第5章 あやかしだと言われても<1>

 もう遠慮はしていられなかった。

 出来れば自分から話す、もしくは互いの時間をかけてからと考えていた。非常にデリケートな問題であるから慎重を期してきた。ただでさえ言葉少なで幼子特有の屈託さがない娘なのだ。


「もういい加減に教えてもらうわよ。どうしてバケネコが希愛のあと出会ったか、言いなさい」


 本来なら晩酌の時間だが、本日は酒なしで愛莉紗めりしゃが迫る。もし妻役が訊かなかったら、天風てんぷうが問いただしていた。


 答えを求められる三毛猫ニンはリビングのテーブルに立っていた。前脚を腕のように組んでいる。


「それは構わぬが、大した役には立たないじゃもよ」

「いいから、それでも聞かせなさい」


 愛莉紗は一歩も引く気はない。もちろん天風もそうだ。

 夫婦の強い要望に、三毛猫ニンは観念したように始める。


「希愛殿とは森のなかで偶然に出会っただけじゃも」

「本当に、それだけですか?」


 焦りを隠せず割り込んだ天風だ。

 前脚を胸の前で組んだ三毛猫が深くうなずく。


「まったく偶然じゃも。けれど森のなかを一人ふらふら歩いている幼児でなければ、ニンはそばにいようなどと思わなかったじゃもな」

「じゃ、出自やこれまでの経緯なんかは……」

「希愛殿に聞ける雰囲気がなかったじゃも。それに出会ったのは天風殿より数時間前といった程度じゃも」

「まったくわからない、ということですか」


 天を仰ぐような天風に代わって、今度は愛莉紗が不思議そうに訊く。


「でもどうして希愛は、うちに来る気になったのかしら。保護を求めて、たまたまうちだっただけって思っていたけれど。なんだか、あんな姿を見せられるちゃうとね」


 みんな、のあをいじめたいだけ! ママにパパになるっていう人も、みんな、そう!

 感情の薄い普段からは想像がつかない希愛の激しい叫びだった。


 思い出すたびに天風は胸をかき毟られる。

 愛莉紗もまた気落ちした様子である。


「まぁ、ふたりとも。そう落ち込むものでもないじゃも」


 三毛猫ニンが腕組みをやめていると思ったら、腰に手を当てている。偉そうな態度とも取れる体勢だ。

 器用なんだな、と夫役が感心するのに対し、妻役は面白くない旨を口にする。


「バケネコに言われてもね。所詮は血も繋がっていなければ、正式でもない。ただの実習でしょ、他人同士が一つ同じ屋根の下に住んでいるだけじゃない」


 そう言い切ってからだ。はっとしたように愛莉紗は天風へ目を向ける。それから「……ごめんなさい」と目を伏せた。 

 

 テーブルを囲み隣りへ腰掛ける妻役の肩へ、天風は優しく生身の右手を載せた。


「大丈夫です。メリさんにそう言われてショックだけれども、よくよく考えてみればちゃんとショックを受けられているわけです。僕はメリさんに愛想をつかされたくないですからね。気持ちを新たに頑張ろうと思えました」


 なに、それ、と愛莉紗が顔を上げた。目端口端に笑みが滲んでいる。


 うん、と天風は自らに力を注入するかのように両手の拳を握り締めた。


「それにやっぱり、じゃないな、絶対に希愛もいて欲しい。あやかしだろうが、なんだろうが構わない。存在なんかどうでもいいから、うちの娘役を担当してもらいたいです。ダメですか?」

「ダメなわけないじゃない。やっとあの娘があたしの名前を呼んでくれるようになったんだから。そう、そうよ。あんな手強い娘だからこそ、手放す気になんてなれないの」


 視線を交わすことで互いの意思を確認し合う実習中の夫婦である。


 ならば言うじゃも、と三毛猫ニンが挙げた。


 少し険しさを眉間に刻んで愛莉紗が睨む。


「やっぱりバケネコ、まだ話していないことがあるんじゃない」

「おふたりの覚悟がなければ話せない内容だからじゃも」

「ニンじゃもがなんて言おうと、僕の決心は変わらないです」


 揺るぎない顔つきの天風に、まるで笑うように三毛猫ニンが答える。


「逆じゃも。これからの話しは天風殿と愛莉紗殿に決意をさせてしまうから、敢えて避けてきたじゃもな」


 聞かせてください、と天風が返せば、愛莉紗もまたテーブルに載せた両手の指を絡めた。


 あれは……とテーブルに立つ三毛猫が始める。

 ジェヴォーダンと呼ばれる巨大狼にも似た魍獣もうじゅうがシティ郊外にある住宅街を襲った際だ。一人で逃げていた少女が近隣の森林内で遭遇し、凶暴な顎の犠牲になりかけた。

 既のところで代わりに身を挺してかばったのが、希愛だった。


「僕の見間違えではなかったのですね」

「ああ、そうじゃも。人間なら噛みちぎられて当然なのに、希愛殿は無傷じゃも」


 すると愛莉紗が割り込んできた。


「じゃ、希愛はあいつらの言う通り『あやかし』なの」

「どうじゃも。はっきりと確証があるわけじゃないじゃもが、ニンは違うと思うじゃも」

「怪異でなければ、なんのなのよ!」


 はっきり言いなさいとばかりに愛莉紗が迫ってくる。


 今の三毛猫ニンは慌てることがない。いつものようにといった感じで、重大な推論を述べる。


「ニンは、天風殿と同じようなものだと考えるじゃも」


 ガタッと天風は椅子から立ち上がった。


「もしかしてニンじゃもは知ってるの? ラーデのこととか」


 推測の域は出ないものの、事の次第が形を成し始めていた。

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