第8話 死地からの敗走
「で、これからどうするんですか?」
日夏ちゃんが、僕の隣にしゃがんで話しかけてくる。
「え、これからってのは?」
「朝までどこで過ごすのかって話ですよ。こんな暗いところにずっと居るなんて嫌ですよ」
「あー、じゃあカラオケでも行くか!」
曲がる膝を伸ばして、勢いよく立ち上がる。
「カラオケとか初めて来るよ」
「え?」
階段を上りながら話すと、日夏ちゃんは驚いた表情を見せる。
「そんな人いるんですね」
「いるよ。横に」
フロアに着いて手続きを済ませて、指定された部屋まで歩く。こんな時間なのに他の部屋からは、僅かに漏れ出た歌声が聞こえる。指定された部屋の前に着き、ドアを開けて中に入る。
「広っ!!」
中央に大きなテーブルと、それを囲むように豪華そうなソファがあった。
「ふぅ、疲れたね。足ガクガクだ。7時まで部屋取れたから、それまで寝るかー」
背負ったリュックをテーブルに乗せて、ソファに倒れるように横たわる。
「え?歌わないんですか?」
「え?逆に歌う元気あるの?」
日夏ちゃんは、テーブルに置いてあるマイクを手に取って言う。
「私カラオケ好きなんですよ。目の前にマイクあって、歌える環境もあるなら歌いたいですよ」
「じゃあ、日夏ちゃんの歌を子守唄にさせてもらうよ」
日夏ちゃんが歌い始めた曲は、聞き覚えのあるものだった。どこで聞いたのかを、すぐに思い出すことが出来ない。このモヤモヤを解消するために必死に思考する。その思考に日夏ちゃんの歌声が忍び込んでくる。
「ん?」
違和感を感じて、寝転ぶのをやめて起き上がる。聞こえて来た歌声は、信じられないくらい下手くそな気がする。めちゃくちゃ下手くそだ。これが音痴なのだろうと確信する。初めて音痴を認識することが出来た。
それでも、弾けるような笑顔で楽しそうに歌う日夏ちゃんを見ていると、歌の下手さは幾分か気にならなくなった。曲が終わると、中央の巨大なテレビに得点が表示された。
「ぷっ、ははは!えー?低っ!52点!?カラオケってこんな低い点数出せるの!?僕の数学の点数くらいじゃん!あははは!」
「な、何ですか!?人の歌に勝手に点数付けないでください!」
日夏ちゃんは顔を赤くする。
「いや、点数付けてんのはテレビの画面だよ!誰が歌っても80点くらいは絶対出るもんだと思ってたよぉ。平均点もそんくらいだし」
画面には得点53点の下に全国の平均83点、とあまりにも残酷な差が表示されている。
「そ、そんな高得点滅多に出ないです!カラオケ番組で感覚が麻痺してるだけですよ!」
「えー、そうかなぁ?カラオケ番組は大体みんな90点くらいじゃん」
「そこまで言うなら歌ってみてくださいよ!同じ曲を!」
日夏ちゃんは僕の前まで来てマイクを差し出す。その差し出されたマイクを、受け取って立ち上がる。
「お、いいよ。歌は自信ないし、いい思い出もないけど、流石に50点代は取らないよ」
歌い終わって、画面に映し出された点数を見て驚愕する。部屋に響き渡る何かをバカにするような笑い声。そんな雑音があっても、僕の心は静まり返っていた。
「ギャハハハハハッ!!42点って!カラオケ界なら赤点ですよ!」
「うるせぇ」
「絶対音楽の成績1じゃないですか!もう音痴過ぎて!あはは!」
「うるせぇ!音楽の成績は2しか取ったことねぇ!」
「もう1回だ!もう1回歌わせてくれ!次こそは日夏ちゃんを超えるから!」
「えー、いいですけどぉ、超えるならなるべく早くしてくださいよ!あんな歌声ずっと聞いてたら、私のお腹が捩れちゃうから!!」
マイクを握る力が強くなる。時間はまだある。絶対に日夏ちゃんの53点を超えてやる。
「航大さん!航大さん!おい!起きろ音痴!」
「ん?」
ぐわんぐわんと体が揺れるのを感じ取って。ゆっくりと目を開ける。
「電話掛かってきましたよ。お時間10分前ですって」
「あ、ああ。もうそんな時間かぁ」
喉に痛みを感じる。声が少し枯れていた。声が枯れるなんて初めての経験だ。
「結局1回も私の点数超えられなかったですね!」
「あー、はいはい。日夏ちゃんの勝ちだよ。おめでとう」
日夏ちゃんは満面の笑みを浮かべる。
「じゃっ!とっとと支度して出ようか」
すっかりと明るくなった外を歩く。こんな時間にも関わらず、周りには大勢の人間が歩いている。日のもとを歩いてハッとする。自分が今、女装をしていることに。女物の服を着て、金髪の長いウィッグを装着している。
「僕やばくない?この格好で人混みって」
「えー、そうですか?結構、様になってますよ。生まれた時から、その格好だったんじゃないかってくらい!」
聞き覚えのある言い回しに顔が熱くなる。
「これからどこ行こっか?」
「行く場所決まってないんですか?その割にはスタスタと足が動いてますけど」
行き先は決まっていた。東京でツテなんてないし、優菜さんのマンションにとんぼ帰りするしかない。
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