第5章 あやかしだと言われても<5>
咄嗟だった。
空を切ったイーニスのパンチは地面を叩くことで、やっと止まった。
もっとも威力をまともに受けたほうは損壊という憂き目に遭う。広場の半分近くは抉られていた。
「やっぱりこいつを嵌めていると止まらねーな」
立ち上がるイーニスは右拳へ通した突起の付いた指なし手袋をしみじみを見つめる。宙で一回転しては着地した天風へ感心しきりとする声を挙げた。
「プロテーゼもどきの布切れで、この有り様だ。もろ本体を付けて自由自在に操れる
「それよりムーアさん。ソーヤーさんは仲間ではないのですか」
ラストネームで呼ばれた相手は豪快に笑い飛ばした。
「違う、違う。あいつは仲間なんかじゃないぜ。ただ強敵を前に目的を共有しただけさ。そもそも所属するシティが違うからな」
「そうなんですかー。それじゃ、目的優先となるのも仕方がないです」
なるほどといった天風である。
感心されたらされたで、イーニスからすれば気が削がれる。
「ここはいくら仲間じゃないとはいえ、平気で人を犠牲にする悪い奴をやっつけようと怒りの闘志を燃やして欲しいもんなんだがな」
「いえいえ、僕のほうこそ見識が甘かったです。それでもソーヤーさんが無事で良かったとは思っています」
「なるほどな。つまり隊長さんがプロテーゼを装着していたとしても、ここではその機能を全開で使わなかったんだろうな」
ふむ、と何か考え込んだ顔をしたイーニスは次の瞬間だ。特殊強化された指なし手袋を外しては地面へ投げ捨てる。
「それじゃ、隊長。いや、咸固乃天風。純粋に力較べといかねーか。時間がかからなくていいと思うぞ」
そうですね、と天風は乗った。
駆け寄った両者はそのまま両手を組み合う。
天風とイーニスの純粋な力較べが始まった。うぐぐ、と二人は唸る。
両腕だけでなく全身をもって渾身の力を込める対決の最中にだった。
「そういえば、僕。左腕は義手なんですけど、これって反則になりませんか」
今さらながらの天風の確認に、褐色の筋肉質の男は軽く笑う。
「その条件で挑んできたのは俺のほうだ。隊長は気にしなくていいんじゃないか。それにこの勝負で義手だけでなく、もう一方の腕だって粉砕するつもりだから手加減すると終わるぜ」
そう言うや否やイーニスの指が天風の手の甲に喰い込む。
ぐっと歯を食いしばる天風の膝が、がくり落ちた。イーニスの押し込みが圧倒している。怪力を誇るだけあって伊達ではない。
右手に走る痛みを必死に堪えるが精一杯な天風だ。
この勝負の行方は見えていた。
天風! と
ああ、と天風は思う。
誰かを救いたいとする任務ではない、自分にとって大切な人のために力を尽くしたい。ここで自分は終わってもいいとする任務じゃない、倒れたら絶対にいけないのだ。
本人も自覚しないまま一言を呟いた天風は力を込めるあまり咆哮した。着いた膝を震わせながら立ち上げる。マジか、と驚くイーニスを次の瞬間、放り投げた。
信じられないといった顔で宙を舞うイーニスの、がたいいい体軀が地響きを立てるまで時間はかからなかった。
「大丈夫ですか」
慌てて心配で駆け寄る天風だ。
あっはっはっは、と地面に大の字で伸びたイーニスが大きな笑いを立てた。
「負けだ、負け。あんたの気迫に負けたよ。大したもんだよ、トキオシティ第七分隊チーフは」
「まったくだね、トキオシティの
傍にやってきたもう一人の刺客だったロスストがブロンドの髪を揺らして笑いかけてくる。
天風は仰向けで横たるイーニスと近くに立つロスストを交互に何度も見てからだ。
「ソーヤーさん、ムーアさん。本当にありがとうございます」
直立不動で頭を下げた。それから走ってやってきた三毛猫ニンが肩にしがみつく愛莉紗へ、「行きましょう」と伝える。うなずく妻役と共に急いで分隊庁舎へ向かって駆け出した。
横たわるイーニスが上体を起こした。
実習中の夫婦とペットの一匹の背中を見送る。
ところであんた、と天風たちを眺めていたロスストがイーニスを睨みつけた。
「あたしが隊長さんに捕まっていた時、本気でパンチ打ってきたでしょ」
「本気ってほどではないぜ。多少は力を入れていたかもしれないがな」
「だけど、あんた。狙ったの、隊長さんではなくて、あたしでしょ。誤魔化せないよ、あたしの目は」
どうだかなぁ〜、とイーニスの口笛吹くような態度である。ロスストの抗議は的を射ていたみたいだ。
「まぁ、俺たちが見破れるくらいだ。どうやら第七分隊チーフにはバレバレだったようだな」
「そうね、単なるお人好しさんじゃなかったあるね」
天風が何に対して感謝していたか。された当人のイーニスとロスストの二人は理解していた。
咸固乃天風が武装人工器官の装着を理由に高い役職を与えられているわけではないと身をもって知った。
「でも頑張って欲しいもんだ。立場上、助けてやれないが」
「あらあら、
「よしてくれ。そんな大仰なあだ名は、うちのケチなシティのお偉いさんがてめぇらのミスの隠れ蓑に使われただけだ。俺はあんな一言を第七分隊チーフから聞かされたら、何も出来なくなるような甘いヤツなんだぜ」
「あんな一言?」
「娘の名前を呼びやがった」
しばらくの沈黙後だった。
「じゃ、仕方がないね」
と、再び天風たちが消えた方向へ視線を向けるロスストだ。
「そうだろ、俺やあんたじゃ、家族のために必死になるヤツの邪魔なんか出来やしない。それにだ!」
「なによ」
「たかだかチーフの地位を与えられるくらいですむ内容じゃないだろ。咸固乃天風をあわよくば戦闘不能にしろだなんてよ」
「あら〜、うちは金銭できたあるね」
答えながらロスストは指を三つ立てる。イーニスが金額を口にしたらである。
「桁が一つどころか二つ下だよ」
回答を得たイーニスだけではない、当事者のロスストも夕空に吸い込まれそうな嘆息を吐いた。
「どこのシティでも政に就く連中は、てめぇの利益には懸命だが、実行は他人がやって当然と考えていやがる」
「どこもタチが悪いものね。隊長さんたち、もろ巻き込まれて大変だけど成功、祈りたいね」
他のシティから来た二人の戦闘員は先ほどまで戦っていた相手の行く末を思い、神妙な顔をしていた。
その頃の天風たちと言えばである。
イーニスとロスストの懸念通り、上層部の思惑が働いているとしか思えない妨害に遭遇していた。
第七分隊庁舎出入り口手前で銃を構えた特務第二分隊に囲まれた。
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