第7話 飛び降り!
その場所には、家を出てから28分45秒で到着した。優菜さんの言った通りの時間。
「この坂を上り切った先にボロい橋があるから、そこから下の川に飛び降りるの」
左右を森林に囲まれた坂道に止まる車の中で、優菜さんが坂の上を指差す。
「じゃあ2人共バイバ〜イ!」
優菜さんは窓から顔を出してそう言った後、上って来た坂道を下っていく。真夜中の山、車のエンジン音がよく聞こえる。
とりあえずスマホのライトをつけて辺りを照らす。道は車が余裕を持ってすれ違えそうなくらいの広さだ。足元に光を当てて坂道を上り始める。
「僕は航大。よろしくね。......ドブ林檎ちゃん?って呼べばいい?」
「...日夏」
「日夏ちゃん!?オッケー!日夏ちゃんね!因みにドブ林檎って?」
「それはSNSのアカウントの名前です」
「ああ、なるほど!面白い名前だね」
「...」
街灯などは当然なく、横にいる日夏ちゃんの表情がギリギリ読み取れるくらいだ。
「日夏ちゃん何歳なの?」
「19」
「19か!僕は20!でもタメ語でいいよ!大学生?」
「違う」
「就職した感じ?」
「...」
「その金髪似合ってるね。生まれた時からその色なんじゃないかってくらいさ!」
「今日染めたばっかりなんだけど」
「へぇ、いいね!僕は染めた事ないや」
「...」
沈黙の気まずさに耐え切れずに何度も話しかけるが、すぐに会話が終了する。次の会話が始まるまでの間の沈黙には、自然が発する音が耳にいつもより鮮明に届く。
それと一緒にサンダルの擦れる音も聞こえる。横を歩いている日夏ちゃんはサンダルを履いていた。どこから東京まで来たのかは知らないが、普通東京に行くのにサンダルを履くものだろうか。その沈黙に我慢の限界が来てまた口を開く。
「優菜さんってさ優しいよね」
「うん。優しかった。私はあんなに優しい人、初めて見た。美味しいお菓子も食べさせてもらったし」
「何のお菓子貰ったの?」
「...」
「日夏ちゃんはさ、何で死のうと思ったの?」
「これから死ぬアナタに言う必要ない」
他の質問と違って豪速球で返答が飛んでくる。
「まあ、確かに。そうだね」
「どうしても聞きたいなら自分から言いなよ?それが常識ってもんでしょ?」
「僕の死にたい理由?んー、僕はね、楽しみだった事が急に嫌になったり、ずっと来るのが嫌だった日が楽しみになったりする。その繰り返しに疲れたから。そんだけだよ」
「...よく分かんないや。私バカだし」
「僕もそんなに理解してないよ。はは...」
「私は、私の母親を名乗る女に対する不満が我慢の限界を迎えたから死ぬの。心が休まる居場所もないし」
「へぇ〜、そっか。お父さんには不満なかったの?」
「お父さんは見た事ない」
質問を間違えた。もう黙って自然が奏でる音を楽しむ事にする。静かに黙って歩いて、暗闇に溶け込むとしよう。この世から消えた後と同じように。
坂道を上り始めて10分程度が経過しただろうか。坂は緩やかになって平になった。平坦な道を歩いていると嫌な涼しさが体に伝わる。今まで聞いていた音にひとつが加わる。川を流れる水の音だ。心がざわめく。遂にそこに着いてしまった。目の前には橋。近づいてライトで照らすとサビがよく見えた。優菜さんの言っていた通り、ずいぶん年季の入った橋のようだ。水の音はよく聞こえるのにも関わらず、深く底の方から聞こえる。ずいぶん遠く感じる。
「...こ、ここの橋っぽいね」
「うん」
ギリギリ2人の人間が横になって歩く事が出来る広さ。誰も周りにいない深夜。
「ねえ」
橋を渡る足音は響く。橋から見える景色はない。下を見ても何も瞳に映らない。
「ねえ!」
ただ黒い闇が見えるだけだ。それなのに流れる水の音は止まらない。音から考えるに激流に違いない。山を流れる川の水は恐ろしい。
「ちょっと!」
「ん?」
「何でずっと歩いてるの?向こうまで行く気?ここから飛び降りるんでしょ?」
「え?あ、あぁ」
「もうこれ以上進む意味ないよ」
手すりに手を掛けながら日夏ちゃんは言う。日夏ちゃんは両手で錆びた手すりを掴む。右足を乗せて左足で飛び乗って、カエルのような姿勢で手すりに全身を乗せる。風は吹いていない。長い髪も止まっている。日夏ちゃんは手すりから手を離して、折り畳まれた両足をゆっくりと伸ばしていく。
「何ぼーっとしてるの?誰かと一緒に死にたいんでしょ?」
手すりの上で立ち上がった日夏ちゃんが振り返る。
「ちょ、ちょっと待ってよ。...ねぇ、死ぬの延期にしない?」
震え上がって霞んだ声で日夏ちゃんに言う。
「はぁ!?」
「ごめん。...普通に怖気付いた。こんな高いとこから飛び降りれない。下も見えないしさ」
「そう。別にいいよ。私は1人でも死ねるから。そこで見ててください」
日夏ちゃんは僕から視線を移して、見えもしない橋の下を眺める。錆びた手すりの上に立つ日夏ちゃんの足が震えているような気がした。
「ちょっと待って!日夏ちゃんも死ぬの延期にしない?」
日夏ちゃんの返答は聞こえない。
「まだ19歳なんだろ!?酒とか!飲んだ事ないだろ!?飲んでみたら人生楽しくなるかもよ!?」
日夏ちゃんは動かない。
「待ってよ!ね!?日夏ちゃんの黒髪も見てみたいしさ!」
微動だにしない日夏ちゃんを見て目を瞑る。次に耳が拾うのは、人間が激流に叩きつけられた音だと覚悟をする。
「私の誕生日3日後。確かに死ぬのはお酒飲んでからでも良いかもしれない」
日夏ちゃんの声が聞こえて、固く閉ざした目を開ける。光が差し込んでくることはなく、相変わらずの暗闇。日夏ちゃんはそっと手すりから降りる。
それを見て、全身の力が抜けてしゃがみ込む。へなへなと太陽を失ったヒマワリのように、その場でしゃがみ込んだ。
「よかったー...?悪いね邪魔して、情け無い。今人生史上最大に死にたいって思ってるよ。情け無さ過ぎてさ。めっちゃ死にたいけど、超死にたくないや」
俯きながら日夏ちゃんの顔を見ることなく話す。
「私が殺してあげましょうか?」
随分と真面目な声で物騒な提案をする日夏ちゃん。まあ冗談を言う時の、声の出し方を知らないだけだろう。
「別に誰かを人殺しにしてまで、死にたいとは思わないから」
手は汗で支配され、吸い込む空気の冷たさを実感する。体内に入った冷気を感じて、心臓は深く速く揺れる。間違いなく人生で1番生を感じていた。
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