熱心に鍛えていますが、たまにローザ様が時間をとって教えているようです」

「四天王のローザ殿か。なるほど、それで槍術ってわけね。彼女の槍術はコンコルディアでも恐れられていたよ。武術に興味をもったのも、彼女がきっかけだったり?」

「わかりません。情報には精通してるつもりですが、どうしてソレイア様がそこまで興味をもったのか、噂レベルの話でも聞いたことがありません」

「でも理由はない、とも考えられないな。昨晩のような突飛な話をする性格だから、背景には僕らでは想像の及ばない理由があるんだろう」


 同感だった。カーヴァにも、ソレイアが気まぐれで日々の鍛錬に臨んでいるとは思えない。

 一度、鍛錬中のソレイアを城の庭で見かけたことがある。退屈そうな世話役に見守られながらも、ソレイア自身の表情は気迫に満ちていた。槍さばきは軽やかで、時折くり出す刺突は鋭い。立ち会ったら、情けないことにカーヴァには勝てる自信がなかった。


「そうですね。並の覚悟ではなさそうです」

「それだけ鍛錬ばかりに打ち込んでるなら、友達はいなさそうだね」

「そうでもないですよ。礼儀作法を学ぶ時には、数名の貴族のご令嬢と一緒に学んでいると聞きます。共に武術を学ぼうと言うお友達は未だに現れないようですが」


 眉間に寄った皺を手でつまみ、レナードは考えに耽る。


「武術に惹かれたのは変わってるけど、あとは普通だ。もしくは、普通の王女として生活しているように見せているんだろうね。正真正銘の普通なら、あんな突飛な発言は彼女の口から出るはずがない」

「レナード殿は考えたんですか、昨晩の件」

「考えてないよ、そんなの」

「あっさり言いますね……ソレイア様が人目を忍んで伝えにきたんですよ?」

「いくらなんでも急すぎるし、意図がわからない。『考えておいて』というのも、何を考えればいいのか不明瞭だしね。まぁ次来た時に訊いて、その場で答えればいいんじゃないかな」


 答えて、レナードは残っている食事を再開した。

 いい加減なレナードを咎めたい気持ちはあった。しかしカーヴァにもソレイアの真意が読めないから、行動には移さなかった。

 “2つの血を1つにする”

 そんな発想、カーヴァは頭に浮かんだことすらない。

 そんな発想を聞かされた今でも、あまりピンと来ていない。凡人だからだろうか。凡人ではないレナードは、次にソレイアと会った時に彼女の求める返事をするのだろうか。

 既に巻き込まれてしまった自分は、何か大きな流れに飲まれる予感があった。


 ぼんやりとした予感は、その日の夜に確信に変わった。

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